憎しみからは何も生まれない。きれいごとではなく本当にそう思う。憎しみを出発点にしているかぎり、高くは飛べない。憎しみに足を引っ張られてしまうから。 僕は犬の散歩を眺めるのが好きだ。我が家は、車の通りがほとんどない、旧家や資産家が居宅をかまえる非常に環境のよろしい土地にある。前の小路は小鳥がさえずり、下水道のせせらぎが心地良く、人々の散歩コースになっていて、そこをいろいろな人たちが柴犬、チワワ、ブル、レトリバー、さまざまな犬たちを連れているのを眺めていると、僕は心がすっと落ち着く。こんな時間が永遠に続けばいいのにとさえ思う。「柴犬狩り」がはじまった今、その思いは強くなるばかりだ。一週間ほど前の話だ。ウチの前に大きなウンチが落ちていた。サイズと形状から人糞だと思われた。人糞を見つけたのは、僕で、早朝。発見時刻となかば液状化している人糞の状態から、酒をしこたま飲んだ人間が猛烈な便意を耐えきれず、