【読売新聞】 能登半島地震が発生した1日夜、石川県立穴水高校(穴水町)に設置されていた自動販売機が破壊され、飲料が持ち出される問題があり、自販機を管理する北陸コカ・コーラボトリング(富山県高岡市)は、石川県警に被害届を提出した。 飲
歴史的に眺めると、人類は、被疑者・被告人に苛烈な取り調べなり拷問なりをして自白を強要してた時代もあった。その結果冤罪という悲劇を量産してしまった。 人類はそういう過去の失敗を反省して、黙秘権やら弁護人依頼権やら被疑者・被告人にたくさんの防御方法を付与した。それが近代憲法や刑事訴訟法の思想な訳で。 我々の住む近代以降の国家はそういう決断をしたんだよ。「お前悪いことしたんだろ!」的な追及をする時にもルールって必要だよねって考え直したんだよ。 その結果、これまで有罪に持ち込めたヤツも無罪放免になってしまったかもしれない。悪いやつを取り逃してしまうこともあったかもしれない。 でも、「そうなってもいい」「冤罪を出すよりはマシ」という価値判断をしたんだよ、人類は。 こういう思想は近代以降のものだから、この先数百年くらいしたら、また別の思想に基づいた捜査・裁判の方法が社会実装されるかもしれない。その可能
地震発生20分後に発進した千歳基地の「F-15戦闘機」 2024年元日に発生した石川県能登半島北端を震源とする「令和6年能登半島地震」(マグニチュード7.6、最大震度7)。大規模な火災や津波も発生し、死者220人以上など能登地方を中心に甚大な被害を及ぼした。 今回の震災は、日本海に突き出し三方を海に囲まれた細長い半島が舞台という点が特徴で、ここ数十年の間に国内で発生した他の大地震と趣を異にする。しかも、半島北部、輪島市の有名な棚田群「千枚田」が物語るように、山が海まで迫り平地が極端に少ない。 半島部と外部とをつなぐ陸路は、数本の主要道と単線の鉄道(第3セクター「のと鉄道」)1本だけとごく限られ、どちらも破壊・寸断された。このため半島の中・北部の大半が長期間孤立し、電気・ガス・水道もダウンした。 能登空港も大きく損壊(10日後に仮復旧)し、「頼みの綱」であるはずの船舶輸送も困難を極めた。国内
自民党派閥の政治資金パーティーを巡る事件を受け、安倍派の解散が決まったことについて、安倍派に所属する杉田水脈衆院議員は議員総会後、報道陣の取材に応じた。「国民の皆さまへのやっぱり政治不信を招いてしまったということでは解散はやむを得ない」と語った。 一方で、自身がパーティー券収入で派閥からキックバックを受けていたかについては「派閥の方で固まった後に個々の事務所の方という形になってくる。まだ私の方では分かっていない部分もありますので、またそういう時になりましたら説明をさせていただきたい」と述べるにとどめた。 「額は大体、何十万とか何百万か」と尋ねられると「ちょっと私はまだ大体もちょっと聞いておりません」と釈明。「何か意図的なものではない?」と質問されると、「ではないです。私も全く存じ上げてなかった」と語った。
群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」にある、戦時中の労務動員で犠牲になった朝鮮人の追悼碑について、県は行政代執行によって撤去する方針を固めた。29日から2月11日にかけて公園を閉鎖し、撤去にのりだす。 碑をめぐっては、設置を不許可とした2014年の県の処分を「適法」とする判決が22年に最高裁で確定。碑を所有する市民団体「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」に対し、県は23年4月に撤去命令を出した。さらに同10月、行政代執行法に基づく「戒告書」を送り、同12月28日までの撤去を求めていた。 すでに碑の周辺は重機が入れるように伐採済み。県は29日から2月11日に群馬の森の閉鎖を決めており、この間に撤去工事をする見通し。守る会側にも19日付で、代執行の日程を記した通知が送付されたという。 追悼碑は04年4月、「守る会」の前身の団体が建立。戦時中に重労働や飢えなどで亡くなった朝鮮人を悼み、ア
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