天皇陛下が、神嘉殿において新穀を皇祖はじめ神々にお供えになって、神恩を感謝された後、陛下自らもお召し上がりになる祭典。宮中恒例祭典の中の最も重要なもの。天皇陛下自らご栽培になった新穀もお供えになる。
天皇陛下が、神嘉殿において新穀を皇祖はじめ神々にお供えになって、神恩を感謝された後、陛下自らもお召し上がりになる祭典。宮中恒例祭典の中の最も重要なもの。天皇陛下自らご栽培になった新穀もお供えになる。
結核予防会理事長、同代表理事、同専務理事、同上席参与ご報告・ご懇談(年始にあたり)(秋篠宮邸/東京都港区)
令和2年12月23日:上皇職 上皇陛下は,仙洞仮御所において87歳のお誕生日をお迎えになります。 仙洞仮御所はかつて高松宮邸として使用されていましたが,陛下は,ご疎開先からご帰京になった翌年の昭和21年2月,当時の高松宮邸をご訪問になっています。その頃,仮御所に隣接する高松中学校はまだ建設前で,その場所は宮邸の敷地内でしたが,陛下は,そこにあった大きな池に坂を下りて行かれたことを懐かしく思い出されていました。 仙洞仮御所でのご生活は,新型コロナウイルスの蔓延により,当初の想定から一変しました。陛下は,上皇后さまと共に,新型コロナウイルスの感染が国内外で拡大し,人々の健康と日常生活に大きな影響を及ぼしていることを深く案じられ,この感染症への理解と感染防止のための医学的,社会的な取組みに関心を向けてこられました。侍医や侍従からは日々の感染状況を,永井皇室医務主管からは100年前に流行したスペイ
大正3年、国内において製造。 船底型(ふなぞこがた)、漆塗で車体の胴は海老茶色、重量1,398㎏(鳳凰含む)、長さ4.48m、幅1.93m、高さ3.27m(鳳凰含む)、8頭立6頭曳の騎馭式(きぎょしき)、4人乗りの馬車です。 屋根に鳳凰(ほうおう)を戴き、車体の上縁全体に菊葉の彫刻と中央に菊花御紋章を金色で装飾し、車体の胴両側に金色菊葉唐草模様及び金高蒔絵の御紋章があります。 昭和3年の「即位の礼」の際に昭和天皇が使用されました。 なお、当馬車は、大正3年に座馭式(ざぎょしき)8頭立6頭曳として製造され、大正4年の即位の礼で使用されましたが、昭和3年に座馭式から騎馭式に改造及び大修復を行い同年の即位の礼で使用され、現在に至っています。 昭和3年、宮内省主馬寮(しゅめりょう)工場において製造。 船底型割幌(ふなぞこがたわりほろ)、漆塗で車体の胴は海老茶色、重量1,125㎏、長さ4.51m、幅
信任状捧呈式の馬車列の運行予定について ※ 馬車列をご覧になる際には、以下の事項についてご協力をお願いいたします。 ① 歩道での滞留は他の歩行者のご迷惑となりますので、ご遠慮いただき、皇居外苑(二重橋前付近等)においてご覧ください。 ② 静粛を保ち、馬車列の運行の妨げや他の通行の迷惑にならないようご配慮をお願いします。特に、フラッシュ撮影や馬車と併走するなどの『馬を驚かせる行為』はおやめいただき、安全な馬車列の運行にご協力をお願いいたします。 ③他の方と十分な間隔を保ち、混雑時の会話を控える等、新型コロナウイルス感染予防対策に留意の上、ご覧ください。 (参考)信任状捧呈式馬車列経路 (往路)東京駅→行幸通り・和田倉門交差点(直進)→皇居外苑→皇居正門→宮殿南車寄 (復路)宮殿南車寄→皇居正門→皇居外苑→和田倉門交差点(直進)・行幸通り→東京駅 ※なお、当日、荒天等の場合には、馬車列から自動
令和2年1月22日(水) 国立障害者リハビリテーションセンター及び国立職業リハビリテーションセンター創立40周年記念式典ご臨席,引き続き,障害者週間にちなみ,同施設ご訪問(埼玉県) お名前 ご日程
交通機関のご案内 案内図(大嘗宮一般参観・皇居乾通り一般公開)(PDF形式:2,193KB)1ページ(別ウインドウで開きます) 観光バス等の駐停車禁止について ●皇居に駐車場の用意はございません。公共交通機関のご利用をお願いします。 ●皇居周辺道路は駐停車禁止ですので,路上駐車や道路上での乗降車はご遠慮願います。 大嘗宮一般参観及び令和元年秋季皇居乾通り一般公開を次のとおり行います。 1.趣旨 <大嘗宮一般参観> 大嘗宮一般参観は,本年11月14日(木)及び15日(金),天皇陛下がご即位の後,初めて新穀を皇祖・天神地祇に供えられ,自らも召し上がり,国家・国民のためにその安寧と五穀豊穣などを感謝し祈念された大嘗宮の儀が行われた大嘗宮を一般に公開するものです。 ・大嘗宮について(PDF形式:160KB)1ページ(別ウインドウで開きます) <皇居乾通り一般公開> 皇居乾通り一般公開は,平成26年
新型コロナウイルス感染症の感染拡大の状況により、急きょ皇居勤労奉仕の受入れを見合わせる場合があります。 「美しい皇居を守る力」-それが、皇居勤労奉仕です。 皇居勤労奉仕は、昭和20年5月に空襲で焼失した宮殿の焼け跡を整理するため、同年12月に宮城県内の有志が勤労奉仕を申し出たことが始まりであり、それ以降、今日まで奉仕を希望する方々をお受けしています。 現在の皇居勤労奉仕は、連続する平日の4日間または事情により3日間、皇居などで除草、清掃、庭園作業などを行います。季節に応じた力作業や行事に必要な準備作業をお願いすることもあります。広い場所ですから個人でというわけにはいかず、15人から40人までの団体による参加をお願いしています。団体は地域の集まり、職場の仲間、学生有志などの構成が主です。 手続要領をご覧ください。申請に際しては、必ず手続要領を読み、【書式】申請書及び団員名簿で申請願います。
令和元年5月22日 宮内庁 令和元年5月16日付けの毎日新聞朝刊は,同14日の天皇陛下への総理の「内奏」を報じる記事の中で,「関係者によると,首相は『前の天皇陛下はいつも座ったままだったが,今の陛下は部屋のドアまで送って下さって大変恐縮した』と話した。」と伝えています。 総理の内奏は,天皇陛下と総理二人だけの行事であり,他に同席する者はなく,その内容も室内の様子も外からは分かりませんが,「前の天皇陛下」すなわち上皇陛下が,座ったまま総理をお見送りになることはあり得ません。上皇陛下は,行事に際し,宮内庁職員に対しても必ず席を立って挨拶をお受けになっており,外から来られた方を座ったまま出迎え,見送られた例は,相手が誰であれ一度もなかったと思います。 閣僚の内奏については,皇室と国政との関係から,昭和時代には閣僚の内奏後に問題が起こり,閣僚が辞任した例もありましたが,上皇陛下はこのようなことがな
問1 殿下にお伺いします。殿下は来年5月の代替わりに伴い,皇位継承順位第1位の皇嗣となられます。新たなお立場への抱負をお聞かせ下さい。公務の在り方や分担について新天皇となられる皇太子さまとどのような話し合いをされ,殿下がどのようにお考えになられているのか,あわせてお聞かせください。 最初の抱負ということについてですけれども,私は今まであまり抱負ということは,語ることは,口に出して言うことはありません。ただ,何かの節目というよりも,折々にその抱負のようなものを考えることというのはあります。これは,抱負になるのかどうかは分かりませんけれども,これからも様々な公的な仕事をする機会があります。時として,例えば毎年のように行われているものなどについては,どうしても,前年度とか,その前の機会と同じようにすればいいと思いがちです。これは私自身もそうなんですけれども,やはり,それら一つ一つを,その都度その
問 この1年も,西日本豪雨や北海道の地震をはじめとする自然災害など様々な出来事がありました。今のお立場で誕生日を迎えられるのは今年限りとなりますが,天皇陛下の退位まで半年余りとなったご心境をお聞かせ下さい。 昨年の誕生日から今日まで,この1年も年初の大雪に始まり,地震,噴火,豪雨等,自然災害が各地で相次ぎ,世界でも同様の災害や猛暑による山火事,ハリケーン等が様々な場所で多くの被害をもたらしました。「バックウォーター」「走錨(そうびよう)」など,災害がなければ決して知ることのなかった語彙にも,悲しいことですが慣れていかなくてはなりません。日本の各地で,災害により犠牲になられた方々を心より悼み,残された方々のお悲しみを少しでも分け持てればと思っています。また被災した地域に,少しでも早く平穏な日常の戻るよう,そして寒さに向かうこれからの季節を,どうか被災された方々が健康を損なうことなく過ごされる
平成30年7月30日 週刊文春7月26日号の「小室さんは『夢追い人なの』~美智子さまのお嘆きと眞子さまのNY行き」と題する記事において,匿名の「知人」の話として,皇后さまが小室圭さんのことを「あの方は夢追い人なの。でもその夢は完成しない,不完全なもの」と語られるなど,様々に話されたとの記述があります。記事は,その背景について,8月から3年間の予定で小室さんが米国留学するとの報に「ご心配が募った」皇后さまが,小室さんの将来を憂えて知人に話したものと説明し,さらに,小説「星の王子さま」に出てくるエピソードまでを例にあげ,「知人」という人が伝える皇后さまのお言葉なるものを紹介しています。 眞子内親王殿下をめぐる週刊誌報道については,既に本年5月25日に宮内庁ホームページで,両陛下は,極力周囲の雑音から眞子さまを守り,静かな状況を保つ中で,眞子さまがご自分の考えを深められるよう首尾一貫して一切の発
平成30年7月18日 サンデー毎日7月1日号の「勁(つよ)き声~美智子さまとその時代」と題する工藤美代子氏の連載(第3回後編)において,東宮妃殿下時代の皇后さまにお仕えした故牧野純子東宮女官長(以下「故女官長」という。)の友人の娘で,97歳になる「香子」という仮名の人物が,自分の母親又は故女官長から直接聞いたという話を基に,皇后さまと故女官長との間の不和を取り上げる記事が掲載されています。 筆者は,「一方的な見解だという批判もあるかもしれない」が,「それは承知の上で,私はオーラルヒストリーとして,純子が香子さんの母親に語った体験談を採集しておきたいと考えた」として,事実の存否やその客観性,正確性の確認なく記述を進めていますが,この談話では,実際になかったことが事実として語られていたり,当時の状況を取り違えて話されているなど,これを放置することは読者に大きな誤解を与えかねず,宮内庁として記事
現在のページは ホーム宮内庁広報・報道皇室関連報道について皇太子同妃両殿下御結婚満25年に際しての記者会見開催要望への対応について のページです。 平成30年6月22日 宮内庁東宮職 最近,一部週刊誌において,皇太子同妃両殿下の御結婚満25年に際しての宮内記者会からの記者会見開催に関する要望への対応について,事実に反する記事が掲載されていることから,宮内庁東宮職として,国民の皆様に正しい理解をお持ち頂くのが適当との観点から,以下のとおり経緯を説明致します。 記 宮内記者会より出された記者会見の要望については,東宮職として,皇太子同妃両殿下の御活動やお気持ちをできる限り国民の皆様にお伝えするのが望ましいとの観点から,その可能性について両殿下に御相談申し上げ,直前に至るまで真剣に検討してまいりました。 今回の記者会見開催に関する要望については,御結婚記念日の直前には「みどりの愛護」のつどい御臨
平成30年5月25日 宮内庁 眞子内親王殿下の納采の儀を始めとするご結婚関係儀式等の延期が発表されて以来,このことに関する両陛下,取り分け皇后さまのお考え,ご対応について様々な憶測がなされ,記事にされてきましたが,このことに関し,両陛下は当初より一貫して変わらぬ対応をしてこられました。 両陛下が第一に考えられたことは,これは眞子さまの内心に触れる事柄であり,何人といえども,恐らくはご両親殿下でさえ眞子さまのお考えを待つ以外おありでないということでした。そうした中,ご自分方として出来ることは,極力周囲の雑音から眞子さまを守り,静かな状況を保つ中で,眞子さまがご自分の考えを深められるよう助力なさるということでした。 そのため,これまで両陛下は共に首尾一貫このことに関し一切発言を慎まれてこられました。事実,宮内庁長官,次長を始めとする宮内庁幹部,側近である侍従長,女官長や侍従職の誰一人として,こ
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平成30年1月31日 宮内庁 毎日放送は,平成30年1月9日,TBS系列全国ネットで放映された「教えてもらう前と後」と題する番組において,天皇陛下が既にご成婚後の昭和38年10月に栃木県奥日光で撮影された皇后陛下のお写真を取り上げ,「ご(・)成(・)婚(・)前(・)に(・)陛下が撮影された美智子さまのお写真」と紹介し,その取り違いに重ね,撮影に至る経過として,「軽井沢での出会いからおよそ2か月。美智子さまは陛下から東京で開かれるテニス大会に招待され,・・・そこで,陛下から『美術展に出品する写真を撮らせてほしい』とお願いされた」とした上で,更に「陛下はこのお写真に意味深な『女ともだち』とのタイトルを付けて宮内庁文化祭美術展に出展された」とのあり得ない解説を加えています。 まず何よりも,番組で取り上げたお写真が,ご成婚後4年を経た昭和38年10月に陛下が当時第二子ご流産後の皇后陛下のご健康をご
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