昭和十九年版『毎日年鑑』によれば、海外在留邦人人口は、関東州:136万7234人、南洋群島:13万1157人に及んだ。 「すすめ一億火の玉だ」と言われる1億人余りの日本人のうち、実に150万人弱の人口が、本土から海外に進出していたということになる(『毎日年鑑』では昭和15年10月1日の国勢調査を出典としている)。 「就活はアジアへ!」といういささか能天気な宣伝文句を数年前までよく見かけたが、今から70年前も、食えない内地を捨て海外の新天地で就職・就労を希望する青年は多かった。満蒙開拓青少年義勇軍をはじめとする開拓移民が、現地で引き起こした侵略行為とその後の悲劇についてはよく知られている。実はそのほかにも、こんな海外就労の途があった。 戦時下においても帝国政府は、日本青年の海外への雄飛を国家的植民地経営の礎として奨励した。その海外移住・海外就職政策の一翼を担った民間団体に、大日本海外青年会(