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ブックマーク / seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com (5)

  • 止めます - Interdisciplinary

    twitterアカウントを消しました。 やはりこのメディア、議論的な事を行うにはちょっと難しいものがありますね。 時間的なタイミングや文字数から、短文がものすごく複雑に絡んでTLが形成され、それを他人も共有しているものだと思い込んだり。その結果、他のメディアであれば起こらなかったであろう諍いや争いがどんどん起こる。 それがニセ科学関連の議論でも起こってきて、もう疲れたし、少なくとも自分には建設的な議論を深めていく事は無理だと認識しました。色々な人が仄めかしまくって直接ものを言わず、どうせ見ているであろう、気づいているだろう? みたいな雰囲気だったりね。どう考えても気持ちの悪い在り方でしょう。異様です。さすがに耐え切れません。耐え切れないので消して見ないという単純な話です。 ひたすらに趣味的な事をつぶやくものとして使っていれば、もっと楽しめたのかも知れませんね。 ブログは、もうニセ科学の話は

    止めます - Interdisciplinary
    blackrook368
    blackrook368 2011/09/06
    お疲れ様でした。TAKESANさんに学んだことはとても多かったです。今までありがとうございました。
  • 科学コミュニケーション――「態度」の問題 - Interdisciplinary

    ニセ科学の議論において、「態度」が問題になる事があります。ばっさり切り捨てるような物言いだったり、他者を罵倒するような言葉遣いだったり。 ニセ科学を批判し、それをニセ科学支持者に理解(同意・賛同)してもらうというのは、相手の信念や認識を変えさせる事にほかなりません。 しかし、ニセ科学を信ずる人も、「ただ適当に」信じている訳ではありません。その信念が形成されるには、色々な人の話を聞いたり文献を調べたり、あるいは身近の人の力になりたいという動機があったり、あるいは自分自身の知識を向上させたいという真剣なきっかけがあったりと、様々な経緯、もっと言えば「歴史」があるはずです。その意味で、支持している側だって真面目なのだ、というのは基的な認識として持っておくべきでしょう。 そういった人達の認識を変えたい、というのはつまり、「説得」の文脈を必ず含むという事です。 言われる側の事を考えてみます。 先日

    科学コミュニケーション――「態度」の問題 - Interdisciplinary
    blackrook368
    blackrook368 2011/07/17
    同意です/『近い所にいる者がお互いにチェックして、コミュニケーションの仕方を調整していく動きが絶えず行われる必要がある』これはある程度正常に機能してると思うと言っちゃうのは自惚れだろうか。
  • 或るトンデモ支持者の履歴――科学的懐疑主義に目覚めるまで(2011年7月19日追記) - Interdisciplinary

    ばらこさんのエントリー⇒サイエンスコミュニケーションで素人にできることを考える(改題)(2) - ばらこの日記 3)もし、自分が過去にトンデモな情報を信じていたとか、信じるだけでなくて他の人にも自信満々発信していたとか(私です)そういうことがあれば、そのプロセスをできる範囲で言語化し公開する。それは必ず同じ轍を踏む人が立ち戻る際の参考になる。だまされる人が減れば「だまされる人を減らす」ために費やされているエネルギーをもっと生産的な方向に振り向けることができる。 この部分について、私自身を例にして記述します。今まで何度か書いてきましたが、時系列に沿ってまとめて書いてみましょう。 特に普遍性も無く、そのまま他者の参考になるものでもありませんが、トンデモ的言説に親和的であった人間の変遷の事例として見てもらえれば良いかと思います。 ※ここで「トンデモ」とは、オカルトや超能力、ニセ科学的な言説の総称

    或るトンデモ支持者の履歴――科学的懐疑主義に目覚めるまで(2011年7月19日追記) - Interdisciplinary
    blackrook368
    blackrook368 2011/07/15
    普通だなあって思った。っていうと「普通」ってなんだよって言われそうだけど、私もそんなもんだ。「超越的監視者」ではないけど、私は小学生のころは悪いことをしたら地獄に落とされると思っててそれが怖かった。
  • 「原理は解らなくても良い」事に気付いた時。統計の話 - Interdisciplinary

    PSJ渋谷研究所X: 「原理がわかってないと科学的と言えない」という誤解と、「原理はわかってなくてもいい」の不十分さ 凄く面白いので、是非読んで下さい。 実は私も、科学的であるとは、必ずしもメカニズムが解明されている事を意味しない、というのを知ったのは、せいぜい2年くらい前だったりします。このブログを作った最初の頃のエントリーを見ると、「メカニズムの解明が重要」というフレーズが、結構出てきます。 それまで、心理学の教科書とかで、「統計の所だけ飛ばす」という、馬鹿丸出しの事をしてたり。だから、統計学の勉強を始めて、まだ2年も経っていません。統計って、料理で言うと包丁のような役割のものなのにね。 私が統計的方法の重要さに気付き、勉強しようと思ったきっかけは、ニセ科学論と、治安悪化言説についての反論に興味を持ったから、ですね。治安悪化論はまさに、集団の傾向がどうなっているか、という問題ですし、ニ

    「原理は解らなくても良い」事に気付いた時。統計の話 - Interdisciplinary
  • 「代替医療」概念の捉え方と考察の仕方について。それから僭越な補足 - Interdisciplinary

    伊勢田哲治さんが書かれた『疑似科学と科学の哲学』といえば、科学と疑似科学との「線引き問題(境界設定問題)」を主題として科学哲学の案内をするというユニークなであり、科学哲学の入門書としても良書で(ただし簡単では全く無い)、いわゆるニセ科学(や疑似科学)に関心を持つ人の中でも参考文献として読まれた方は多いと思います。 さて、そんな良いですが、先日から再読していて、代替医療について書かれている部分の記述が少し気になりました。これは、「代替医療」という概念をどう捉えるか、そしてそれについてどう考察するか、という一般論に関わる部分なので、ここで引用しつつ論じてみたいと思います。 参考文献:伊勢田哲治 『疑似科学と科学の哲学』(2003年 初版第1刷)「(第4章)1.代替医療と機械論的自然観」 P152-168 までの範囲。 この節は、「代替医療」と呼ばれるもの(および、それと標準医療との対立)の

    「代替医療」概念の捉え方と考察の仕方について。それから僭越な補足 - Interdisciplinary
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