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2010年2月25日のブックマーク (3件)

  • 敷居に住む人々 - 敷居の部屋

    さて、ここでは仮にその「名前のない集団」が生まれつつあると仮定して、それに名前を付けてみることにしよう。「オタク」と「非オタク」の境界線を意識しないということから、「ノーボーダー」というのはどうだろう? 「オタク」も「一般人」も死んだあとに。 - Something Orange そのネーミングは微妙だと思うけど、記事の内容はとてもおもしろい。 そもそも、ノーボーダーは趣味嗜好によって自分を規定することがないのだ。その文化おもしろいと感じるうちはそれを楽しむが、そうでなくなったら(内心ざんねんに思いながら)そこから離れる。ノーボーダーにとって、文化とはそれだけのものだ。 もちろん、ある文化に熱中するノーボーダーの態度が「オタク的」に見えることはあるだろう。しかし、ノーボーダーはその文化、その趣味に「意味」を見いださない。かれにとって、趣味とは「ただ好きなだけ」のものであって、じぶんを定義

  • 「好き」に境界線を引かない。 - Something Orange

    先日の記事にこのようなコメントをいただいた。 オタクの特性に対しつっこまれて、海燕さんがそれは自分と違うと思うのは正しい感覚なんですよ。 何故なら、海燕さんはもう世間の観るオタクの域を超えているからです。 あなたの器がもうオタクをはみでているので、世間が責めるオタクに、あなたが当てはまらないだけでしょう。 ですから、あなたがまた下に降りてオタク擁護するより、もう自分の成長を素直に認めればいいだけのこと。 海燕さんは過去の自分が属していたまだ未熟だった頃のオタクイメージ。 その中に未だ固執し、捉われているのでしょう。 そこから出ているので、岡田さんと同じように、オタクに括れない新しい名前なき集団。 オタクから出て、進化したオタクとして、自分たちのグループを意識し、そこから発言すればいいのでは? べつだん、じぶんが「オタク」を超えているとは思わないが、しかし、ちょっと考えさせられるコメントでは

    「好き」に境界線を引かない。 - Something Orange
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    bouncing 2010/02/25
  • 「好き」って気持ちはそんなに重要なのかどうか - はてなで留まってすぐ溶解

    まなめさんの纏めで気になるエントリを見つけた。 ・「好きなもので自分を語れよ」という言葉がきらい - さまざまなめりっと - はてなグループ::ついったー部 hexagonzero 嫌いなものじゃなくて好きなもので自分を語れよってあるじゃないですか。おれあの言葉がなんとなくきらいで。なんでかというと、好きなものって心の宝箱の底にそっと隠したキラッキラの宝石じゃないですか。そんなねえ、たやすく人様に見せるもんじゃないでしょうが。 hexagonzero それに、大したものじゃなかったりするわけですよ。それを見せろだなんて。デリカシーないにもほどがあると。宝箱のキラキラは、出したら色あせるんだよ。それを知らない人間の、うわべだけの言葉なんですよ。ほら、ためしに出します。おれ出す。どんだけ色あせるか、ためしに出すから。 hexagonzero 東大、超絶美人、おっぱい、治療中に顔に当たる。 he

    「好き」って気持ちはそんなに重要なのかどうか - はてなで留まってすぐ溶解
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    bouncing 2010/02/25
    この気持ちかな→ 「さいごのろっく」 桃井はるこ