タグ

ブックマーク / chikyuza.net (6)

  • 丸山眞男「政治の世界 他十篇」の解説から | ちきゅう座

    <山端伸英> 最近出版された岩波文庫の「政治の世界、他十篇」の解説で松礼二という大学教授が、丸山眞男の「政治学者」へのイメージについて次のように言っている。 「すなわち政治学者は医者にして指揮者であれと。今日の学問状況を前提にすれば、率直に言って、これは過大な要求であり、解説の執筆者自信を含めて大方の政治学者にとって、いささか迷惑である。」 ここでは丸山以降の70年代80年代の政治学者たちの動きがまったく捨象されている。例えば松礼二自身が参照したと言っている田口冨久治「戦後日政治学史」の中で絶賛された高畠通敏は、晩節に天皇制下での『出世』を計ったにせよ、「市民政治」の中での政治学者の位置づけを計っていた時期がある。また松下圭一は政治に理論的にかかわることを続けていた。その後、北岡伸一や山口二郎などが政府や党の御用学者然として政治学者をやっていたことがある。 松礼二の言う「大方の政

  • 倉塚平先生を偲ぶ1 倉塚平氏の思い出――明治大學政経学部での出会いなど | ちきゅう座

    <戸塚秀夫(とつかひでお):東京大学名誉教授> はじめに 倉塚さんの訃報友人たちに伝えたとき、「偲ぶ会」をもてないか、という声を届けてくださったのが松沢弘陽氏であり、それに直ちに賛同してくださったのが和田春樹氏であった。このお二人に登場していただければ、倉塚さんの学問と実践の全貌が浮かび上がるに違いない、というのが私のアイディアであったが、ともにペーパーが準備された立派なご報告であった。それに較べれば、私の話は即席の雑談程度のもので、ここに収録するのも気恥ずかしいのだが、倉塚さんが生きた時代、ベースとした職場の雰囲気をつたえるつもりで、少し手を入れて投稿することにした。学者の道を歩み始めた彼の初心に接した当時のことが、私の倉塚論の前提になっているように思うからである。なお、「偲ぶ会」で刺激されて調べたこと、宿題として意識したことについては、補遺としてメモすることにする。 明大政経学部での

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2021/03/16
    “当時の大學は「全共闘運動」の後遺症に苦しんでいたが、倉塚さんが帰国後に出版した『異端と殉教』(筑摩書房、1972年)には、それに応えるかのごとく、心情的ラディカリズムへの警告が明記されていた”
  • 倉塚平先生を偲ぶ2 倉塚平さんの人と学問―人間の解放を求めて | ちきゅう座

    <松沢弘陽(まつざわひろあき):北海道大学名誉教授> 私の報告を明治大学政経学部のお二人への感謝から始めたい。生方卓さん(以下敬称略)には、去年の夏頃から今日まで、会の構想を練り、案内の発送・会場の準備から会の後の懇親会の手配にいたるまで、細大にわたって取りしきっていただいた。高橋一行さんは、『政経論叢』(67巻1・2号)を「倉塚平教授古稀記念論文集」として編集され、詳しい年譜・業績目録を作られた上、倉塚さんの研究と学者・知識人としてのプロフィールを描く生き生きしたエッセイを記された。私は去年の六月から、高橋さんのこのお仕事のコピーを絶えず参照して、今日の報告の準備を進めて来た。 生方さんは、今日の三人の報告の主題についてよく考えたテーマを示された。ただ私に与えられた「倉塚平氏の学問―政治思想史・宗教改革史研究を中心に」は、私には荷が重過ぎる。私は日政治思想史の研究者だが、倉塚さんが力を

  • 改元奉祝のなかで、「天皇依存」の系譜(2)そして、歌人たち | ちきゅう座

    <内野光子:歌人> 天皇が原発をやめよと言い給う日を思いおり思いて恥じぬ(吉川宏志) 『短歌』2011年10月 『燕麦』2012年所収) 東日大震災による原発事故の直後に、吉川宏志が発表した作品である。当時、結句の「恥じぬ」の解釈をめぐって、若干の論議が交わされた。「ぬ」は完了なのか、「打消し」なのか、つまり「恥じた」のか「恥じない」のかどちらなのかと。私は、それまでの吉川の作品や発言から当然、「恥じた」として読んだ。「打消し」なら「恥じず」とするのが自然だからとも思った。作者は、もちろん「完了」の方だと明言し、近年の平井弘とのインタビューの中で、吉川自身、この一首について、つぎのようにも語っている。 「天皇に『原発をやめよ』と言ってもらおう、という発想自体に、天皇を利用しようという心根があるわけでしょう。それが恥ずかしい、という歌なんですよ。ただ、今の状勢を見てたら、天皇が言ってもだめ

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2019/03/17
    “「単純に天皇制は悪だとは考えない立場」をとるのは自由だが、その「危険性」に本気で向き合おうとするとき、「現実の天皇制を批判しても、何も変わらない。」とするのは、いささか「単純」すぎないか。”
  • 日本とスミスー近代市民社会論をつきぬけて(その1) | ちきゅう座

    <野沢敏治(のざわとしはる):千葉大学名誉教授> 今日で最終講義となりますが,研究としてはこれまでと同じく経過点にすぎません。 私はこれまでヨーロッパの経済学史と日の思想史を二つの軸として研究し,講義してきました。この二つ,あまり関連ないように見えますが,私にとってはともに必要なものでした。これでもって私は何をやろうとしてきたのか,これからどうやろうとするのか。そのことはただ私個人に限ることでないと思います。その骨子をあらかじめ言っておくと,こうなります。日は戦後,「近代」をどう問題にし,自分のものにしようとしたか。そして,どうやってその近代をくぐりぬけていったらよいか。 1 2人の先生に出会う 私は1964年に名古屋大学の経済学部に入りました。そこで二人の先生を知ることになります。平田清明先生と内田義彦先生です。平田(――以下では敬称を省略する)は同じ大学の経済学部の先生ですが,内田

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2016/09/22
    野沢敏治最終講義。平田清明と内田義彦/スミス研究(高島善哉、大河内一男、内田)
  • 「『平成天皇制』ーこれはむき出しの権力だ。」 | ちきゅう座

    <澤藤統一郎:弁護士> 8月も終わりに近い。8月は戦争を語り継ぐときだが、同時に天皇制を論ずべきときでもある。71年前の敗戦は、軍国主義と戦争の時代の終焉であったが、同時に野蛮な神権天皇制の終焉でもあった。しかし、軍国主義と臣民支配の道具であった天皇制が廃絶されたわけではない。日国憲法下、象徴として残された天皇制は、はたして平和や人権や国民の主権者意識に有害ではないのだろうか。 今年(2016年)の7月から8月にかけて、天皇の「生前退位発言」が象徴天皇制の問題性をあぶり出した。歯の浮くような、あるいは腰の引けた俗論が続く中、8月も終わりに近くなって、ようやく格的な論評に接するようになった。 日(8月26日)の毎日新聞朝刊文化欄の「原武史・北田暁大対談」は、そのような格的論評の代表格というべきだろう。 ネットでは、下記URLで読める。これは、必見と言ってよい。 http://main

    bt-shouichi
    bt-shouichi 2016/08/28
    明仁のヤバさ。「原「今回衝撃的だったのは、憲法で規定された国事行為よりも、憲法で規定されていない宮中祭祀と行幸こそが『象徴』の中核なのだ、ということを天皇自身が雄弁に語ったことです」」
  • 1