ブックマーク / ida-10.hatenablog.com (19)

  • 仙台の津波と都市計画 - mezzanine

    昨年に仙台に赴任して、初めて仙台市内の高層ビルから目にした仙台の風景に、異様な感じがしたのをよく覚えている。 仙台市内のビルからは遠く太平洋まで望むことができるが、太平洋側を見渡したとき、仙台の「市街地」と、市街地の周囲に太平洋まで広がる「農地」との区分のコントラストが鮮やかに見えたからだと思う。 高いところから見ると、仙台市の沿岸地域が田畑などの農地として利用されているのがよくわかるが、この風景は、湾岸を積極的に開発してきた東京で過ごしてきた私にとっては新鮮に見えた。 これは東京に限らず、大阪、福岡、広島といった海沿いに発展してきた大都市をみてもそうだが、都市の発展は沿岸・水辺の開発とセットになっている、という固定観念があるせいなのだろう。 しかし、仙台はこれらの水辺に広がる都市とは対照的である。海から離れた青葉山に城を築き、そこを起点に街が広がった、といった趣がある。宅地も、海沿いでは

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  • 屋根の空間、屋根の可能性−隈研吾「根津美術館」 - mezzanine

    隈研吾「根津美術館」(2009年) 日・東洋の古美術を収蔵・展示する根津美術館。和風を思わせる渋い外観。 屋根・軒 正門からのアプローチ。軒下の空間。 アプローチの壁面には竹が並ぶ。 庭園より館を望む。20,000坪の庭園側には瓦屋根による表情をみせる。 3年半の閉館期間を経た東京・青山の根津美術館が、10月7日に新たな装いとなって開館した。 この新・根津美術館の建築設計を行ったのは隈研吾(隈研吾建築都市設計事務所)。90年代以降、日の各地で設計活動を行い、いまや世界の各地に活動範囲を広げ、日の建築界を牽引している建築家である。 隈は90年代、建築のオブジェクト性を否定し(=反オブジェクト)、そして「負ける」というレトリックを用いて活動を展開してきた。威圧的で、自己中心的で、ものものしい建築の否定。それは例えば「亀老山展望台」で建築を地中に消し去り、「石の美術館」では石積みの壁をル

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    blackspring
    blackspring 2009/10/27
     隈研吾
  • 時を越えて「愛される」建築とは?―A・レーモンドの群馬音楽センター - mezzanine

    アントニン・レーモンド「群馬音楽センター」(1961年) 建築正面側。外観はあまりパッとしない。 側面にまわると、鉄筋コンクリートによる折板構造がそのまま表現されているのがわかる。 2階の開放的なホワイエ。内部にも折板構造がそのまま表れている。壁画は設計者A・レーモンド夫によるもの。 ホール内観は圧巻。開放的なホワイエとの空間的対比。折板の頂部に光が当てられた照明計画。 舞台では中学生の楽団が当日の発表の練習中。 このところ、モダニズム建築をはじめとする20世紀の建築を再評価する風潮がところどころでみられるようになった。例えば、東京駅前の東京中央郵便局の建て替えに伴う保存や再開発反対に関し議論が起こったことは記憶に新しい。 しかし、そうした建築に関する一般的な感覚というのはどのようなものなのだろうか、と思うことがよくある。東京中央郵便局については、当時の総務大臣であった鳩山邦夫が「重要文

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  • 「大倉山アソカ幼稚園」−ふじようちえんに続く、手塚事務所の幼稚園建築 - mezzanine

    「ふじようちえん」で建築学会賞を受賞した手塚建築研究所(手塚貴晴+手塚由比)が新たに設計した幼稚園が、横浜・大倉山に完成した。 大倉山の山裾にある大倉山アソカ幼稚園は、室町時代に開創された「歓成院」の幼稚園。この歓成院の観音堂は同じ手塚さんの設計した建物で(2007年)、幼稚園はこの観音堂から奥に入ったところに位置している。 幼稚園は、一列に並んだ保育室が2階建てに並ぶシンプルな構成。ほとんどが柱と床スラブだけで構成された、無駄を削ぎ落とした姿からは、ル・コルビュジエのドミノシステムを想起させる。 それはいつもの手塚事務所のスタイルともいえるが、この建築ではその傾向にさらに拍車をかけたような、建築のある原型を提示しているようにも思われた。 しかし、手塚氏はその原型性によりかっこよさを目指したものでなければ、フォトジェニックなものを目指したものでもないように思う。あくまでもこの幼稚園デザイン

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  • ハナエ・モリビル−表参道の「建築×ファッション」の歴史を振り返る - mezzanine

    ハナエ・モリビル(1978年) ハナエ・モリビル建替えの第一報 年末から年始にかけて、何度か表参道のハナエ・モリビルを訪れる機会があった。1978年に故・丹下健三の設計によって建てられたこのビルは、昨年にオープン30周年を迎えている。しかし、その前に次のようなニュースも報じられていた。 07年6月、アンティーク街*1の各テナントに大林不動産から文書が届いた。2010年中のビル建て替えを告げる内容だ。一部改修した設備が老朽化し、10 年〜12年には再改修が必要になるため、ビルを建て替えることにしたと記していた。各店に対して退去や移転の説明を予定していることや、空室が発生した場合には入居者を募集しないことも表明している。 テナントの有志は08年3月31日付で、ビル保存への協力を求める書簡を複数の建築関係者に送付した。書簡のなかで、ビルの美しく上品な形が気に入っていることや、表参道の街が誇りとす

    ハナエ・モリビル−表参道の「建築×ファッション」の歴史を振り返る - mezzanine
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    blackspring 2009/09/04
     「ハナエ・モリビル、その後」→ http://d.hatena.ne.jp/ida-10/20090801/p1
  • 鹿児島の近代建築群 - mezzanine

    鹿児島に行ってみると数多くの近代建築が残っていて驚いた。 鹿児島の市街地は薩英戦争、西南戦争、太平洋戦争と幾度も打撃を受けているため、近代建築もさほど残っていないだろうと思っていた。しかし訪れてみると、確かに城下町の面影は残っていないものの、数多くの建築が残っている。これは多くの西洋館が建設された横浜、長崎、神戸といった開港地に劣らない質と量があるように思う。 試しにグーグルマップに落としてみると、鹿児島中心市街地には昭和初期を中心とした建築、東部の磯地区には江戸末期〜明治にかけての建築がそれぞれ残っているのがみてとれる。 大きな地図で見る 鹿児島市の近代建築を、東部の磯地区と鹿児島の中心部とに分けてみてみたい。 鹿児島・磯地区の近代建築 島津氏の磯庭園(仙厳園)のある磯地区は、「集成館事業」*1として日初の近代洋式工場群が建設されたところである。 尚古集成館(1865年) 日で初めて

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  • 建築的、不動産的―MVRDVのGYRE - mezzanine

    東京・表参道に新たな商業ビル"GYRE"(ジャイル、設計:MVRDV+竹中工務店、2007年)がオープンした。 相変わらず表参道が熱い。個人的には表参道の建築の表層のデザインとインテリアについて、また不動産投資と建築とブランディングという三者がどのように展開していくのかということに注目している。 建築とそのデザインが建築史上、社会的・外的な変化に対応して変化してきたことはいうまでも無いが、これまで建築が建築の内部だけに閉じた社会、例えば技術水準の向上によるデザインの変化といった20世紀的な変化だけではなく、加えて今日の「投資対象としての不動産」としての環境の中に建築がおかれ、また変化してきたような状況を今日の表参道の建築に強く認められるように思えるからである。 これがデザインの問題として表れてきたのが建築の「表層の問題」にほかならないと思う。これについては、以前伊東豊雄さんのTOD'S表参

    建築的、不動産的―MVRDVのGYRE - mezzanine
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    blackspring 2007/11/05
     GYRE(MVRDV)と日本看護協会ビル(黒川紀章) GYREは館内2階のギャラリースペースで行われるエキシビション「PIECE BY PIECE MVRDV」で、施設完成に至るまでの過程を映像や模型などを見ることができる。
  • Vivo City ―シンガポールの巨大ショッピングモール - mezzanine

    トランジットに5時間かかるため、無料バスによる市内観光をしてもよかったのだが、伊東豊雄さん設計のショッピングモール、ヴィヴォシティを訪れることにする。チャンギ空港からS$2.90でハーバーフロント駅へ。車内から見る街の様子は、緑がいっぱい、ショップハウス*1がいっぱい、という感じ。瓦屋根を葺いた住宅はパステルカラーに彩られていたりと、日に似ているといえなくもない風景も少し見られる。乗換えを含めて45分ほどでハーバーフロント駅に到着。ヴィヴォシティは駅に直結している。地下には巨大な駐車場があった。 ヴィヴォシティ(設計:伊東豊雄、2006年) 外壁のパターンやぐねぐねした意匠が伊東さんぽい。こりゃ徹底して海の波をモチーフにしてるんだろうなあ。伊東さんの好きな(?)水玉を変形させたようなパターンも様々なところで取り入れられている。 内部はまさに巨大なショッピングセンター。 トヨーイトー!的な

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    blackspring 2007/11/05
     伊東豊雄
  • 軽井沢の建築4 - mezzanine

    万平ホテル(設計:久米権九郎、1936年) 明治発足の西洋式ホテルの草分け、万平ホテル。 万平ホテル内の資料館を覗くと万平ホテルの昔の図面やポスターなどが見られる。この中で"since 1894"とあるのを目にしたが、1894年はそれまでの旅籠「亀屋」を創業者の佐藤萬平が欧米風ホテルへと改装し「亀屋ホテル」として創業した年。それから移転などを経て、万平ホテルが現在の場所に建てられたのが1936年ということのようだ。けっこうくたびれているなあ、というのが万平ホテルの正直な感想だが、メインダイニングは圧巻。ここでランチす。 設計を担当した久米権九郎は久米設計(当時、久米建築事務所)創立者で、このホテルと日光金谷ホテルで名声を得ることとなったらしい。万平ホテルの棟梁、小林代造は三笠ホテルも手がけている。 星野温泉 トンボの湯(設計:東利恵、2002年) 軽井沢の西、中軽井沢は軽井沢の発展と共

    軽井沢の建築4 - mezzanine
    blackspring
    blackspring 2007/08/28
     万平ホテル(久米権九郎) 星野温泉 トンボの湯(東利恵) セゾン現代美術館(菊竹清訓) 
  • 軽井沢の建築3 - mezzanine

    軽井沢に滞在しています。 * 軽井沢はかつての宿場町であるが、今日の避暑別荘地としての発展のきっかけは外国人宣教師にある。カナダ生まれ英国聖公会宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーが訪れ避暑地として紹介し、外国人を呼んだのがその始まりなのだそう。ショー自らも1888年に軽井沢に最初の別荘を建てていて、幾つかの建築や史料館を巡ると軽井沢の発展の様子がよく分かるが、1880年代末から1900年代にかけて急速に変化してきたようだ。ショー・ハウス(ショーの別荘)に続く外国人別荘、日キリスト教団、ユニオン・チャーチなどの創立に重なるように、料品店・衣料品店をはじめとする日用品店等が横文字の看板と共に軒を連ね、旅館は西洋人用のホテルに建て替えられた。まるで横浜など外国人居留地があった土地のような発展をみせたようである。そして今日、東京とその近辺の資家を中心とした別荘地が植民地のごとく広がって

    軽井沢の建築3 - mezzanine
    blackspring
    blackspring 2007/08/28
     旧三笠ホテル(岡田時太郎) ギャラリー桜の木(中村拓志) 田崎美術館(原広司) 市村記念館(あめりか屋)
  • 軽井沢の建築2 - mezzanine

    ついに吉村順三の「軽井沢の山荘」(1962年)を訪れる。 名作といわれるだけのことはあるなあ、と思った傑作。いろいろと建築を見て周っていると稀に心が洗われるようななんともいえない気持ちになることがあるけど、そんな数少ない建築のひとつになった。 聖パウロ教会(設計:アントニン・レーモンド、1935年)。 尖塔が特徴的。この近所に、吉村の軽井沢山荘を模したような建物がある。 石の教会・内村鑑三記念堂(設計:ケンドリック・バンクス・ケロッグ、1988年)。 私はカトリックでもプロテスタントでも正教徒でもないけど、軽井沢ではやたらと教会ばかり訪れた気がする。「石の教会・内村鑑三記念堂」もそのひとつで、「石」を輪切りにして間隔をおいて並べたような異色な外観をしている。「石」といっても実際はコンクリートだけど、この粗い素材感は悪くない。石の間にはガラスがはめられていてトップライトとなっている。設計者の

    軽井沢の建築2 - mezzanine
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    blackspring 2007/08/28
     軽井沢の山荘(吉村順三)→http://d.hatena.ne.jp/ida-10/20060619/p1 聖パウロ教会(アントニン・レーモンド) 石の教会・内村鑑三記念堂(ケンドリック・バンクス・ケロッグ)
  • 軽井沢の建築1 夏の家(ペイネ美術館) - mezzanine

    友人と軽井沢を訪れる。 * 軽井沢タリアセンの中にある美術館は、レーモンドの「夏の家」(設計:アントニン・レーモンド、1933年)を移築し美術館として再生したもの。 実現することの無かったコルビュジエの「エラズリス邸」(参考)の「パクリ」とかなんとか。でも石造のエラズリス邸と違い、この「夏の家」が木造であるところなどに相違点が見られる。また、現在は美術館として使われているために閉鎖的にせざるをえない状況であり、美術館として使用される前の状況は分かりにくいのだが、開放的なつくりだったことが容易に想像できる。コルビュジエの案では石造で柱が開口を分断してしまっているが、レーモンドの夏の家は大きく開口がとられている。つまり、コルビュジエ案以上に「自由な立面」を地で行ったといえ、それをスティールではなく木造で翻案しようというのがなかなか面白いと思った。 その開放的な様子は、移築前の昔の写真(参考)を

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    blackspring
    blackspring 2007/08/28
     ペイネ美術館(夏の家:アントニン・レーモンド)
  • 横須賀美術館 - mezzanine

    台風の中、借りた車でやっとこさ横須賀美術館(設計:山理顕、2007年)を訪れる。 思い出したのは、この美術館の設計者選定において初めて入札に代わる新たな選定方式として採用された「横須賀型資質評価方式(QBS方式)」について。この美術館のほかにも横須賀市では同方式により公共建築の設計者が選定されている。QBSはコンペと違い、書類審査とインタビュー、実績作品の視察が考慮されるもので、プランもスケッチも用意しない。自ずと計画する段階、過程において設計者と自治体の間で設計内容について検討しながら進めることになる。その点が良さそうだなどと学部の頃思ったが、その後どれくらい広まったのだろう。ただ、実績が求められるとなると若い建築家が参入できないため、若い建築家の未来を摘むことにもなるだろう。 私は横須賀市に住民票があるわけではないので偉そうなことは言えないが、訪れて楽しい時間を過ごせたという点で、成

    横須賀美術館 - mezzanine
  • 茅野市民館 - mezzanine

    長野の旅行でとりわけ良かったのは、藤森照信さんの神長官守矢史料館(と高過庵などその周辺の環境)、内藤廣さんの安曇野ちひろ美術館。前者は、今日の建築の議論の枠組みを超越したものであるように思えたし、その建築を含めた周りの環境にやられてしまった。後者は、自分の関心のある領域ということもあるけれど、ハードとソフトの両方の調和をみせていて、特に館長の松猛さんの考え方に、美術館運営に関する興味をもった。子どもも大人もお年寄りもゆっくり楽しめる幸せな美術館。 * 茅野市民館(設計:古谷誠章、ナスカ・茅野市設計事務所協会、2005年) 長野を訪れたときの玄関口としたのが茅野だった。 茅野駅の目の前に建つ茅野市民館は、マルチホール、コンサートホール、美術館、図書室などからなる複合施設。市民が積極的に参加してできたらしい。 特に大都市でみられる「エキナカ」の地方・公共版といったところ。正確には「ナカ」では

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  • 諏訪湖から松本へ - mezzanine

    茅野からほど近くの諏訪湖で伊東豊雄の諏訪湖博物館・赤彦記念館をひやかした後、松へ。部屋にテキトウに転がってきたCDケースを持ってきたが、中には高校の頃に聴いていたCDが入っていて、懐かしさを感じながらひた走る。 茅野から国道を通り約90分で松に着く。夕方になったのでホテルにチェックインし、 縄手通りなど市内中心部をぐるぐる歩いた後、辺りに飲みに行く。馬刺を出す店が多い。馬刺、いなごの佃煮などを日酒とともにしいい具合になったので寝る。 * 起床して、松市美術館(設計:宮忠長、2002年)へ。入ってすぐのところに草間彌生の「幻の華」が。 草間彌生って松出身だったのか…などと思いながら展示を見る。20代の頃の作品が見られるのが嬉しい。少女の頃から幻覚や幻聴を描きとめたというが、水玉というかドット状のモチーフが今日まで一貫しているよう。 設計した宮忠長さんは長野に腰をすえて活動する

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  • 安曇野ちひろ美術館経由長野行き - mezzanine

    を後にし車を一時間ほど走らせると、安曇野ののどかな田園地帯が目の前に広がってくる。なだらかな曲面の地面の広がり。車にして良かった、と思いながらふらふらと走る。 安曇野ちひろ美術館はそんな開けたところに建っていた。 安曇野ちひろ美術館(設計:内藤廣、1997年) 駐車場の脇に観光バスが数台見られるように、ここには多くの観光客が訪れているようで館内はにぎわっていた。館外でものびやかなランドスケープの中で子どもたちが遊んでいる。小さく抑えられた池の水深も、そうした環境を意図しているようである。 この美術館にはいわさきちひろに限らず、国内外問わず様々な絵作家・画家の絵や絵画、立体作品などが展示してある。「スーホの白い馬」なんてとても懐かしい。そういえば絵は美術史の中でも扱われないけど、そこに目をつけたこの美術館は一見の価値あり。 展示も面白いが、カフェなど展示室以外の場所もとても居心地が

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  • 藤森照信−神長官守矢史料館・高過庵 - mezzanine

    特急スーパーあずさで八王子から約1時間半。茅野で降り、神長官守矢史料館を目指す。 * 神長官守矢史料館(じんちょうかんもりやしりょうかん、設計:藤森照信+内田祥士、1991年) 神長官守矢史料館は鎌倉時代より守矢家で伝えられてきた守矢文書を保管・公開する史料館。史料は諏訪神社の祭礼に関するものが多いらしい。 この史料館は諏訪大社のほど近くにあるのだが、辺りの空間がすごい。史料館の周辺に点在するミシャグチ神、古墳などを見てまわると、神が当にそこにいるかのような、そこだけ時間が止まったような、そんな雰囲気を感じられる。こうした、いわゆる「畏れ」を体験をしたのは、子どもの頃に訪れた高野山以来かもしれない。しかも、高野山のような荘厳な空間でないにもかかわらず。 そうした原風景的な景観を残すこの土地には、藤森さんの建てた神長官守矢史料館の土着的な(というのも語弊があるが)建築が馴染む。いわゆる今の

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  • 長野市とその周辺の建築−守屋第一ビルヂング 他 - mezzanine

    長野で泊まった旅館の玄関の脇には長野の情報誌"KURA"のバックナンバーが置いてあった。長野の旅、寺などの特集が多く、長野版『男の隠れ家』といったところか。その一つで長野県内の建築特集が組まれており*1、藤森照信らが長野県内の建築を紹介しているため、いくつかをピックアップし訪れることにした。 守谷第一ビルヂング(設計:林雅子、1963年) 興味を持ったのは、長野駅のすぐ近く、タワーレコードの入るビルの隣に建つ守谷第一ビルヂング(IVYスクエア)。 この建築が60年代前半のものというのが興味深い。建物のすぐ裏の南千歳公園へと続く通り抜けの空間は、大都市と地方都市という違いはあるものの、市の中心部にある点で新宿の紀伊国屋ビル(設計:前川國男)(参考)の1階を思い出させる。両者が同じ頃の竣工(後者は1964年)であり、こうした試みがその後の槇文彦のヒルサイドテラス(1969年)の空間へと繋がるよ

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  • ふじようちえん - mezzanine

    立川にあるふじようちえん(設計:手塚貴晴+手塚由比、2006年)の内覧会に行く。 緑が青々としてきた、五月の今日みたいな晴れた日が好きだ。横浜線で八王子、拝島経由で向かう電車の車内からは緑が多く見える。 駅に着き、15分ほど歩いて訪れた幼稚園からはケヤキがにょきにょきと生えていて、屋根の上まで突き出して迎えてくれた。五月の晴れた日にこの建築を訪れられたのが嬉しい。 * 「ふじようちえん」は佐藤可士和さんがディレクション。佐藤さんが手塚貴晴+手塚由比さんに建築を要請してデザイン。築36年、老朽化した木造園舎の建て替えであり、500人という園児を受け入れる大規模な幼稚園ができあがった。 平面は楕円形。手書きのスケッチから起こされたというこのプランは正楕円ではない。平屋に並ぶ教室は家具でゆるやかに区切られていて、ところどころにトップライトが落ち、あるところではケヤキが建物の中を突き抜けている。屋

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    blackspring 2007/06/02
     手塚貴晴・手塚由比 佐藤可士和
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