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ブックマーク / ameblo.jp/addicto (3)

  • 『引っ越しという名の踏み絵』

    さて、3回にもわたって、しつこくギャラクティカ訴訟について述べてきたが、途中から話題が逸れて、 そもそもどうしてジョン・ダイクストラがILMから離脱したかが、不明なままになっている。 それを書かないと尻切れトンボだし、SDKさんからもご示唆いただいたので、今回はそれについて。 もともとルーカスは、SWには自社の特撮工房が必要と判断。 超えるべき当面の目標が『2001年宇宙の旅』(1968)だったので、その特撮担当だったダグラス・トランブルに声をかけたが、スケジュールが合わないと断られ、かわり?にダイクストラを紹介される。 ↓トランブルは自分の監督した『サイレント・ランニング』(1972)で、ダイクストラと組んだことがあった。 ダイクストラはルーカスの要望を実現するため、モーションコントロールカメラ(ダイクストラフレックス)を開発、 合成は35ミリフイルムの面積を2倍使えるビスタビジョンを、

    『引っ越しという名の踏み絵』
    bn2islander
    bn2islander 2011/01/31
    スパイ騒動と引っ越しが絡んでいると言うことかな。明確ではないけれど
  • 『LFL訴訟の行方(2)ギャラクティカ〈中編〉』

    さてさて、では正式に契約が交わされ、権利的にはとりたてて問題がなかったはずの『ギャラクティカ』が、なんで後になって盗作騒ぎになったのか。 それは、こんな事件があったため。 再びエドランドのコメント。 「ギャラクティカの製作中に、ユニバーサルの社員がILMに入ってきては、特製の光学(オプティカル)機器の写真を撮りまくり、装置の図面をコピーしまくっていた。 全てSWのために開発したもので、たまたま特許を取るヒマがなかっただけで、かんたんに流出を許していいはずなんかなかったが、文句を言おうにも相手は一応クライアントだし、肝心のギャラクティカの撮影で手一杯だから、何も言えなかった。 そしたらすぐ後になって、ユニバーサルはハートランドに自前の特撮工房を設立して、ILMの技術をまるまるいただいて、シリーズ後半の特撮をこなしたんだ。ハートランドには一度だけ行く機会があったけど、そこは完全にILMのクロー

    『LFL訴訟の行方(2)ギャラクティカ〈中編〉』
    bn2islander
    bn2islander 2011/01/31
    色々とひどいゴタゴタだけど、ダイクストラ自身とルーカスの絶縁が分からない。続きを楽しみにしよう
  • 『LFL訴訟の行方(1)ギャラクティカ〈前編〉』

    来は作家への歩みをつづる目的の、このブログ。 だけど、けっこう書き進んでたやつが……操作ミスでごっそり消えた。 なので、どうも真相が明らかになってない、あるいは日語でネット閲覧された痕跡のないスター・ウォーズ(SW)やルーカスフィルム(LFL)の黒歴史について、夏休み特別企画?として、不定期で書いていきます。 その第1回は、2003年からの完全再出発版「GALACTICA/ギャラクティカ」の評価が異様に高いために、さらに忘れ去られ度が激しくなった、オリジナル版『宇宙空母ギャラクティカ』(劇場公開題名)と(字数削減でカッチョ悪いタイトルの)テレビ「宇宙空母ギャラクチカ」(1978)について。 これについて、〈知ってる人が知ってる〉のは、ILMの当時の責任者ジョン・ダイクストラが、SW1作目終了後の特撮工房ILMの施設を勝手に使い、ライバルのユニバーサル社のテレビシリーズ「宇宙空母ギャラク

    『LFL訴訟の行方(1)ギャラクティカ〈前編〉』
    bn2islander
    bn2islander 2011/01/31
    ダイクストラがILMのスタジオを勝手に使ってルーカス激怒という話自体は存在するのか
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