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ブックマーク / book.asahi.com (358)

  • 「七帝柔道記Ⅱ」の執筆で増田俊也さんが助けられた「タッチ」と「SLAM DUNK」|好書好日

    『タッチ 完全復刻版』1巻(あだち充、小学館)と『SLAM DUNK 新装再編版』1(井上雄彦、集英社) 繰り返し読む漫画が何作品かある。 「ストーリーを知ってるから面白くないのでは?」 そう指摘されそうだが、私の場合、10年空けることを自分に課しているので初読みのときと変わらない感興を得ながらいつくように読んでいる。なにしろ何度でも読みたい作品だ。できるだけ新鮮な気持ちで読み直したいから必死に10年我慢する。それより早く読みたくなっても「我慢我慢」と心のなかで唱えながら10年待つ。 たとえば『エースをねらえ!』(山鈴美香)や『あしたのジョー』(梶原一騎&ちばてつや)。『タッチ』(あだち充)や『SLAM DUNK』(井上雄彦)。『ドラゴンボール』(鳥山明)や『キャンディ♡キャンディ』(水木杏子&いがらしゆみこ)。手塚治虫作品であれば『火の鳥』や『奇子(あやこ)』『陽だまりの樹』などがそ

    「七帝柔道記Ⅱ」の執筆で増田俊也さんが助けられた「タッチ」と「SLAM DUNK」|好書好日
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2024/05/24
    “私の記憶が間違っていた。『タッチ』も『SLAM DUNK』も、いわゆる学園漫画などではない。試合シーンを中心軸に描いたど真ん中のスポーツ漫画であった。”
  • 小説が「読める」批評家は 文学の潮目に立ち会った文芸時評:私の謎 柄谷行人回想録⑭|じんぶん堂

    記事:じんぶん堂企画室 1980年ごろの柄谷行人さん 書籍情報はこちら ――柄谷さんは、1977年から78年にかけて、文芸時評を執筆し、東京・中日・北海道・西日新聞に掲載されます(79年『反文学論』として刊行)。文芸評論家としてデビューした柄谷さんですが、唯一の文芸時評です。 柄谷 今回聞かれるということだったので、予習のつもりでちょっと読み直してみたけど、全部忘れちゃってたね(笑)。ただ、アメリカから帰ってきてすぐにやったということは覚えてる。準備もせず、いきなりやったんですよ。もともとになるとも思っていないし、そのとき書いて終わりという感じでした。 新人の評価は間違えられない ――“文芸時評”は、新聞や雑誌で1カ月や3カ月ごとに、その期間に発表された文学作品を論じていく批評の形式です。日独自のものだとも言われていて、日の文芸批評の伝統と言っていいかもしれません。執筆者は作家の場

    小説が「読める」批評家は 文学の潮目に立ち会った文芸時評:私の謎 柄谷行人回想録⑭|じんぶん堂
  • 日本、近代、文学、起源 すべてをカッコに入れて:私の謎 柄谷行人回想録⑬|じんぶん堂

    記事:じんぶん堂企画室 1978年の柄谷行人さん 書籍情報はこちら ――様々な言語に翻訳されている『日近代文学の起源』についてお聞きします。自分の書いたは読み返さないという柄谷さんですが、これはちょっと例外のようですね。 柄谷 外国語版が出る度に序文を求められたから、僕としては珍しく何度も読み直したんだけど、今はもうだいぶ忘れているよ(笑)。 ――まず、どういうか、というところからですが、日の明治文学についての論考が収められたです。「風景の発見」、「内面の発見」、「告白という制度」と、“風景”“内面”“告白”など当たり前のものになっていることが、実は近代化のなかで生まれた装置だということを、夏目漱石や森鷗外、国木田独歩に田山花袋などの明治文学を引きながら、次々に指摘していきます。例えば、人間の“内面”を描くために言文一致が確立されたのではなく、言文一致が確立される過程で“内面”が

    日本、近代、文学、起源 すべてをカッコに入れて:私の謎 柄谷行人回想録⑬|じんぶん堂
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2024/04/10
    『日本近代文学の起源』/「風景の発見」「内面の発見」「告白という制度」/エキゾチックで美的なもので、政治性や倫理性とは無縁という、サイデンステッカーやキーンが作り上げた日本文学のイメージが仮想敵
  • 没後100年を迎えるレーニン その思想と生涯を俯瞰する|じんぶん堂

    記事:平凡社 1920年5月5日、モスクワのスヴェルドロフ広場でポーランド-ソビエト戦争に向かう兵士たちに向けて演説をするレーニン 書籍情報はこちら 平凡社ライブラリー『レーニン・セレクション』 ウラジーミル・レーニン著・和田春樹編訳 なぜいま、レーニンなのか 書は、1977年10月、「世界の思想家」(平凡社)シリーズの1冊として刊行された『世界の思想家 23レーニン』を改訂したものである。1977年は、ロシア革命の60周年にあたり、共産党国家ソ連は世界文明の一方の柱、軍事的超大国として健在であり、レーニンはソ連社会主義国家の創設者、世界共産主義運動の創始者としてあがめられていた。 もとより、1956年のスターリン批判とハンガリー事件以来、ソ連社会の現実に批判的に向き合ってきた私としてはレーニンを「一個の生きた矛盾として、変化の相の中でとらえる」という姿勢をつらぬいて、レーニンの生涯をえ

    没後100年を迎えるレーニン その思想と生涯を俯瞰する|じんぶん堂
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2024/01/28
    “もはやレーニンは「未完の革命」ではない。レーニンの社会主義革命論の中にあるスターリン主義国家をみちびく負の要素に目をむけなければならない。レーニン最後の闘争は、自分の引いたレールの上を進む列車から飛
  • 差別を許す「村」を変えるために――日本人マジョリティへの問いかけ :『ダーリンはネトウヨ』書評(出口真紀子)|じんぶん堂

    記事:明石書店 『ダーリンはネトウヨ――韓国人留学生の私が日人とつきあったら』(クー・ジャイン著・訳、金みんじょん訳、明石書店) 書籍情報はこちら “あからさまでない”差別に私たちは共感できるか タイトルに惹かれて手にとってみた。主人公はてっきり日人女性だと思いきや、韓国人女性が日の大学入学のために来日し、日常生活を送る様子が軽いタッチで描かれたマンガだった。主人公のうーちゃんがオーケストラのサークルに入るところから物語は始まり、母語ではない日語に悪戦苦闘しながらも徐々にサークル仲間に受け入れられるうーちゃんは、思わずエールを送りたくなる好感の持てるキャラクターである。「ネトウヨ」な彼氏とは一体どんな奴だ、と少しいきりたって読み進めると、のちに彼女の恋人となるサークルの先輩であり、予想に反し、いわゆる“普通”でどこにでもいそうな“いい人”なのである。問題発言や問題行動も多い反面、面

    差別を許す「村」を変えるために――日本人マジョリティへの問いかけ :『ダーリンはネトウヨ』書評(出口真紀子)|じんぶん堂
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2023/12/30
    “期待を胸に日本に来たうーちゃんですが、積み重なる日常の小さなヘイトによって少しずつ心を蝕まれていきます。”
  • 新潮新人賞・赤松りかこさん 大江健三郎の新作がもう出ない世界を生きるために 連載「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」#7|好書好日

    赤松りかこさん=撮影・武藤奈緒美 第55回新潮新人賞 受賞作品「シャーマンと爆弾男」 南米で生まれたアリチャイは、族長である母からシャーマンとして育てられたが、帰国し30代になった今も精霊の声は聞こえない。彼女を巡る神秘的な物語をいつも語り聞かせていた母は、今は老人ホームで好物の蒸しパンを楽しみに過ごす。アリチャイは多摩川の河川敷でカワウの幼鳥を見つけ、やがてくる水害から彼らを救おうとする。彼女に心酔したホームレスのヨハネ四郎は元活動家の血が騒ぎ、手製爆弾で協力を申し出る――。 困った。何を聞いても大江健三郎の話になってしまう――。 新潮新人賞を受賞した赤松りかこさんのことだ。応募の際、略歴を提出するのだが、赤松さんはそこにも〇歳で大江文学と出会い、〇歳のときに大江のこの作品に感銘を受け……と〈マイ大江ヒストリー〉をぎっしり書き、編集部から「ひょっとして関係者のかた?」と聞かれたそうだ。筋

    新潮新人賞・赤松りかこさん 大江健三郎の新作がもう出ない世界を生きるために 連載「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」#7|好書好日
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2023/12/11
    “臨床獣医師を20年。2023年「シャーマンと爆弾男」で第55回新潮新人賞を受賞。大江健三郎とはご近所だったが、ついぞ出会うことはなかった。”
  • 文学は永遠だと思っていた新人批評家時代:私の謎 柄谷行人回想録⑨|じんぶん堂

    記事:じんぶん堂企画室 批評家として活動を始めた頃の柄谷さん=人提供 書籍情報はこちら ――1969年6月号の「群像」(講談社)に「〈意識〉と〈自然〉――漱石試論」が群像新人賞受賞作として掲載され、格的に文芸批評家としての活動に入りますよね。ここからの数年間はいわゆる文芸批評をたくさん書かれています。1972年の第1評論集『畏怖する人間』には、「漱石試論」をはじめ1969年から1972年に発表された評論が収録されていますが、年譜によると受賞後最初に発表したのは、「群像」69年11月号の「江藤淳論」でした。江藤さんはどんな存在でしたか? 柄谷 やはり、批評家としていい仕事をしている先行者、という感じですね。僕はそれ以前に五月祭賞に応募した「思想はいかに可能か」で、吉隆明、三島由紀夫、江藤淳の3人を、思想の基的なあり方として示したんだけど、それくらい大きな存在として捉えていたのは確かで

    文学は永遠だと思っていた新人批評家時代:私の謎 柄谷行人回想録⑨|じんぶん堂
  • 「盧溝橋事件から日中戦争へ」書評 戦火拡大なぜ 中国側史料から|好書好日

    ISBN: 9784130203142 発売⽇: 2023/09/01 サイズ: 22cm/274,28,6p 「盧溝橋事件から日中戦争へ」 [著]岩谷將 1937年の盧溝橋事件は、発砲事件として始まった。では、なぜそこから戦火が拡大し、日中戦争に至ったのか。これまで、日が侵略に踏み切った理由については多くの考察があるが、中国が早めに停戦に持ち込まなかった理由は謎だった。一見、侵略に抵抗するのは当然だが、蔣介石政権にとってはそうではない。日との全面戦争による国民党の消耗は、戦後の内戦で共産党に敗北する原因となった。書は、この問題に中国側の史料から接近し、日側から見るのとは異なる形で戦争への道を描く。 まず事件当初、現地の北平(現・北京)では日中双方とも穏便な事件の処理を目指し、交渉を開始した。だが、中国側の指揮官がいくら停戦を命じても、対日感情の悪化した前線部隊が新たな衝突を起こし

    「盧溝橋事件から日中戦争へ」書評 戦火拡大なぜ 中国側史料から|好書好日
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2023/10/27
    “ 以上の本書の記述は、戦時のリーダーシップの分析としても興味深い。毅然(きぜん)と敵に立ち向かう指導者は称揚されがちだが、本書はむしろ、味方を抑えて不要な戦いを避けることの重要性を説いている。”
  • 東大「大江健三郎文庫」デジタル化資料を公開 自筆原稿など1.8万枚、著作権の検討重ね|好書好日

    自筆原稿の画像が表示された端末と、関連書籍が並ぶ大江健三郎文庫=東京都文京区 大江文庫は、大江さんが残した約1万8千枚の自筆原稿や校正刷りをデジタル化。東大弥生キャンパスの一室にある文庫内のモニター端末を使って、高精細な画像を閲覧できる。 あわせて、在野の大江研究者である森昭夫さんが作成した大江健三郎書誌稿をもとに、作品の初出と、収録された書籍が検索できる書誌情報データベースを構築。それらと原稿の画像とをひもづけた。画像の閲覧は文庫内に限られるが、書誌情報データベースには誰でもアクセスできる。 設立準備に携わってきた文学部の安藤宏教授は「作家の草稿を扱う場合には著作権という大きなハードルがある。いちばん悩んだのは、どういうかたちで閲覧に供するかだった」と語った。「鴎外や漱石ら明治大正期の作家については自由に原稿を分析しているが、現役の作家に関して画一的な分析をすることは、ほとんどタブーに近

    東大「大江健三郎文庫」デジタル化資料を公開 自筆原稿など1.8万枚、著作権の検討重ね|好書好日
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2023/09/16
    “ 設立準備に携わってきた文学部の安藤宏教授は「作家の草稿を扱う場合には著作権という大きなハードルがある。いちばん悩んだのは、どういうかたちで閲覧に供するかだった」と語った。”
  • 無責任な服従にも無知にも抗う ヤン・ヨンヒさん「朝鮮大学校物語」|好書好日

    在日朝鮮人の民族教育を目的につくられた朝鮮大学校が小説の舞台。著者のヤンさん自身も東京の郊外にあるキャンパスで青春時代を過ごした。 主人公のパク・ミヨンは在日コリアン2世。演劇の勉強を夢見て大阪から上京するが、大学校の生活指導員は「ここは日ではありません」。民族主義を前面に押し出す教育に反発するようになり、北朝鮮を絶対視する先輩とも衝突する。ミヨンは言う。「なんでも従いますという無責任な人が賞賛されるなんて納得出来ません」 在日であることを気にしないという美大生の恋人の言葉にも違和感を覚える。「気にしない」というのは、「それ以上は知るつもりはないということ」。知識がないから差別や不寛容が生まれる。そんな思いを込めて描いた場面だ。 ヤンさんは「コリアタウン」がある大阪市生野区生まれ。父(故人)は在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の幹部を務めていたという。帰国事業の旗振り役も務め、ヤンさんの兄

    無責任な服従にも無知にも抗う ヤン・ヨンヒさん「朝鮮大学校物語」|好書好日
  • 落選がもたらした中上健次との出会い:私の謎 柄谷行人回想録⑦|じんぶん堂

    記事:じんぶん堂企画室 近所の公園を散策する柄谷行人さん=篠田英美撮影 書籍情報はこちら ――1967年3月に東大大学院の修士課程を修了して、最初は国学院大学の非常勤講師として英語を教えていたそうですね。 柄谷 当時は、英文科を出てまず英語の教師になるというのは、よくあるパターンでした。いきなり英文学を教えるというのはなかなか難しいから。実は最初に、ある東大の教授から、ある大学の専任講師の職があるということで、面接に行ったんだよ。ほぼ内定していたらしいんだけどね。週3日授業を持ってくれと言われたので、忙しいから週2日にしてほしい、といった。そしたら、その場でもう「さようなら」ということになってしまった。それを斡旋してくれた教授は、僕のことを怒っていたらしい。 ――メンツ丸つぶれだったんでしょうね。それは、指導教官だった大橋健三郎さんではないんですか? 柄谷 別の人です。大橋さんは僕のことが

    落選がもたらした中上健次との出会い:私の謎 柄谷行人回想録⑦|じんぶん堂
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2023/08/29
    大江の影響が強い作品を書いてた中上健次にフォークナーを読むよう薦めると中上が「日本のフォークナーになる」と宣言。しかし実はすでに先行する作家が…/中上が羽田空港で肉体労働をしたのはホッファーの影響
  • 「原爆の父」と呼ばれた科学者の実像――『ロバート・オッペンハイマー』(藤永茂著)より|じんぶん堂

    記事:筑摩書房 「原爆の父」の生涯と内的葛藤、そして広島、長崎をもたらしたものとは 書籍情報はこちら オッペンハイマーとは私たちにとって何か 『ジュラシック・パーク』という映画がある。これまでに数百万の人が見た映画だろう。その中にロバート・オッペンハイマーの肖像写真が大写しになる所がある。恐竜パークを管理するコンピューターのモニター・スクリーンの向かって左側に貼りつけられている。オッペンハイマーの顔のすぐ上には原爆のキノコ雲のマンガも貼ってある。そのコンピューターを操作する男ネドリーにとっては、オッペンハイマーがアイドルであることを、この映画の監督スピルバーグはきわめて意識的に示そうとしているのである。ここに、オッペンハイマーとは私たちにとって何かという問題が見事にまとまった形で顔を出している。 このネドリーという男の性格、思考パターン、行動は『ジュラシック・パーク』の恐怖物語の展開にとっ

    「原爆の父」と呼ばれた科学者の実像――『ロバート・オッペンハイマー』(藤永茂著)より|じんぶん堂
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2023/08/03
    “私たちは、オッペンハイマーに、私たちが犯した、そして犯しつづけている犯罪をそっくり押しつけることで、アリバイを、無罪証明を手に入れようとするのである。”
  • 長谷川克「ツバメのひみつ」 笑えて学べる愛らしき鳥の生|好書好日

    ツバメという鳥は、春にやってきて軒下に巣を作り、秋には遠くに去っていく、典型的な渡り鳥である。これまでずっと、身近な存在であって愛されてきた。それがこの頃、あまり見られなくなっているように思う。 それは、東京に住んでいる私の印象だ。私は1990年代に、大学の教養課程の授業の一環で、小田急線沿線の駅などに巣をかけているツバメの行動を観察したことがあるが、今はもうそんな光景はまれになってしまった。書によると、現実にそうであるらしい。まだ絶滅が危惧されるほどではないが、確実に減ってきている。 著者は、もう15年以上にわたり、実際にツバメの行動を観察して研究を続けてきた、ツバメのプロである。書は、このツバメという、ごくありふれた鳥の、形態、五感のあり方、飛翔(ひしょう)能力、配偶、子育て、渡りなどなどについて、およそすべてのことを解説している。帯に書かれているとおり、「ツバメのひみつ」を1から

    長谷川克「ツバメのひみつ」 笑えて学べる愛らしき鳥の生|好書好日
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2023/07/11
    ツバメ減ってるよなー。数年前まで近所にツバメの巣スポットがいくつかあったのが今や1つだけになってしまった
  • 初めての論考、読み直して再発見した自分:私の謎 柄谷行人回想録⑥|じんぶん堂

    記事:じんぶん堂企画室 柄谷行人さん 撮影:篠田英美 書籍情報はこちら ――1965年、東京大学経済学部を卒業し、東京大学大学院人文科学研究科英文学専攻課程へ。フォークナーの研究や翻訳で知られる大橋健三郎さんのゼミに入ります。 柄谷 学部のときに大橋さんの授業を聴講していて、フォークナーも好きだったからね。文学部に入り直すのは面倒だったから、1年留年してから、大学院に進むことにしました。英文科に入ったとはいえ、僕の専攻は実はアメリカ文学なんですよ。当時、アメリカ文学を専攻する人はまだ少なかった。大学院生では、僕1人だけだったんだから。 アメリカ文学者の大橋健三郎 ――原真佐子さん(1939~1995)と結婚したのもこの頃ですね。翻訳家としても活動し、後に「冥王まさ子」の名で文芸賞を受賞する作家でもあります。 柄谷 大学院で知り合ってすぐに結婚しました。彼女は、年が二つ上、学年で言うと一つ上

    初めての論考、読み直して再発見した自分:私の謎 柄谷行人回想録⑥|じんぶん堂
  • 「アメリカ知識人の共産党」/「理念の国がきしむとき」 国家像と揺らぎ 根源から問う 朝日新聞書評から|好書好日

    ISBN: 9784326303281 発売⽇: 2023/05/01 サイズ: 22cm/306,41p 「アメリカ知識人の共産党」/「理念の国がきしむとき」 [著]中山俊宏 基的価値及び戦略的利益を共有する同盟国。外務省HPによる日米関係の説明だ。今日、公的な場で日米関係が言及される際、必ず掲げられる「価値の共有」。だが私たちは「共有」を自明視できるほど、米国的な価値を理解しているだろうか。そもそも米国的な価値とは何か。 米国にとってすら、自国が体現する理念や価値は自明ではなく、絶えず論争になってきた。 『アメリカ知識人の共産党』は、戦後米国で「異物」として排除された共産党をめぐる論争の分析を通じ、そうした「理念国家」の質に迫る。米国共産党の党員は全盛期でも8・5万人ほどだったが、実態とは不釣り合いな論争を巻き起こし、知識人のアイデンティティーや自国理解に深く刻まれた。著者はここに

    「アメリカ知識人の共産党」/「理念の国がきしむとき」 国家像と揺らぎ 根源から問う 朝日新聞書評から|好書好日
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2023/06/25
    “中山氏は日米同盟に代わる「プランB」はないと言い切り、同盟コミット派を自認していたが、重要な存在だからこそ、米国が抱える本質的な不安定さ、関係構築の困難さから目を逸(そ)らさなかった。”
  • 菊間晴子さん「犠牲の森で」 大江健三郎作品の死生観を読み解く「亡霊と超越的存在」|好書好日

    菊間晴子さん 大江さんの小説には、デビュー作となった短編「奇妙な仕事」(1957年)で殺される犬を始め、犠牲となって死んでいく獣たちのイメージがひしめいている。長編「同時代ゲーム」(79年)に描かれた巨人の「壊す人」は、村の人々によって解体された後で「犬ほどの大きさのもの」として再生。短編「空の怪物アグイー」(64年)では、上空をただよう赤ん坊の幻影が「カンガルーほどの大きさ」と表現される。 書はこれらを「犠牲獣の亡霊」と名付け、その亡霊といかに向き合っていくかが大江作品における一つの軸になっていたと指摘。その上で、忘れがたい記憶として取り憑(つ)く亡霊から逃れようとする想像力が、神秘主義的なネオ・プラトニズムの思想に影響を受けた「超越的存在との一体化」という、もう一つの軸を生み出したとみる。 「血なまぐさい皮膚感覚をともなって生者に憑依(ひょうい)してくるような亡霊がいて、同時に、死ん

    菊間晴子さん「犠牲の森で」 大江健三郎作品の死生観を読み解く「亡霊と超越的存在」|好書好日
  • 試験勉強でつかんだマルクスの「本領」:私の謎 柄谷行人回想録⑤|じんぶん堂

    記事:じんぶん堂企画室 マルクス『資論』の初版(1867年) 書籍情報はこちら ――前回は東大駒場寮時代のお話を伺いました。午前10時まで寝ていたということは、寮では先輩たちと夜中まで議論するような生活ですか? 柄谷 いや、を読んでいた。誰かと一緒ではない。ひとりですよ。一番よく読んでいたのは、マルクス経済学者の宇野弘蔵です。ブント系は宇野を読むものだと聞いてたからだと思うけど、『経済原論』など、入学して早速買いましたね。マルクス主義について通俗的には知っていたけど、初めてマルクスについて考えた。マルクスの領は『資論』なんだと、宇野を通じて知った。 経済学者の宇野弘蔵 ――62年、経済学部に進みます。宇野弘蔵は58年に東大を退官していますが、当時は弟子の鈴木鴻一郎が教えていますね。宇野派の経済学を学ぶのが目的ですか? 柄谷 勉強しないでいいからです(笑)。当時、文科一類からは基

    試験勉強でつかんだマルクスの「本領」:私の謎 柄谷行人回想録⑤|じんぶん堂
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2023/06/22
    経済学部で宇野派に触れる。主流派のマルクス主義は史的唯物論がベースにあるが、宇野派は『資本論』で、『資本論』にしかない観点が価値形態論――価値を交換様式に見出す
  • 横山裕一「ネオ万葉」 巧みな演出、古典のなかから新たな魅力を引き出す|好書好日

    万葉集や古今和歌集などの173首の古典和歌を題材に描かれる作は、「ネオ漫画」と称され、注目されている漫画家横山裕一の最新作だ 漫画は朗読できない。歌は、声に出すことが可能だ。というか来そっちがメインかもしれない。漫画と歌、両者は全然違うジャンルだが、著者は万葉集を、自分の土俵に引きずり込んだ。万葉集はびっくりしただろう。アウェーすぎるよ、と。丸い爪、一人ずつデザインの異なる妙な顔、偉そうなのに対等なセリフ、遠慮なく横切っていく擬音、どこから見ても万葉集とは無関係な世界が続く。だが意外にも、すんなりここに居場所を見つけてしまう。著者の巧みな演出によって、万葉集の歌はビジュアル系の魅力を引き出されてしまったのである。 図版のこの歌、解釈によっては男女の歌に聞こえるようだが、著者は単に買い物に失敗した後悔としてのみ扱う。四角く囲まれて、絵の前に浮いている。歌が漫画の中で待ち伏せしているのだ。

    横山裕一「ネオ万葉」 巧みな演出、古典のなかから新たな魅力を引き出す|好書好日
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2023/06/15
    “歌が漫画の中で待ち伏せしているのだ。キャラクターは堂々と歌を無視して次のコマに進む。コラボレーションとは馴(な)れ合いのことではない。そんな厳しい姿勢が見えるようである。が、どこか笑える。”
  • 憲法九条「戦争放棄」条項の発案者は、時の首相だった!|じんぶん堂

    記事:平凡社 日国憲法 第二章 戦争の放棄 第九条の条文 書籍情報はこちら 2023年4月14日刊、平凡社新書『憲法九条論争――幣原喜重郎発案の証明』(笠原十九司著) なぜ論争に結着がついていないのか 日国憲法が一九四六(昭和二一)年一一月三日(以下、西暦年は下二桁のみで表記)に公布されてからあと四半世紀で一世紀となるが、人類史上最初に戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を定めた日国憲法第九条(書では憲法九条と略称)の発案者が誰であったかをめぐっての論争にはまだ結着がつけられていない。「永遠の謎である」という論者もいるが、そのようなことはあり得ない。当時は大日帝国憲法改正案といういいかたをしたが、憲法九条の構想を発案して提案した人は間違いなく存在したのである。そしてそれを憲法九条の条項と条文とすることを決定した人も必ず存在したのである。それが「謎」であるかのようにされてきた理由

    憲法九条「戦争放棄」条項の発案者は、時の首相だった!|じんぶん堂
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2023/05/03
    笠原十九司著『憲法九条論争 幣原喜重郎発案の証明』/「三人の当事者」は裕仁、幣原、マッカーサー。引用されてる「はじめに」では、裕仁が積極的に憲法改憲草案を受け入れたことが語られる
  • 特別公開:坂本龍一さん3万字インタビュー後編「この日本という国では『やめる』という決定を誰もできない。撤退ができない国なんです」|じんぶん堂

    記事:平凡社 坂龍一さん(2013年5月撮影) 撮影:榎佳嗣 書籍情報はこちら 【前編はこちらから】特別公開:坂龍一さん3万字インタビュー前編「音楽の大きなテーマは、亡くなった者を悼むということ」 震災のことは、一日も忘れたことはない ――東日大震災からすこし時間が経って(インタビュー時は2013年)、社会が平熱に戻った感じがします。被災地では、被災地だからこそ「ようやく震災や原発のことは考えず穏やかに過ごせる時間が増えた」という方もいるようですね。 坂:うーん……。僕は、忘れるという感じはまったくありません。 ――時間が経つにつれて、ふだんの暮らしと「変えていかなくちゃ」という気持ちとをどう両立させていくのかが大切なテーマだと考えるようになってきました。安倍政権に代わってから「原発を動かそう」というムードが強まっていますよね。けれど「どんなふうに暮らしていけば、おなじことを二度

    特別公開:坂本龍一さん3万字インタビュー後編「この日本という国では『やめる』という決定を誰もできない。撤退ができない国なんです」|じんぶん堂