タグ

歴史と日韓関係に関するbuhikunのブックマーク (6)

  • [挺対協報道資料] 12.28日韓外相会談に向けて 「平和の碑」の撤去といった前提条件付きで日本軍「慰安婦」問題を解決することは不可能です。

    軍「慰安婦」問題・関西ネットワークのブログです。私たちは日軍「慰安婦」問題の解決をめざして、関西を中心に活動しています。 光復70周年をこのまま終えるのが惜しいのだろうか。安倍首相が2015年もあと数日という今、世論づくりの主人公として踊り出た。 いつもそうだった。緊急で重要な外交問題を、メディアを通して暴露し、世論はこれに踊らされ惑わされてきた。その波紋は、あたかも真実であるかのように、直ちに歴史を変えるかのように、世の中を騒がせた。過ぎて見れば結局何らの進展もなく、内容のないパフォーマンスに過ぎなかった。その中で、被害者たちは「今度は当に可能性があるのか?」と期待し、「やっぱりダメなのね」と天国と地獄を行き来する。このような日政府を見て「まるで私たちをからかっているみたい」と言う。 この度の事態は、安倍晋三首相が25日、岸田外相に「慰安婦」問題妥結のため年内に韓国を訪問するよ

    [挺対協報道資料] 12.28日韓外相会談に向けて 「平和の碑」の撤去といった前提条件付きで日本軍「慰安婦」問題を解決することは不可能です。
    buhikun
    buhikun 2015/12/28
    ↓交通事故訴訟の和解条項に「今後請求しません」とあっても、和解後判明した後遺症にはその効力は及ばず、別訴で請求しうる(判例)。慰安婦問題は日韓条約後に判明した事実やろ(呆
  • 金泳三・韓国元大統領が死去 軍事色を排除、民主化推進:朝日新聞デジタル

    軍事独裁下の韓国で民主化運動を率い、1992年に大統領に当選して「文民政権」を誕生させた金泳三(キムヨンサム)さんが22日午前0時22分、ソウル大病院で死去した。87歳だった。同病院によると、19日昼に入院。21日午後に容体が急変し、敗血症と急性腎不全を併発して亡くなった。韓国政府は22日から26日を「国家葬」とし、26日にソウルで告別式を開くと決めた。 故金大中(キムデジュン)氏(元大統領)らとともに野党指導者として民主化の進展に貢献した一方、かつての「政敵」とも手を組んで与党側に転じ、政権をつかんだ。 1927年、韓国南部の巨済島生まれ。ソウル大卒業後、首相秘書官などを経て、54年、史上最年少の26歳で国会議員に当選。61年の朴正熙(パクチョンヒ)少将(当時、後に大統領)による軍事クーデター後、金大中氏らとともに民主化運動の先頭に立った。 74年に野党新民党総裁に就任。79年の朴大統領

    金泳三・韓国元大統領が死去 軍事色を排除、民主化推進:朝日新聞デジタル
    buhikun
    buhikun 2015/11/22
    「三金時代」も過去のものに/最終パラグラフの書きぶりが、今日の日本メディアの韓国観をはしなくも明らかに(憮然
  • 独島(竹島)問題について「元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻之覚書」に関する件 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    独島(竹島)問題についての個人的な見解としては、日側の1905年1月28日の閣議決定による領有主張の有効か否かに集約される問題だと思ってます*1ので、それ以前の史料についてはあまり興味ありません。 何度か太政官布告に言及したことはありますが、少なくとも日側の主張する「固有の領土」論*2は誤っているという指摘のためで、現時点における領有権の帰趨にかかわる話ではありません。 それでも日韓政府間では古文書合戦が続いていますので多少はその史料も見るんですが、正直言って古文書合戦では日側に不利な証拠ばかり出てくるのでやぶ蛇になってるなぁと感想です。 「元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻之覚書」もそういう感想を抱いた史料です。 「元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻之覚書」当時の情勢 これは、元禄9年(丙子の年)粛宗22年西暦1696年における領土交渉の一部で「竹島一件」として知られている事件の史料の一部です。

    独島(竹島)問題について「元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻之覚書」に関する件 - 誰かの妄想・はてなブログ版
    buhikun
    buhikun 2015/10/13
    島根県の竹島問題への対応は、地元島根大学の内藤名誉教授が「固有の領土説」に疑義を挟んでいた http://goo.gl/jqJzVm ところ、拓大にすがったのであり、最悪手であったと思われる(苦笑)
  • 朝日新聞デジタル:日韓正常化交渉、韓国非難の公文書 決裂させた日本代表 - 政治

    韓国側代表と握手する久保田貫一郎氏(左)=1953年4月15日、東京都港区日韓会談決裂につながる発言をした日側首席代表・久保田貫一郎氏が残した文書「日韓会談決裂善後対策」  【佐藤純】日韓国交正常化交渉で1953年に日側首席代表を務めた外務省の久保田貫一郎参与が、朝鮮半島の植民地支配を正当化する発言で反発を招いた直後に韓国側を「思い上がった雲の上から降りて来ない限り解決はあり得ない」と非難する公文書を残していた。外務省が市民団体に3〜4月に開示した約1万ページの中に含まれていた。  「日韓会談決裂善後対策」と題する文書20枚。冒頭に決裂5日後の53年10月26日の日付と「久保田」の署名、余白に「極秘」の文字がある。  久保田氏は、韓国側が(1)植民地支配は韓国に害だけを与えた(2)抑圧されていた民族の解放と独立は第2次世界大戦後の最も重要な国際法の新原則で、そのために日側は朝鮮半島の

    buhikun
    buhikun 2013/06/18
    そして「植民地なんて生まれてないから知らない!アーアー聞こえない!」の高市先生登場と(嘲
  • はてサが読むべき『在日・強制連行の神話』

    「在日・強制連行の神話」は、80年代から語られるようになった「在日韓国・朝鮮人は強制連行の被害者である」と言う誤解を、史料を元に否定した上で、なぜ誤解が生まれたかを丹念に記述している。要は在日韓国・朝鮮人の論者が捏造した神話だそうだ。著者の首都大学教授の鄭大均氏はエスニシティや日韓関係論の専門家で、この問題を語るに相応しい人物であろう。 1. 神話とその発生経緯の丁寧な説明 第1章で各所にある「在日は強制連行の被害者である」と言う記述を確認し、第2章でそれに対しての反論が紹介されている。第3章は在日一世たちの証言を紹介しつつ、第2章の反論を補強している。この章は興味深い話も多く、面白かった。第4章で朴慶植氏の「朝鮮人強制連行の記録」が誤解の源であり、その記述には不正確さがあること、朴慶植氏が北朝鮮の影響を強く受けていたことを指摘している。第5章は金嬉老事件に関して、梁石日氏、姜尚中氏、辛淑

    はてサが読むべき『在日・強制連行の神話』
    buhikun
    buhikun 2013/05/03
    「はてサが読むべき(ry」でお里が知れるとしか。もう言えやしねえ。
  • 安倍首相が微妙な発言、「祖父は朴正熙と親しかった」

    の安倍晋三首相が22日、米ワシントンの国際戦略問題研究所(CSIS)で朴槿恵(パク・クンヘ)次期大統領と関連し微妙な発言をした。 CSISのビクター・チャ専任研究員が「まもなく発足する朴槿恵政権との関係をどのようにするか」と尋ね、安倍首相は「韓国は大変重要な隣国だ。朴次期大統領とも2度会って事をした」と紹介した。それから「私の祖父は朴次期大統領の父親である朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領と親しい友人だった。朴元大統領は日と非常に親しかった方だ」と蛇足を加えた。参席者は安倍首相が話した「祖父」を母方の祖父である岸信介元首相と理解した。岸元首相は日のかいらい政府の満州国で国務院総理のすぐ下のポストにあたる総務処次長を務めた。第2次世界大戦敗戦後にはA級戦犯容疑者として服役した。その後再起し、1957年から60年まで首相を歴任した。5・16クーデター直後に日を訪問した朴正熙元大統領は

    安倍首相が微妙な発言、「祖父は朴正熙と親しかった」
    buhikun
    buhikun 2013/02/26
    安倍珍三「確かに祖父は朴元大統領と親しかった。そして僕は、文が鮮明な教え主(故人)と大仲だワッハッハ」\(-_-;)オイオイ
  • 1