さて、3回にもわたって、しつこくギャラクティカ訴訟について述べてきたが、途中から話題が逸れて、 そもそもどうしてジョン・ダイクストラがILMから離脱したかが、不明なままになっている。 それを書かないと尻切れトンボだし、SDKさんからもご示唆いただいたので、今回はそれについて。 もともとルーカスは、SWには自社の特撮工房が必要と判断。 超えるべき当面の目標が『2001年宇宙の旅』(1968)だったので、その特撮担当だったダグラス・トランブルに声をかけたが、スケジュールが合わないと断られ、かわり?にダイクストラを紹介される。 ↓トランブルは自分の監督した『サイレント・ランニング』(1972)で、ダイクストラと組んだことがあった。 ダイクストラはルーカスの要望を実現するため、モーションコントロールカメラ(ダイクストラフレックス)を開発、 合成は35ミリフイルムの面積を2倍使えるビスタビジョンを、
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