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ブックマーク / inujin.hatenablog.com (77)

  • インターネットに関する、とても個人的で感情的で非論理的な見解。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    ぼくがブログを書き始めたころ、インターネットは現実から隠れて自由になれる場所だった。 目の前の現実では、ぼくはいつも自分のことをごまかしていた。 ぼくの現実にはいつも評価があった。 得意先の要望に応えるべく努力しているか、会社の収益を上げるための工夫をしているか、家庭の一員として役割を果たしているか、まともな人間として世の中の役に立とうしているか、そして他にはない自分だけの生き方をできているか。 ぼくはそういうことに何度かまともにぶつかってみた結果、まったくうまくいかなくて、物事に気で取り組むのを恐れるようになった。 気でやらないから力もつかないし、力がないのがわかるから勝負事を避けるようになった。 そうやってどんどん自分で自分を窮地に追いやっていることがわかっていたので、そのこと自体がダメージとなって蓄積し、身動きが取れなくなっていた。 はてなブログで文章を書いているあいだ、ぼくはそ

    インターネットに関する、とても個人的で感情的で非論理的な見解。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
    bulldra
    bulldra 2021/08/11
  • 「何者問題」と、ハッピーエンド。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    シロクマ先生(id:p_shirokuma)の新著『何者かになりたい』(イーストプレス,2021)をきっかけに、「何者かになる」あるいはアイデンティティに関する文章がいくつも書かれていて、面白い。 特に、池田仮名さん(id:bulldra)のこんな文章が印象的だった。 『令和元年のテロリズム』の読書会において、「強制スクロール」という言葉が話題になった。学校があって就職があって昇進があって結婚があって育児があって、それぞれの困難とそれを乗り越えるための成長や価値観のアップデートが求められていくのが人間社会なのだけど、どこかで任意スクロールに転じやすくなったのが現代である。若い女性にアタックし続けるおじさんは価値観の任意スクロールと年齢の強制スクロールに挟まれたなれ果て - 太陽がまぶしかったから 仮名さんは「何者かになる」という文脈ではなく、大人になると自分の価値観のアップデートを社会から

    「何者問題」と、ハッピーエンド。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    bulldra 2021/06/16
    "ぼくがいま一時的に「何者問題」から離れることができているのは、おそらく自分自身のことばかりかまっていられないから、というのが本音のような気がする。" / それでも「一時的」となる視点
  • 人生二周目の、歩きかた。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    ぼくはいま、人生の二周目を歩きはじめている。 一周目の人生は、前半は無我夢中、後半は不完全燃焼、という感じだった。 若い頃は視野も狭いし、情報も足りないので、あまり選択肢が見えなかった。 受験勉強をがんばるか、がんばらないか。 希望の企業に就職するか、しないか。 業界の中で評価されるか、されないか。 会社から大事にされるか、されないか。 そこで勝ち残れるように努力することが当たり前だった。 ところが年を取ってくると、どうも自分は勝てるときもあれば負けるときもあることがわかってくる。 もっといえば、どれだけ努力したところで、たくさんの競争相手がいる世界で勝ち続けることはできないし、負け続けてでもしがみつきたいと思えるものがあるわけでもない、ということがわかってくる。 努力は裏切らない、というけれども、それは、努力をしたぶんは何かしらの力がつく、という意味では正しい。 だけど、努力をしたからと

    人生二周目の、歩きかた。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    bulldra 2020/10/23
  • 誰にも、尊敬されない人生。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    「クソみたいな仕事」について書かれているが話題になっているようだ。 考えてみるに、ぼくはこれまでひとつも人命を救うような仕事もしたこともなければ、世の中から感謝される仕事もしたことがないし、自分がやらなければ誰かが困るなんて仕事もしたことがない。 サラリーマンは常に替えがきく存在であって、自分がいなくなっても現場が回るように環境を整えて、そっと退場するところまでが仕事なのである。 若い頃はそういうのが耐えられなくて、生まれてきたからにはすごいことを成し遂げたい、世の中をあっと言わせてやるんだという気持ちが強くて、それがあまりに強かったので、現実とのギャップにすごく苦しんでいた。 そうやって年を取る中で、つまらない仕事、かっこわるい仕事、恥ずかしい仕事もたくさん経験した。 今でも、特に同年代で世の中からたくさん尊敬される仕事をしている人と出会うと、とてもうらやましく感じる。 だけど、自分の

    誰にも、尊敬されない人生。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    bulldra 2020/08/19
  • ハック病に、感染しています。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    池田仮名さん (id:bulldra)がこんな記事を書いていた。 都知事選出馬の供託金300万は大型広告出稿と考えると安い - 太陽がまぶしかったから 来の目的ではなく、安上がりな情報発信手段として、東京都知事選挙への立候補をする人がいるのではないか、ということについて書いている。 仮名さんは記事の最後にこう締めくくっている。 あくまで効率の良すぎる広報のための必要資金を払っただけという状況を回避するための解決策として最初に思いつくのは供託金を高くすることなのだけど、それは富裕層との格差固定化に繋がる。審査を厳しくする事も考えられるが恣意的な表現規制は現政権の固定化に繋がる。 民主主義の前提と両立する有効な解決策が簡単にはできないからこそハックされているのだけど、結果としてそれらの悪手の推進に誘導されていくことに暗澹たる思いになる。 なるほど、ありえそうな話で、暗い気持ちになってくる。

    ハック病に、感染しています。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    bulldra 2020/06/27
    「反則」に対するのは倫理と関心ではあるのだけど、倫理と関心が個々人でバラバラになりすぎているのが難しい
  • 健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会に潜伏しています。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    シロクマ先生(id:p_shirokuma)の新著『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』を読ませていただいた。 文章の色んなところから、シロクマ先生の強い覚悟を感じ、なんとなくずっと背筋を伸ばしたままで読み終えた。 シロクマ先生は書の中で、この国の「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」のあり方について疑問を投げかけるだけでなく、精神科医としてのご自身の立場に対してさえも疑いのまなざしを向けている。 たとえば、こんな感じだ。 資主義・個人主義・社会契約が徹底していく社会、どこまでも清潔で健康で道徳的になりゆく社会、秩序と社会適応の同心円へあらゆる人を包み込む社会から逃れることは困難になった。家庭でも、学校でも、職場でも、マスメディアやインターネットでも、それらを大前提とした通念や習慣に私たちは曝され、それを内面化していく。そのことは医療や福祉の現場でも変わらない。こ

    健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会に潜伏しています。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    bulldra 2020/06/21
  • 不要不急な、ぼく。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    自分は世の中に絶対に必要な仕事をしているのか、と言われたら、そうだと堂々とぼくは答えられない。 もちろん色んな企業や団体の役に立ったり、その結果、生活が豊かになることに貢献したりはしていると思うけれど、ぼくがいなくなってもどこかに代わりの人がいて、その人がちょっと忙しくなるくらいだろう。 人命に関わるような問題は起きない。 人命に関わる仕事といえば、医療とべることと住むところぐらいだろう。 不要不急と言われたら、あとのことは全部不要不急なのじゃないだろうか。 いや、それじゃ経済が止まってしまう、というけれども、医療とべることと住むところが確保されていたら、別に経済が止まっていても、誰も困らないのじゃないだろうか。 たとえば、その3つのことについては、誰もがなんらかの方法で関わって役に立ち、それ以外の時間は自由にすごす。 そんな風な世界であれば、別に誰も困らないのじゃないだろうか。 とま

    不要不急な、ぼく。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    bulldra 2020/05/13
  • サードブロガーを、続けてみて。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    なんだかんだいって7年近くブログを書いているようだ。 当時は影響力の大きな書き手はアルファブロガーと呼ばれてもてはやされ、アルファブロガー同士で盛り上がり、そういう存在になろうとせっせとエントリを書く人と、それを周りで見て嫉妬する人とがいた。 ちょうど職場で表現者同士の小さな仕事の奪い合いに疲れていたぼくは、ああブログの世界でも同じなのかとげんなりして、もうそういうのはええやん、アルファブロガーでもそれを追いかけるベータブロガーでもなく、自由に書きたいことを書くサードブロガーになろうよ、と言っていた。 それで、7年近くを振り返るに、ぼくはちゃんとサードブロガーでい続けているなあと思っていて、まあ家庭と仕事にほとんどの時間を使っていてすっかり書く機会は減ったけれども、たまにフラッとやってきて、書きたいことを書いて、また慌ただしい日々に戻ってゆく。 うれしいことに、たまに他のネットメディアでも

    サードブロガーを、続けてみて。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    bulldra 2019/09/29
  • 「はてなダイアリー」を使っている人に伝えたい、たった1つのこと。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    ぼくが「はてなブログ」にやってきたとき、そこは「はてなダイアリー」住民が主役の土地だった。 彼らはぼくよりもずっと昔にインターネットに居場所を見つけ、そこを時間をかけて開拓し、暮らしやすい土地にしてきた、尊敬するべき人々だった。 と同時に、彼らは思っていたよりもずっと閉鎖的で、気難しく、好戦的で、うっかり話しかけたらやたらと話が長くなるし、無視して新参者同士で親交を深めていると、陰からじっとのぞいて勝手に憤慨したりする、ひどくややこしい人たちだった。 「はてなブログ」にやってきた人たちも、色々だった。 ぼくのように「はてな村」はちょっと敷居が高いけど、この「はてなブログ」ならなんとか手が届くかも・・・とビクビクしながら引っ越してきた人もいれば、「はてなブログ」は、今までポツポツと古民家が残っているだけの土地を再開発してできた全く新しい居住区だと思って引っ越してきた人もいた。 そのうち、この

    「はてなダイアリー」を使っている人に伝えたい、たった1つのこと。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
    bulldra
    bulldra 2018/08/31
    近くて遠いはてなダイアリー
  • 結婚指輪を、なくした。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    またズボンのポケットの中だ、と思った。 深夜に帰ってくると、所定の位置に戻すのがめんどくさくなって、やってしまうのだ。 おまけに引っ越したばかりで結婚指輪だけではなく、色んなもののポジションがちゃんと決まってないので、いつもどおりの生活をスムーズに過ごすのが難しい。 早く整理を進めなくちゃなと舌打ちしながら、昨晩はいていたズボンを洗濯カゴから引っ張り出し、ポケットに手を突っ込んだ。 ない。 あわてて反対側のポケットも尻のポケットも手を突っ込んだが、やっぱりない。 全部のポケットを引っ張り出して、ズボンを逆さにして振ったり、洗濯カゴに入った他の洗い物も広げて、最後はカゴをひっくり返して底を叩いたが、何も落ちてこない。 這いつくばって洗面所を調べたが見当たらず、仕事カバンの中も全て床にぶちまけたが、ない。 もう出勤しないといけない時刻は過ぎている、過ぎているが、このまま発見できずに家を出れば、

    結婚指輪を、なくした。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    bulldra 2018/08/30
    冷や汗がでて心臓がキューっとなる感じ
  • 決める訓練は、必要だと思う。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    他人に判断を押し付けるのは、楽だ。 若い頃から、AとB、そしてできればCも用意して、それを相手に決めてもらえ、という訓練ばかりを受けてきて、それ自体はプレゼンテーションの技術向上に役立ったり、できるだけたくさんの切り口からアイデアを考える良い経験になったのだけれど、しかしぼくはそのせいで、とても大事なことの訓練をやらずに年を取ってしまった。 それは、決める、という訓練だ。 まあ正確に言うと大量にあるアイデアの中からAとBとCとにしぼる、という判断はたくさんしてきた。 してきたけれども、その中でよしこれで行こう!と一つだけを決める、つまりは何を捨てて、何を残して、その方向に一歩を踏み出す、という経験というのが圧倒的に足りないあと思う。 サラリーマンは当に気楽な稼業だと思ってて、それはおおむね良い意味なんだが、しかしまずいなと思うのは、ぼーっとしていても誰かが決めてくれるところだ。 お客さん

    決める訓練は、必要だと思う。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    bulldra 2018/08/11
  • 君のことは、全然心配していない。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    先日、昔お世話になった人が定年退職することになって、挨拶に行ったら、ところでお前はいったいどっちの道に行くんやと言われて答えに困った。 どっちの道、というのは表現者としての道と、それをサポートする道、という意味で言ってるのだが、実はもう自分はどちらの道にも関心がなくなっていて、だがそれを説明するのが面倒だったし、もっと言えばその人の頭の中にある道の姿と、ぼくの頭の中にあるそれが、十数年を経て、かなり違ったものになっているという確信があったのだ。 それで、ううんまあなんでもいいんです、というとすごくがっかりした顔をされたので、もっといい答え方があったのかもな、と少し後悔した。 その人はぼくのことを未だに心配してくれているのだろうし、善意で言ってくれているのはわかるが、もうぼくはぼくなりの細々とした道を歩き始めていて、彼らが、そして過去のぼくが、これまで大事にしてきたものとは決別しているという

    君のことは、全然心配していない。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    bulldra 2018/02/10
    かっちょよさ
  • やらないことを、増やしていく。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    ここのところ、すごい人たちに出会う回数があまりに多く、自分のできることなんて当にかぎられているなあと思うことばかりだった。 ただ、ぼくが感じた「すごい人たち」というのはみんな共通していることがあって、彼らはいつも何か具体的なことを目的として持っていて、それを果たすために全力を尽くしている。 ぼんやりと人の役に立ちたいとか面白いことがしたいとか世界平和に貢献したいとか、まあそういうことも最終的には考えているのだろうけれども、当面やると決めていることがあって、それはこのイベントを成功させるんだとかこの作品を完成させるんだとかこの交渉を成立させるんだとか、とても具体的で、かついい感じに困難で、しかしいい感じに達成できそうな、いい頃合いの標的を持っているのである。 で、それを達成するために何をやればいいかを一日中考えていて、夜中に急に大事なことを思いついて動き始めたり、もう納品は終わっているのに

    やらないことを、増やしていく。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    bulldra 2017/09/09
    “ぼくはもうこの年なので「すごい人たち」の一員になりたいとも思わないけれども、しかし年を取っているぶん、もっと自分の欲望の声を素直に聞いて、そいつがちゃんと成就されるようにしてやらなきゃな、と思う。”
  • 妻と夫は、どっちが大変か。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    久しぶりに読んだブログの感想を書く。 nanikagaaru.hatenablog.com 夫婦ってお互い、自分が相手にやってあげたことは覚えていても、相手がやってくれたことは過小評価してしまいます。だから適切なシェアなんて絶対できない。お互いがお互いに不満を持ち続ける、それが夫婦の家事分担なのです、マジで。 id:Nanimonaiさんがあるをお読みになったときの感想だ。 なぜ家事のシェアは適切に行うことができないのだろう。 おそらく、家事というものは、そもそも「シェア」するものではないからなのだろう。 これはあなたで、これは私で、というように分担を決めて担当することができる場合というのは、意外と少ない。 そういった静的なポジショニングが成立するのは平時、すなわち何も問題が発生しない、きわめて稀な状況に限られる。 家庭生活のうちのほとんどはアクシデントで構成されている。 ある朝突然子供

    妻と夫は、どっちが大変か。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
    bulldra
    bulldra 2017/01/03
    "夫婦のうちよく気が付き、生活能力の高い側ばかりが動くことになってしまう。"
  • 自分が無害なおっさんであることを伝えるのは、難しい。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    平日の昼間、クリスマスプレゼントにもらったラジコンカーをどうしても公園で走らせたいと子供が言うので一緒に行った。 その日はぼくは休暇を取っていたのだが、世間的にはまだみんな働いている普通の平日の昼間だったので、あまり人もいなかった。 しばらくラジコンカーを走らせて遊んでいたら、子供が急にウンチをしたいからトイレに行くと言い出した。 トイレは公園の少し奥のほうにあって、そこにはブランコや滑り台や砂場があり、ちょっと目が行き届きにくい場所だ。 昼間だといってもなんとなく物騒なので、ぼくは子供に付いていって、トイレの前でラジコンカーを預かって、外でじっと立って待っていた。 退屈なので周りを見回すと、小さい子供と若い母親たちが数人いるだけで、大人の男はぼくだけだった。 これはなかなか危ない感じの人間に見えかねないと思った。 ぼくはいま、平日の昼間から働きもせずに、子供たちとその母親たちしかいない公

    自分が無害なおっさんであることを伝えるのは、難しい。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
    bulldra
    bulldra 2016/12/29
    そこに存在するだけで発生し得る加害性みたいなことについて考えている
  • 人生の、目的地とは。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    東京出張した時に中途半端に時間が余り、美術館に行くには無理があるし、人に会うには急すぎるし、さてどうしようかと思って、家族に買って帰るお土産をちょっとじっくり選ぶことにして、いいものを買うことができてとても満足した。 東京に行くとあれもしとかなくちゃこれも見とかなくちゃと、妙に落ち着かない気持ちになる。 しかしぼくはそういうやりくりがとても苦手なので、そんなにうまく用事をこなせない。 結局何もできずにがっかりすることと比べたら、家族のお土産をじっくり吟味するのはなかなか良い時間の使い方だと感じる。 若い頃はどこか遠いところに行くときは、そのどこか遠いところこそが目的地だったけど、いつのまにか、遠くへ行って、戻ってくるところが目的地になっている気がする。 家を出るときや保育園を出るときは、いってきます、と言う。 いってきます、はたいていの場合、ただいま、と対になっているから、やっぱり戻ってく

    人生の、目的地とは。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    bulldra 2016/11/15
  • 出世に、失敗しました。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    一番大きな原因は、失敗を恐れたことだ。 エラくなるためには失敗はできない、評価されるためにはミスはできない、生計を立てるためには給料を下げてはいけない、という心配ごとばかりが頭の中にあって、人の目ばかりを気にして行動していた一年だった。 そのせいで、自分で仕事を抱え込んでしまって、結果的に失敗をやらかして、会社からの評価も大きく下がってしまった。 また、失敗を恐れるあまり、ワクワクできる挑戦をひとつも行わなかったので、面白い成果を上げることもできなかった。 そのくせ睡眠時間を削ってギリギリの状態で働いていたので、疲れ切ってしまった。 色々と自分で自分を勝手に追い詰めていた。 もう会社でエラくなるには年齢的にはギリギリだったし、実際に体力も集中力も減っていくし、子供の成長につれて家計はどんどん苦しくなるし、残された機会はほとんどなかった。 そう考えれば考えるほど、もう失敗はできない、うまくや

    出世に、失敗しました。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
    bulldra
    bulldra 2016/05/09
  • 日記を書く、日記を読む。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    個人の日記には、何の価値もない。 そこにはこの国に経済的効果をもたらすためのヒントなんてどこにもないし、日々の暮らしを向上させるための知恵も見出せない。 少し前だが、ドナルド・キーンさんの話がテレビで紹介されていて、氏が日人に興味を持ったきっかけのひとつは戦争中に死んだ日兵たちの日記を読んだことだそうだ。 日記の中身は軍事的には何の価値もない情報ばかりで、戦地で正月を祝い豆を分け合ったことなどの日々の出来事が書かれていただけらしい。キーン氏は、敵軍の捕虜にされる前に集団自決するほど任務遂行に執着する日人がなぜこのような、何でもない日々の記録を日記として残すのか不思議でならなかったらしい。 この日人の日記文化のようなものはキーン氏の努力もあり日文学として戦後注目されるようになるわけだが、しかしなぜ日人がどうでもいいような内容の個人的な日記を書くのかはその番組では明らかにされていな

    日記を書く、日記を読む。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    bulldra 2015/10/20
    かつて何に注目して、どう感じたのかを記録しながら変化を探りたい
  • 来なかった人は、必要か。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    行くのが面倒だなと思ってる集まりにいやいや参加した時にかぎって、「今日来なかった人はもったいないことしたよね」なんてことを自分が言ってることがあって、この心の動きはなんだろな、と思う。 今日来なかった人は損してるよね、自分たちはラッキーだよね、たくさん得るものがあったもんね、という気持ちが全くのウソでもなく、無理やり言い聞かせているとも限らず、実際に人はそう思ってたりする。 不思議なのは、参加者たち自身で「今日は来てよかったな」と勝手に思っていればいいだけなのに、なぜか「来なかった人」を引き合いに出してしまうところだ。 それは「ひょっとしたら今日来なかったかもしれない自分自身」との比較をして選択の正しさを納得するプロセスであったり、あるいは身内意識を高めるためなのかもしれないが、とにかく不思議な行動である。 しかし、ぼくに限って言えば、いずれにしても「やっぱり来るんじゃなかった」と思いた

    来なかった人は、必要か。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
    bulldra
    bulldra 2015/08/19
    この台詞ってすごくダサいなーって思うことがある。サービス精神からの煽りとして言うのはいいんだけど、「マイナスではない」と自分にいいかせるために、同意を求める感じがキッツイ。
  • 「のせい」を、やめる。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    春がやってくる。 ぼくの周囲にも、色々な出会いと別れがあって、ばたばたと忙しい中でもふと感傷的になったりする。 この時期によく聞くのが、会社事情での異動や転勤の話だ。 不意な異動を言い渡された人が、ものすごく怒っている場面に出くわすことも多い。 今まで必死に頑張ってきたのになんで! これほど会社に貢献してるのになぜ! ぼくもサラリーマンとして、そんな理不尽さに憤りを感じながら生きてきた。 自分がこんな不遇なのは、会社が自分の能力を理解していないせいだ、そしてこんなつまらない時代に生まれたせいだ、と。 だけど、最近、気づいてしまった。 会社のせいにしているのは、会社に頼ろうとしているから。 時代のせいにしているのは、時代に乗ろうとしているから。 若いあいだはそれでいいのかもしれない。 何かに守られながら力をつけることは大切だ。 だけど、ぼくらは早めに、それらに全身を預ける生き方から卒業した

    「のせい」を、やめる。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
    bulldra
    bulldra 2015/03/20
    外部要因に過度な期待はしないけど、プラスαは大歓迎っていうスタンスでいきたい