久しぶりにエントリーを書く。しばらくブログのエントリーを書かなかった理由は、獨協大学の授業の準備に手を取られていたことと、最近始めたTwitter(アカウントはyamagen_jp)の方がブログよりも何となく居心地がいいことが理由だ。 そのTwitterで、大学生の就職事情が厳しいことについて同情的なツイートを書いたら、ある方から「自分がどうありたいのか、とことん本気かどうか? あがいているか? 」というツイートが返ってきた。私は、これは学生に対するアドバイスあるいは、意見であろうかと解釈して、「自分探しよりも、会社を知ることが大事。自分にではなく、会社・仕事に興味のある人を会社は採る 」と返信した。 思うに、面接では、自分のあれこれをアピールすることよりも、相手の話を聞くこと、それも有り体に言えば、相手に気分よく話させることの効果の方がずっと大きいような気がする。 私の得意分野ではないが
2日放送のテレ朝系「ロンドンハーツ」は恒例「格付けし合う女たち」。 テーマは「男を見る目がなさそうな女」です。抽選で指名されたオアシズ大久保佳代子が独自の「格付け」のランキングとその理由をひととおり発表したあと、街頭で成人男性に聞いたアンケートの結果が発表される流れになっています。 今回ひとつ大きく趣が違ったのは、大久保による発表が終了した後、途中からなぜか本来そこにキャスティングされていないはずの有吉弘行が番組に加わったことです。他の収録があってたまたま局に来てたところを「有吉にも格付けしてもらおうよ」と急遽呼んだらしい。 スタジオに入る前に独自の「格付け」をササッと仕込んできたという有吉。スタジオの女性タレントについて、「男を見る目がなさそうな女」という観点から、10位から1位まで一気に論じていきます。 一瞬で刀を抜いて次々と相手を斬るそのスピード、瞬発力、角度、切れ味。まるで達人の技
Leica M7, 90mm Tele-Elmarit F2.8, RDP III @ Grand Canyon National Park (Mooseと並ぶ、北米最大のシカ、Elkです。) 能力主義という言葉がある。 このように不景気になり、沢山の若い人がちゃんと仕事に就けない状態が続くと、若い人たちのコミュニティに熱望されているのではないかと思う。一方で、歳を取って、守るものが多い人たち、多くの場合、その仕事を始めようとしている人たちの親の世代では、しかるべきポジションについている人ですら、あまりやり過ぎは良くないと考えているだろう。何しろ、自分の家族や子供をどうやって養っていけば良いか分からなくなるからだ。 実は、僕は一度もいわゆる年功序列的な仕事をしたことがない。もともと科学者にずっとなりたいと思っていたから、ということもあるが、少なからず、歳を取った人たちにアービトラージ、日本
「市場が成長しているとき、あるいは産業構造が変化しているとき、成長は企業存続の条件である」(『乱気流時代の経営』) とはいえ、長期にわたる高度の成長は不可能であり、不健全である。それどころか、あまりに急速な成長は組織を脆弱化する。マネジメントを不可能にする。緊張、弱点、欠陥をもたらす。それらの緊張、弱点、欠陥のゆえに、ちょっとしたつまずきが致命傷となる。 ドラッカーは、今日の成長企業が明日の問題児になる宿命には、ほとんど例外がないと言う。 成長を目標にすることは間違いである。大きくなること自体に価値はない。よい企業になることが正しい目標である。成長そのものは虚栄でしかない。 しかし、存続の条件としての成長の最低点は検討しておかなければならない。存続のための地位は確保しなければならない。 つまり、成長の最適点を検討しておく必要がある。それ以上成長すると、資源の生産性が犠牲になる点は
村上春樹がエルサレム賞を受賞した際のスピーチの試訳です。 Always on the side of the egg(参照) By Haruki Murakami いつでも卵の側に 村上春樹 I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies. 今日私はエルサレムに小説家として来ています。つまり、プロのホラ吹きとしてです。 Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and military men tell their own kinds of lies on occasion,
Leica M7, 90mm Tele-Elmarit F2.8, PN400N @Santa Monica, CA アメリカで研究するようになって最も驚いたことの一つは、日本では考えられないほど生産性の高い研究者が存在することだ。 たとえば僕がローテーションして、最後までそこでdissertation work(博士論文のための研究、活動)をすることにするか迷っていたあるラボ。そこはポスドク、テクニシャンを含めて(註:undergraduate=学部生は殆どアメリカの研究室には居ない)たった5人でやっているにもかかわらず、毎年5-6本ぐらいはペーパーを出し、ほぼ全て一流紙。多いときは年に2本ネイチャーに出し,一本は表紙になったりしていた(#)。 しかも良く日本では見かける深夜も土日も働いて、朝はどちらかというと崩れ気味、みたいな重労働系の生活ではなく、普通に朝来て、「うーん今日は狂ったよ
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