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歴史と刑事訴訟法に関するbuhikunのブックマーク (2)

  • 中日新聞:冤罪はだれが防ぐ 週のはじめに考える:社説(CHUNICHI Web)

    トップ > 社説・コラム > 社説一覧 > 記事 【社説】 冤罪はだれが防ぐ 週のはじめに考える Tweet mixiチェック 2014年4月13日 冤罪(えんざい)にかかわるニュースを聞くと、少なからぬ人がこう思うでしょう。一体、裁判所は何をやっていたのか。ましてや今は裁判員時代であるのに、と。 先日の袴田事件の再審決定では、決定理由が捜査機関の証拠の捏造(ねつぞう)にまで言及していたことに、多くの人が驚いたでしょう。 しかしながら、この事件の裁判のもう一つの驚きとは、最初に死刑を言い渡した一審・静岡地裁判決の裁判官三人のうちの一人、熊典道さんがのちになって、判決は誤りだった、自分は無罪を主張していた、と公表したことでしょう。自責の念からです。 一審判決の強い疑念 来なら裁判の評議の秘密は漏らしてはならないとむろん知りつつも、判事を辞めたあと、長い沈黙を破って胸の内を明かしたのでし

    buhikun
    buhikun 2014/04/14
    まあ形式的に当事者主義を取っても、証拠は圧倒的に検察に集中しているという非対称性が問題なので。公害訴訟の被告加害企業とある意味同じ構造。
  • こうして小林多喜二は再び殺される - 法華狼の日記

    最初に、治安維持法の犠牲になった著名人のひとり、小林多喜二の年譜から、その最期の説明を紹介しよう。 http://www.takiji-library.jp/takiji/history/*1 1933年 (昭和8年) 2月20日、正午すぎ、赤坂福吉町で連絡中、今村恒夫とともに築地署特高に逮捕され、同署で警視庁特高の拷問により午後7時45分殺さる。検察当局は死因を心臓まひと発表。解剖を妨害し、22日の通夜、23日の告別式参会者を総検挙した。 小林多喜二の遺体は、墨と紅ガラで染めあげられたかのような姿になっていたと伝えられている。 拘留中なので小林多喜二は獄死ではない主張する人がいるだろうか。起訴される前に死んだから治安維持法の犠牲者ではないという人がいるだろうか。 前回、大屋雄裕教授*2が治安維持法の逮捕者数と送検者数を間違えているのではないかと指摘した。 治安維持法の犠牲者数について、大

    こうして小林多喜二は再び殺される - 法華狼の日記
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    buhikun 2013/12/14
    刑事弁護実務で逮捕勾留の違法を争うようになったのは先の戦争後の刑事訴訟法改正からでしょう。旧法時代の手続保障の不備っぷりにさぶいぼが立つが、それ以上にその矮小化にご熱心な大先生が(以下略
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