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ブックマーク / number.bunshun.jp (38)

  • 暴力消えない高校球界も…東北は“60歳の新監督”でなぜ成功? センバツ出場に導いた“元巨人選手の改革”「楽しかった野球を子ども達に返す」(氏原英明)

    今春のセンバツ出場が決まるも部員への体罰が発覚し監督らの解任が決まった東海大菅生。過去にパワハラを受けた部員が学校を相手に訴訟を起こした延岡学園、部員への暴力問題で監督の解任が報じられた大阪産業大附……。いま改めて、高校野球の指導のあり方が問われている。なかでもありがちなのが、名門校などが指揮官の代替わりに失敗するケースだ。 そんな中、強豪・東北高は昨夏に元巨人の佐藤洋氏を監督に招聘し、秋の宮城県大会を12年ぶりに優勝。つづく東北大会でも準優勝し、今春のセンバツ出場を決めた。指揮官の代替わりを成功させた東北はどんなチームに変貌したのか。“60歳の新監督”を訪ねた。(全2回の#1/#2へ)※取材は1月中旬に実施 ついに、この男に声がかかったのか。 巨人の内野手だった佐藤洋(ひろし)が母校・東北の監督に就任するというニュースを耳にした時、そんなことを思った。 新生・東北の新監督は「60歳」 N

    暴力消えない高校球界も…東北は“60歳の新監督”でなぜ成功? センバツ出場に導いた“元巨人選手の改革”「楽しかった野球を子ども達に返す」(氏原英明)
  • プロ野球選手→メンタルコーチ。今浪隆博が「うつ」に気づいた日。(佐藤春佳)

    「今浪さん、それ、うつ病でしたね」 日ハム、ヤクルトで活躍した今浪隆博がそんな言葉をかけられたのは、11年間のプロ野球生活を終え、半年ほど経った2018年のことだった。 現役時代に甲状腺機能低下症(橋病)と闘った経験から、医師会で講演をつとめた後、聴講していた精神科の医師から声をかけられた。 「甲状腺の病気の症状とうつ病を間違えるケースは実は多いんですよ」 医師の言葉に、今浪は不思議と胸のつかえが下りるような思いがした。 「ああ、あれってうつ病だったんだな、と。その時初めて納得できる答えにたどり着いた気がします」 体調は回復したが、心は重かった。 今浪は現在、都内でアスリート専門のメンタルコーチとして活動する傍ら、社会人の軟式野球の実業団チーム「GORILLA CLINIC BASEBALL」で監督をつとめている。なぜ元プロ野球選手がメンタルの仕事に興味をもったのか。きっかけは、まさに

    プロ野球選手→メンタルコーチ。今浪隆博が「うつ」に気づいた日。(佐藤春佳)
  • 「普通の人でいたかったです」須田幸太はベイスターズに殉じた。(日比野恭三)

    DeNAファン以外の人にとっては特別な選手ではなかったかもしれない……。昨秋、ひとりのピッチャーが横浜スタジアムから去った。“大魔神”でもなく、“番長”でもなかったが、チームとして大事な時期に活躍し、DeNAファンの記憶には必ず残っている投手でもあった。 須田幸太、32歳――この記事は、忘れがたき“普通の人”の去り際の物語である。 その人の顔がたびたび思い返されたのは、彼がさよならを言わずに去ってしまったせいだろうか。 2018年10月3日、横浜DeNAベイスターズは、9人の選手に戦力外通告を行ったと発表した。プレスリリースに並んだ名前の先頭に、その人――須田幸太の名前はあった。 11月13日に開催された12球団合同トライアウトに参加した須田を、獲得しようという球団は現れなかった。去就が明らかになるのはさらに1カ月後。須田自身が催したファンとの交流イベントで、プロ入り前に所属していた社会人

    「普通の人でいたかったです」須田幸太はベイスターズに殉じた。(日比野恭三)
  • 日本高野連から歓迎されなくても、新潟県が球数制限を導入した重み。(鷲田康)

    2018年の高校野球は大阪桐蔭の春夏連覇、夏の大会での秋田・金足農業旋風などに沸いた一方で、改めて高校野球そのもののあり方が問われた年でもあった。 特に夏の大会では地方予選の段階から、異常気象ともいえる猛暑による熱中症対策、また“金農旋風”の余波としてエース・吉田輝星投手の投げ過ぎがクローズアップされた。 その結果として大会主催者や監督などの指導者が故障や肉体的なダメージから選手をいかに守るのか、ということを強く問われた年でもあった。 その激動の2018年が終わろうとしている12月22日に、高校野球にとっては画期的な動きが地方から起こったのである。 新潟県高校野球連盟が来年4月に開幕する春季新潟大会で、投手の球数制限を導入することを明らかにした。 「やってみないと何も……」 「独自の取り組みとして、来春の大会で球数制限を導入する。やってみないと何も起こらない」 この日、新潟市内で開催された

    日本高野連から歓迎されなくても、新潟県が球数制限を導入した重み。(鷲田康)
  • 技術屋・中村剛也の見事な復活劇。「振り遅れるなら強制的に……」 - プロ野球 - Number Web - ナンバー

    おそらく技術屋なのだと思う。 10年ぶりにパ・リーグを制覇した西武のホームランアーチスト中村剛也のことだ。 「一番大事なのは身体ですかね。身体が動けば、技術も心も安定すると思っています」 朴訥とした語り口は昔から変わらないが、彼の懐になかなか入っていけないのは、他人が簡単に踏みこめない深い野球観があるからだろう。 その昔、中村の恩師である大阪桐蔭の西谷浩一監督に「アーチスト論」を語ってもらったことがある。当時最大の注目を集めていた中田翔(日ハム)を中心に、大阪桐蔭OBの関係性を解説してもらったのだ。 「ボールを飛ばすという意味でのパワーだったら中田が一番です。でも、技術は断然(中村)剛也です。ああいう体型しているから力だけに思われますけど、剛也の技術は相当に高かったですよ。中学時代から変化球を狙って打ちに行っていましたからね。 分かりやすく言うと、例えば中田は相手投手の力に対して力でまと

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  • 球数問題は高校どころか少年野球も。投げすぎは「将来性の先食い」に。(広尾晃)

    今夏の甲子園ほど、選手の健康面への懸念が取りざたされた大会はなかっただろう。気象庁が「災害級」と表現した酷暑の中、金足農・吉田輝星が1回戦から決勝までで、881球という投球数を記録した。彼の存在が活発な議論に拍車をかけたのは間違いないところだ。 しかし「球数制限」の問題は何がポイントで、どこに問題があるのか、今ひとつはっきりしない。ここでは高校野球の「投球数」について振り返りつつ問題点を整理し、論点を明確にしたいと思う。 高校野球でメディカルチェックが入るようになったのは、1991年夏の沖縄水産のエース、大野倫の負傷がきっかけだった。イチローと同じ学年の大野倫は世代屈指の好投手だったが、監督の「お前と心中する」と言う言葉に押されて、地方大会から決勝戦まで投げぬいた。 甲子園では773球を投げたが、決勝戦後、右ひじの剥離骨折が明らかに。大野倫はこの時点で投手を断念することとなった。当時の高野

    球数問題は高校どころか少年野球も。投げすぎは「将来性の先食い」に。(広尾晃)
    bohemianway
    bohemianway 2018/09/07
    厳しい
  • 野球と生きる――。多田野と榎下がファイターズで歩む第二の人生。 - プロ野球 - Number Web - ナンバー

    弊球団のスタッフなので以下、敬称略で表記させていただくことを、まずお断りしておく。 多田野数人と榎下陽大。OBの2人である。 現役時代はチーム内からは野球への姿勢、誠実さに対して一目置かれていた。その人間力が溢れるプレースタイルで、ファンの方々にも、こよなく愛された投手だった。 今年1月から、チーム統轄部に配属された。 ゼネラルマネジャー(GM)を頂点として編成の全権を担う部門である。今シーズン、また未来も含めてチームの命運を握っているのが同部である。野球を生業とするプロ野球球団が成立するための絶対的な根幹が、ここにある。 松坂世代と斎藤世代、2人の仲間が。 いわゆる「松坂世代」で38歳の多田野はプロスカウト。チームメートだった斎藤佑樹投手と同い年30歳の榎下は、国際グループの一員に着任した。ともに昨シーズン限りで現役生活に区切りをつけ、編成部門の要職を託されたのである。 野球に明るい

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  • なぜ、球団は育てた選手を手放すか。その裏にある痛みと愛情と哲学とは。(高山通史)

    妄想してみると、ちょっとしたドリームチームが完成していた。セ・リーグとの交流戦開幕を控えた最近のことである。 5月の福岡遠征。前職、スポーツ紙の記者時代の大先輩と雑談をする機会があった。 「みんな残っていたら、とんでもなく強かったやろうな」 指を折って数え、お互いに名前を挙げていった。 アメリカへ目を向ければ、ダルビッシュ有投手と大谷翔平投手はメジャーリーガーで、それぞれのチームでエース格である。 国内他球団であれば阪神タイガース糸井嘉男外野手、オリックス・バファローズ小谷野栄一内野手、増井浩俊投手、中日ドラゴンズ大野奨太捕手は現在、主力級で各チームの屋台骨を担っている。 各球団に在籍する日ハム「OB」。 読売ジャイアンツ吉川光夫投手は今シーズン、先発ローテーションの一角をつかんだ。チームメートの陽岱鋼外野手は故障から復帰間近だが、そのアクシデントさえなければ開幕からレギュラーが濃厚だっ

    なぜ、球団は育てた選手を手放すか。その裏にある痛みと愛情と哲学とは。(高山通史)
  • 大谷翔平が最速“インストール”したプホルス先生の「ヒールダウン打法」。(鷲田康)

    人選手の多くが悩んだメジャーリーグへの適応。この短期間での大谷の尋常ならざる急成長ぶりには理由があった。 翔タイムが続いている。 開幕から約2週間、ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平投手のメジャーデビューを追ってオークランドからアナハイムと米国を旅してきた。 半信半疑だった現地のメディア、関係者も、打者としていきなり3連発した直後に、今度は投手として7回途中まで“完全未遂”のピッチングを見せられては、もはや二刀流を認めざるをえないのは言うまでもない。手のひらを返したように、大谷賛歌が現地を賑わせていることは読者もご承知の通りである。 それではなぜ、ここまで大谷が絶好なスタートダッシュを切れたのか? 2週間の取材旅行の中で感じた1つの要因をここで書いてみようと思う。 オープン戦では投打に出遅れたように見えたが……。 当初から投手ではある程度、早い段階から結果を残せるが、打者では少し苦労す

    大谷翔平が最速“インストール”したプホルス先生の「ヒールダウン打法」。(鷲田康)
  • なぜ、源田壮亮は誰からも信頼されるのか。新人王に学ぶ組織でポジションをつかむ術。(鈴木忠平)

    源田壮亮は昨季のパ・リーグ新人王である。プロ野球史上初めて、新人の遊撃手として全試合フルイニング出場を果たした。そして何より彼の経歴で興味を惹かれるのは、愛知学院大でも、社会人の名門トヨタ自動車でも、埼玉西武ライオンズでも1年目からポジションをつかんでいることだ。つまり、どんなボスにも信頼される男――。 「信頼されていたんですかね……。そんなに信頼されていなかったと思うんですが……」 目の前にいたのは消え入りそうな声で喋る自信なさげな青年だった。おそらく源田と話した人は誰もが最初、彼の経歴と実際の人物像とのギャップに驚くだろう。表向きには見えにくい源田の凄さとは、どこにあるのだろうか。 「やられた」と思った先に源田がいる。 昨シーズンの序盤、ルーキー源田は監督からこう言われたという。 「俺は若い頃、ほぼ全試合に使ってもらって、それからシーズンの戦い方や過ごし方がわかるようになった。それと同

    なぜ、源田壮亮は誰からも信頼されるのか。新人王に学ぶ組織でポジションをつかむ術。(鈴木忠平)
  • 濱口遥大の球を誰よりも受けたから。好投導いたDeNA高城俊人の観察眼。(日比野恭三)

    今年の日シリーズをここまでおもしろくした立役者の一人として、もっとスポットライトが当てられてもいい。 横浜DeNAベイスターズの第3捕手、高城俊人だ。 3連敗で追い詰められた第4戦、ドラフト1位ルーキーの濱口遥大とバッテリーを組み、大一番に先発出場した。2人は重圧に屈するどころか、若さゆえの馬力でパ・リーグ王者を圧倒した。8回途中まで安打を許さず、反攻の足がかりとなる初勝利をもぎ取った。ホークスによるスイープ(4連勝)もあるかと思われたシリーズは、ここから明らかに潮目が変わった。 CS広島戦でも濱口-高城バッテリーが救った。 ポストシーズンに入り、チームがこのコンビに救われたのは2度目だった。 CSファイナルステージ初戦、失点直後の降雨コールドというやるせない負け方を喫したベイスターズは、わずか5イニングしか戦っていないにもかかわらず「0勝2敗」からの巻き返しを強いられた。 逆の見方をす

    濱口遥大の球を誰よりも受けたから。好投導いたDeNA高城俊人の観察眼。(日比野恭三)
  • DeNA前社長・池田純が今だから語る。ラミレス抜擢と“暗黒期”の秘話。(池田純)

    池田氏はラミレス監督就任発表の会見で「チーム全員の力で闘っていくという姿勢が見えた。勝負できるんじゃないかと思った」と語っていた。 横浜DeNAベイスターズが日シリーズ進出を決めました。私は辞めた身ということもありますが、現球団とはまったく関係がありません。ですが選手、スタッフを含め、横浜という街が盛り上がって、当によかったと感じました。 アレックス・ラミレス監督とは、現役時代から親しくしていました。彼と英語でコミュニケーションをしっかり取れるのが私くらいしかいなかったので(笑)。選手のころから、ラミレスは「将来はマネージャー(監督)をやりたい」と話していました。 10名ほどの監督候補の中で決め手になったのは……。 2015年、中畑清さんが監督を退任され、次期監督を選ぶ時のことです。ラミレスは監督に向いているのではないかと思い、高田繁GMを含めて三者面談を行いました。その時の情熱がすご

    DeNA前社長・池田純が今だから語る。ラミレス抜擢と“暗黒期”の秘話。(池田純)
  • ドルトムントCEOが語った経営と愛。「日本人はそう思わないんですか?」(山口裕平)

    クラブのポロシャツで登場したヴァツケCEO。経営者というよりも、サッカーとドルトムントを愛する人という印象が強烈だった。 浦和レッズのホーム、埼玉スタジアム2002があれほど赤以外の色で染まるのは、代表戦を除けばあまり見られない光景だった。 香川真司が所属することで知られるドルトムントは、世界で最も観客数が多いサッカークラブであり、そして実は2000年代半ばには破綻の危機に瀕していたクラブでもある。 そのドルトムントを率いるハンス・ヨアヒム・ヴァツケCEOは、経済的V字回復を果たした敏腕経営者である。しかし同時に、それ以上にサッカーを愛するごく普通のいちサッカー好きの側面も持ち合わせていることが、話を聞くうちにわかってきた。 ヴァツケCEOサッカーのどこに惚れこみ、そしてどのようにドルトムントを現在の地位まで導いたのか。 ――ドルトムントのファンは今や世界中にいます。先日も年間チケット保

    ドルトムントCEOが語った経営と愛。「日本人はそう思わないんですか?」(山口裕平)
    bohemianway
    bohemianway 2017/07/22
    野球ファン視点でも学ぶところの多い記事
  • ラミレス監督、Number独占告白。外国人選手との交流は難しい!?(日比野恭三)

    同じベネズエラ出身のロペスとラミレス監督。成績に波があったものの、ロペスとは9月時点で来季からの2年契約を結ぶほどの信頼関係にある。 横浜DeNAベイスターズのラミレス監督が、2016年を振り返り、「ここまで話していいの?」というところまでじっくりとシーズンを語り尽くすNumberWeb独占の連続インタビュー。第2回は、4月のスタートダッシュ失敗から一転、好調に勝ちを重ねた5月から、これまでずっと鬼門だった6月の交流戦と前半戦終了までを振り返ります。 ルーキー・戸柱恭孝捕手をレギュラーとして使った理由、そして交流戦でその強さを見せつけられた意外なチームとは……。 ――5月4日のスワローズ戦から梶谷隆幸選手が復帰し、翌5日の試合ではホームスチール成功もあって連勝を飾りました。このあたりから一気に流れが変わりましたね。 「梶谷がチームの雰囲気を完全に変えてくれた。あのホームスチールがアウトだっ

    ラミレス監督、Number独占告白。外国人選手との交流は難しい!?(日比野恭三)
  • <ベイスターズ社長の独り言>第15回「昨年比140%の理由」 - プロ野球 - Number Web - ナンバー

    まず上のグラフをご覧ください。これは'11年から'15年までのベイスターズの業績推移です。私たちが参入する前と比べて売上は50億円から93億円へと倍近くに増え、赤字は28億円から3億円へと黒字化目前まで改善しました。そして右端が横浜スタジアムと球団の業績を単純に合算したもの。つまり、一体経営は約4億円の黒字がスタートラインとなります。 一方、チーム順位はずっと下位。私たちはプロ野球という勝負の世界にありながら、結局勝てず、ファンを毎年がっかりさせながらも、どうにかマーケティングを駆使して右肩上がりの成長を経営では果たしてきたことが分かるグラフです。 売り出しが始まった今季の3月・4月のチケット販売も非常に好調で、昨年比140%で滑り出し、グッズ販売など他の指標もおおむね全て昨年比140%で推移しています。シーズンシートにいたっては、オープン戦が始まる前の段階で早くも完売しました。宜野湾のキ

    <ベイスターズ社長の独り言>第15回「昨年比140%の理由」 - プロ野球 - Number Web - ナンバー
  • 横浜スタジアム買収で広がる「夢」。発表された“未来予想図”がスゴイ!(村瀬秀信)

    ライトスタンドがないという、あまりに斬新な構造。でも街を歩く人にスタジアム内が見えるのは、結構いいかも? 私どもには夢があります――。 世間がセンテンススプリングでざわつく木曜日。横浜DeNAベイスターズにも春が来た。昨年の11月24日からはじめた横浜スタジアムに対する株式公開買付けを完了したことを会見にて発表。横浜DeNAベイスターズ球団社長は、キング牧師みたいに「I have a dream」とやった。 今回のTOBで71.12%の株式を新たに取得したことにより、株式会社横浜スタジアムは、今月28日から株式会社横浜DeNAベイスターズの子会社となる。長年の悲願だった球団と球場の一体経営が実現し、構造の大変革を成し遂げたことで健全な経営への道筋が整うという「最大の補強」を成し得たわけだが、会見の最中、池田純球団社長が持ち出した一枚のパネルに描かれた“横浜スタジアムの未来予想図”というもの

    横浜スタジアム買収で広がる「夢」。発表された“未来予想図”がスゴイ!(村瀬秀信)
  • 野球部の「上下関係」が現在変化中。命令と服従ではなく、敬意こそが絆。(安倍昌彦)

    お正月の2日、3日は、大学駅伝のテレビ中継の“絶叫”が目覚まし時計代わりとなる。 朝の7時から、ランナーたちの激走を伝えるアナウンサーの爆声が家じゅうに響き渡るから、なんだなんだと起き出して、おお今年もやってるか……と、なんとなく見入ってしまう。 今年は青山学院大が2連覇を遂げた。 2日目、東京・大手町のゴール付近。 おそろいの青緑のウインドブレーカーを身につけた部員たちが横に広がり、肩を組んでアンカー・渡辺利典選手のゴールインを今か今かと待ち構えている。 笑顔でアンカー到着を待ち望む選手たちの顔、顔、顔。 やりきった満足感、出しきった爽快感。 日の若者たちがみんなこんな顔をして生きていたら、どんなにたのもしいだろうね。そんなことをボンヤリ思いながら、ふっと気づいたことがある。 4年生って、誰なんだろう? 上級生が見た目から分からない、という現象。 学生野球の4年生たちの“現役”は、ほと

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  • Not Found - Number Web - スポーツ総合雑誌ナンバー

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  • パ・リーグの成長。~10年間で約150万人の観客増~(小川勝)

    2014年のプロ野球はソフトバンクの優勝で幕を閉じた。パ・リーグの日一は2年連続で、最近10年間では7回目となった。'14年で、近鉄とオリックスの合併発表に端を発した選手会ストライキから10年。「パ・リーグの赤字は構造的なもの」と、1リーグ化をオーナー側が主張した球界再編騒動のあと、この10年でパ・リーグはどのように成長してきたのか。この点について、主に観客動員の面から考えてみたい。 観客について、いわゆる「実数発表」が始まったのは球界再編騒動の翌年、2005年から。別表は、パ・リーグの6球団に関して、1年ごとにその変遷をたどったものだ。 こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。 NumberWeb有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り: 1579文字 NumberWeb有料会員(月額330円[税込])は、この記事だけでなく NumberWeb内のすべての有料記事をお読みい

    パ・リーグの成長。~10年間で約150万人の観客増~(小川勝)
  • 中学2年、川崎がイチローを知った日。「大体おかしいじゃん、カタカナだし」(川崎宗則)

    川崎宗則が昨年の7月11日にヒーローインタビューで発した「See you tomorrow」という言葉は、あまりにキュートだと世界中にファンを生んだ。 「メジャーで最も愛される日人選手」こと、川崎宗則選手。 苦労は表に出さず、苦しい時こそ前にでる。 そんな、野球小僧の人生論がになりました。 3月26日発売の『逆境を笑え 野球小僧の壁に立ち向かう方法』より、 Number Webでは特別に、イチロー選手との出会いの項を公開します。 小学生から中学2年まで、おれは右バッターだった。 右利きだったし、右で打つのが当たり前だと思ってたからね。小学生のときは、ランニングホームランも打ったし、ヒットもけっこう打ててたと思う。 それが中学に入ったら、先輩たちより打球が遠くへ飛ばないことに気づいた。みんな体が大きいのに、おれは細くて、背もそんなに高くなかったから。中学1年のときは、バットが重くて、振れ

    中学2年、川崎がイチローを知った日。「大体おかしいじゃん、カタカナだし」(川崎宗則)
    bohemianway
    bohemianway 2014/03/30
    純愛じゃないか