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歴史と事故に関するbuhikunのブックマーク (10)

  • 「ドーン、ドーン、ドーン」日航機墜落30年目に判明した爆発音 フジが特番 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

    「ドーン、ドーン、ドーン」日航機墜落30年目に判明した爆発音 フジが特番 産経新聞 8月10日(日)15時35分配信 昭和60年の日航機墜落事故から30年目となる8月12日、フジテレビは機内の再現ドラマや当時の映像、墜落現場での中継などを交えた特番「8.12日航機墜落 30回目の夏 生存者が今明かす“32分間の闘い” ボイスレコーダーの“新たな声”」(午後6時半)を生放送する。フジは今回、コックピットのやりとりを記録したボイスレコーダーの詳細な解析を実施。衝撃音の回数や、これまで判読不能とされてきた会話の一部など「新事実」が判明したという。 事故にあった日航機123便は昭和60年8月12日、羽田空港から伊丹空港に向かう飛行中、機体に異常が発生。機体は制御を失い、32分後に群馬県上野村の「御巣鷹(おすたか)の尾根」に墜落し、乗客乗員524人のうち520人が死亡した。 ■「ドーン、ドーン、

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    buhikun 2014/08/10
    あの晩は九州の山に行く後輩を見送りに(大垣夜行で行った!)品川まで行ったが、行きがけに聞いたラジオで「日航機消息絶つ」と聞いた。あれから30年か(遠い目
  • 【写真特集】台湾・高雄のガス爆発(AFP=時事) - 写真 - Yahoo!ニュース

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    【写真特集】台湾・高雄のガス爆発(AFP=時事) - 写真 - Yahoo!ニュース
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    buhikun 2014/08/02
    大阪のご長寿「わいが若い頃なぁ、天六ガス爆発いうのがあってやなぁ(以下くどいので略」(苦笑)
  • 鶴見事故から50年、今も残る「記憶の傷痕」:ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社

    貨物列車と横須賀線が多重衝突し161人が死亡、120人が負傷した国鉄鶴見事故から、きょう9日で50年になる。半世紀を経てもなお、遺族や元国鉄職員、現場付近の住民らには「記憶の傷痕」がある。 ■知らない住民も 横須賀線や湘南新宿ラインが高速で駆け抜ける線路際に、事故の被害者の遺族が建立した慰霊塔が、静かにたたずんでいる。 隣に住む元国語教師の女性(84)は「竹の芽がどんどん出てきてしまって、草取りが大変で…」と話しながら参道を掃除する。事故があった土曜の夜は、ちょうど家にいて試験の準備をしていた。衝撃音に驚いて外に出たという。 「今でも、九州など遠くから来る遺族がいる。でも新しい住民が増え、事故を知らない人が多くなった」。真新しいマンションを見ながら女性は話した。 ■元鉄道員の悔恨 「なんで、あんな事故をやってしまったんだろう」。横浜市鶴見区に住む元国鉄職員の小林照明さん(86)

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    buhikun 2013/11/11
    鶴見事件ではないが、松戸の後輩から「うちの母親が日暮里で常磐線に乗り遅れたことがあって、その電車が三河島で衝突した」と聞いた/最新の知見を基に安全技術は進んだが、今も事故は起こりうる。ご安全に<m(__)m>
  • 朝日新聞デジタル:トイレで出産、新生児が落下 レスキュー隊が救出 岡山 - 社会

    27日午前6時ごろ、岡山市東区の住民から、「くみ取り式のトイレを使用中に出産し、赤ちゃんが落ちた」と119番通報があった。レスキュー隊員ら28人が出動し、女児を救出。市内の病院に運んだが、けがもなく無事だったという。  市消防局によると、トイレは和式で、40代の女性が用足し中に突然出産した。女児は、便器と便槽を接続する配管(直径約20センチ)が約1・5メートル下でL字形に曲がった部分に落ちていたという。直接便槽に落ちなかったため、助かったらしい。救出作業には、便器周囲の破壊や床下からの配管切断などで約1時間半かかったという。  市消防局によると、水洗トイレが普及する20年以上前までは、トイレで突然生まれた新生児を救出する例がよくあったという。 最新トップニュース

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    buhikun 2013/06/27
    タンク式になる前の昔の客車のトイレだったらどうなるのかと考えたら夜も眠れないorz
  • 山陰中央新報 - 紫雲丸事故で児童ら献花

    瀬戸内海を修学旅行中だった松江市立川津小学校(同市西川津町)の児童、教員ら25人が犠牲になった紫雲丸衝突事故から、11日で58年目を迎える。犠牲者の冥福を祈ろうと、同校の児童らが10日、中庭に設置されている記念碑に献花し、先輩の死を悼んだ。 【詳しくは紙紙面をご覧ください】 ('13/05/10 無断転載禁止)

    buhikun
    buhikun 2013/05/10
    川津小は投票所で何度か行った/宇高連絡船も廃止から25年である(ぎりぎり間に合って1回だけ乗船した)。合掌<m(__)m>
  • 笹子トンネルの謎

    笹子トンネルの謎 完全版~読者様より反響のお手紙を頂きました(2003-03-01) 笹子トンネルの休日の車線規制に憤った経験のある全ての方に捧げる 笹子トンネルの謎           当サイト管理人 中央自動車道に笹子トンネルというドライバー泣かせのトンネルがある。いや、ドライバーだけではない。その家族だってうんざりだ。 ただでさえ、週末の中央自動車道の混雑は目に余るものがあるというのに、あろうことかこの笹子トンネルというやつは、「トンネル内の渋滞をなくすため」と称して休日はトンネルの手前で車線規制を行うのだ。トンネルの手前で車線を一つに絞り、トンネル内では2車線に戻すため、トンネル手前は大渋滞だが、トンネル内はカールルイスも全力疾走が可能なくらいにすいている。 私はこれをやられる度に、いつも思うことがある。「なぜ、トンネル内で渋滞すると困るのだろうか」ということである。理由がさっぱり

    buhikun
    buhikun 2012/12/02
    ↓日本坂トンネルは言及されたが、豊浜トンネルの件http://tinyurl.com/276c2pa は忘れられとるな。1996年。
  • 粉川哲夫の雑日記

    ■2011年04月28日 (11:46 pm) JST ●地獄のサイクル 「歴史を忘れる者は、それを繰り返す羽目になる」という言葉を引用する識者が多いが、実は、この言葉自身が歴史を忘却している。大様な茂木健一郎先生なんかも使っている「名句」だから、あまり目くじらを立てる必要はないかもしれないが、これは、ジョージ・サンタヤナの誤用である。サンタヤナ自身はこんなことを言ってはいないからだ。 サンタヤナ自身が "Reason in Common Sense" (『The Life of Reason』第1巻)のなかで 書いたのは、「過去を記憶できない者は、過去をくり返えさざるをえない」(Those who cannot remember the past are condemned to repeat it )であり、ここで言う「過去」は必ずしも「歴史」のことではない。彼は、原文にあるように、人

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    buhikun 2011/05/01
    自分は「ルイ・ボナパルトのブリュメールry)」想起。もう2周目の「喜劇」のターンまで来とるやろう。3周目はどうなるか予測不能(苦笑)
  • 日航機墜落25年/空の安全願い追悼登山/“会いに来たよ”

    航空123便が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落し、520人の犠牲者を出した事故から25年を迎えた12日、遺族らは犠牲者の追悼と空の安全を願って墜落現場に登りました。 時おり小雨がぱらつくなか、遺族らは折り鶴や花を手に、ぬかるみに足を取られながら追悼登山。緑が生い茂る急斜面にはフルートの演奏が流れ、点在する犠牲者の墓碑には線香がたかれ、ゆかりの品が供えられました。 墜落現場に建立された「昇魂之碑」の前では、遺族らが空の安全を祈る鐘を鳴らし、「会いに来たよ。怖かったね」などと書かれた短冊が、何枚も鎮魂の鈴とともに風に揺れていました。 “事故原因 知りたい” 墓標に花を手向け、手を合わせていたのは、大阪府吹田市から来た男性。3歳のときに旅行会社の代理店で働いていた父親(当時33歳)を亡くしました。出張中でした。 「彼女ができて今は幸せです」と報告したという男性。「物心ついたときには父親はもう

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    buhikun 2010/08/13
    あわせて読みたいhttp://tinyurl.com/28r4bas /ボーイングの非協力は非難されるべきだが、圧力隔壁破砕説には今も疑問が/日航第一組合がこの件に原則的に対応したのは、「沈まぬ太陽」でご承知の通り。
  • 日航123便はなぜ墜落したのか/水島朝穂早大教授の「平和憲法のメッセージ」 - 薔薇、または陽だまりの猫

    今回は「8.12」の25周年について書きました。4月12日に紹介した『日航 123便 あの日の記録 天空の星たちへ』が出版されて4カ月。いよいよその「8. 12」がやってきます。同書のグラビアにあった写真を拡大すると、「オレンジ色」 になることがわかり、専門家に解析してもらいました。そのことを週刊現代8月14 日号が書きました。今回の直言で紹介していますので、ご覧ください。 http://www.magazineland.jp/tenkuu/ http://www.asaho.com/jpn/bkno/2010/0412.html ------------------------ 今 日は「8.9」(ナガサキ)65周年である。冒頭の写真は、私の1年ゼミ(2009年度)の女子学生が平和記念式典に参加するため広島を訪れ、「8.6」(ヒロシマ)65周年の朝焼けを撮影したものである。式典には、国連

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    buhikun 2010/08/12
    あれから25年/圧力隔壁破砕説は専門筋からは支持が無かったとは。初耳である/未だ解明されていない事実があるように思われ。そういう意味で“まだ終わっていない”。
  • 軍事化の末 民包んだ炎/「軽便」爆発きょう節目 心の傷なお - 沖縄タイムス

    軍事化の末 民包んだ炎/「軽便」爆発きょう節目 心の傷なお 沖縄戦まで県民の足として「軽便」の名で親しまれた沖縄県営鉄道が、地上戦に先立つ1944年12月11日に島南部で大爆発してからちょうど65年。日軍の徴用で実質的に軍専用の鉄道になり、大量の武器弾薬類を積み込んでいたことが、死傷者200人以上ともいわれる未曾有の事故を招いた。「まぎれもなく戦争の陰の犠牲だった」。関係者は当時の惨劇を記憶にとどめる。(鈴木実) 「ドーン」。同日午後3時半ごろ、那覇方面から糸満線を南下していた7、8両編成の列車は、糸満線の稲嶺駅(現南城市大里)の手前で突然大音響を上げ爆発した。連結が切れた最後尾の貨車は、猛烈な爆風を受けて燃えたまま逆走し、3駅離れた津嘉山駅付近まで押し流された。 隣接する現南風原町神里集落には積み荷の残骸(ざんがい)が雪のように降り、爆圧で倒壊する民家もあったという。機関車の煙突

    buhikun
    buhikun 2009/12/11
    戦時輸送の招いた惨劇。あわせて読みたいhttp://risshi.life.coocan.jp/akisimacity0101.html
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