ってあるじゃん あれオリジナルならともかく版権絵だとちょっと問題があるよね 例えばTwitterだと描いた本人のツイートがRTで回ってくることが多いけど、そうなるとどうしても 「絵に写ってない誰か」=「その絵を描いた人」って認識しちゃうんだよね だから絵を見て真っ先に思い浮かぶのは女が絵師に寝取られてる光景なんだよね 僕はNTR属性持ってないから毎回しんどい気持ちになっちゃいます
でもおっさんにはなりたくない。。いや正確に言うと頑固に固まった 価値観を持った人間になりたくないという意味なのだが。。。 私は40代になった。諸先輩を見てるとまだまだ感覚が若い人も多い。 20代の人には言っておくけど、30代をおっさんとは言わないで欲しい。 30代はまだまだ感覚も若いし、10代の話でもアンテナは低いが、 理解もできれば、共感できる感覚を持ち合わせている。 だが、私はおっさんになりかけている。どういうことかというと、 今まで理解できていたことが理解できなくなっているし、 共感もできなくなってきているのだ。。。自分が怖い。 このままおっさんになりたくない。。。 ●最近の笑いがわからなくなってきている。 昔は違った。新しい芸人さんや流行の笑いもついていけたのだ。 ついていけたというのは=面白いと感じることできた。 ブルゾンちえみの笑いがわからない。 カミナリの漫才が痛そうに見える
頻発する空襲を経てもなお「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」と言い続けた日本政府(前回記事を参照)。この方針は、一挙に大規模となった東京大空襲の被害を目の当たりにしても、変更されなかった。 一度始まった政府方針は、簡単には修正されない。それでも、当時の政府方針に立ち向かおうとした議員がいた。その渾身の言葉に耳を傾けて、いま私たちはどう生きるべきか考える糧にしたい。 10万人が死亡しても「空襲を恐れるな」 1945年(昭和20年)3月10日の深夜0時08分、約300機のB29爆撃機が東京上空に飛来し、約2時間で33万発以上の焼夷弾を投下した。「東京大空襲」である。 現在の江東区・墨田区・台東区を中心に、千代田区や江戸川区も含む広範囲が焼け野原となった。一夜で10万人が死亡し、罹災家屋は27万戸にのぼった。 この大惨事を受けて、さすがの日本政府も「逃げずに火を消せ」の方針を変更するかと思いきや
職場に新しく入ってきた人とうまくコミュニケーションがとれそうもない。 何を教えても「そうですね」というまるで他人事のようなリアクションが気になって早数週間。 「~~はこうだよ」「そうですね」 「~~しないで」「そうですね」 「~~を優先して」「そうですね」 …… そうですねって言葉、もう次に一度でも聞いたら反射で怒ってしまいそう。 わかりました。などの言葉に言い換えられないのか? そうですね、って双方があらかじめ知っているだろうということの確認に対する頷きでならともかく、初めて聞いた、知ったことに対して使うにはちょっと反応が薄い印象がある。 ほんとに分かってんのか!リピートアフターミー! 説明する側を不安にさせる武器としておすすめな気がしてきた……。そうですね、っていう相槌。 なんのために持つ武器なのか、これっぽっちも分からんけども。 そうですねーと軽くあしらわれても、理解してくれてるなら
これがリベラルのみなさんが望んだことなんですかね。ノンキャリ一人自殺に追い込んで勝利ですか。はいそうですか。よかったですね。
ほんの数ヶ月までぼくは 「彼女なんてまっっったく欲しいと思わない。欲しいと思う奴が理解できない」 「結婚?人生の墓場だろ?なんで女のATMに進んで成り下がるのか理解できない」 と本気で思ってた。 口にも出してた。 友達と会ってはそういう話ばかりしてた。 彼女が出来たことはなかったけど、非モテの僻みとかそういう意識もなく、 心の底からそう思ってた。 だからこそ、その時のぼくと今話ができるとしたら 「おま、ちょっとそこ座れ」といって 二時間くらい説教したい。 「いいから、彼女つくれ」と説教したい。 「結婚が男のATM化とかいうけど、そういうことじゃないんだよ!」と。 恋人が出来ると自分の世界観や価値観が一八〇度変わるのだ。 出かける場所も変わるし、考えかたも、嗜好も、生活のリズムも、なにもかも変わる。脳の中が完全に書き換わったみたいだ。 彼女のいなかったその頃のぼくと、彼女がいる今のぼくは、
Twitterで匿名の質問(メッセージ)を受け付けて回答するサービスの一つに「マシュマロ」というものがあります。 ここ1ヶ月間、回答をしていたのですが、書物を紹介することが多くて、数えてみると100冊を越えていました。 検索の便宜をかんがえて、まとめてみます。 なお、配列は概ね日本十進分類の順になっています。 000 【総記】 100 【哲学】 200 【歴史】 300 【社会科学】 400 【自然科学】 500 【工学】 600 【産業】 700 【芸術】 800 【言語】 900 【文学】 000 【総記】 「頭が良くなる」というのはLisperの自虐ギャグなので無視して下さい。お勧め本は『Land of Lisp』です。アウトレイジなLisperノリとレトロ・ゲームに酔ううちにLispが身につきます。#マシュマロを投げ合おう https://t.co/lFQLu8QvFo p
山極寿一(やまぎわじゅいち) 1952年生まれ。霊長類研究の第一人者で、特にゴリラに詳しい。「ゴリラは語る」「『サル化』する人間社会」など著書多数。元日本霊長類学会会長。2014年に京都大学学長就任(任期6年)。 国立大学が「民間発想のマネジメント」により「自律した経営」をする「法人」となって、十余年。以来、国から支給される基礎的な運営資金が毎年削減される中、教育や研究に充てる資金を、国立同士、あるいは私立や公立と競い合うようになった。教育や研究はどの大学もが担う使命だ。だとすると、国立大学が「国立」であり続ける意味はどこにあるのか。国立大学協会会長、日本学術会議会長も務める京都大学の山極寿一・学長に聞いた。(聞き手・読売新聞専門委員 松本美奈、写真・守屋由子) 次回は五神真・東京大学学長 ウェブ上で「交論」しませんか。(サイト上匿名もできますが、名前、職業、年齢、連絡先は明記を) メール
こんばんは、牡蠣です。正確には、前世で牡蠣でした。無脊椎動物のため、当時は考えるということができず、ただ感じていただけでした。 あなたに教えてあげられることとしては、リズムについてです。海には大きなリズムと小さなリズムがあり、その波のなかで波に打たれ揺らぐ自分の体(身)は肺もないのに呼吸をしているようでした。私は穏やかな入江に暮らしていましたが、あまりに波が静かになるリズムの只中では、体が刺激を求め、どんな些細な水のゆらぎも感じ、その微細な振動の中にさらにリズムを見つけることができました。まれに、その整ったリズムを破るように私の背中にガリッ、ザリッという衝撃をうけることがあり、あれはおそらくイシダイなど立派な魚たちが私を噛んでいたのだと思います。食いちぎれなくてさぞかし悔しかったでしょうね。 私は、ある日体が溶けはじめ、それで命を失いました。波のリズムが遠のき、些細な刺激も消え、ほんとうの
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