2021年12月27日のブックマーク (4件)

  • 荒地派と三島由紀夫: 極東ブログ

    戦後詩を形成した荒地派の生年をスペクトラムとして見ると、おおよそではあるが、大正8年の黒田三郎から大正13年の吉隆明くらいの、5年くらいの幅がある。彼らが戦後を迎え、「荒地」を形成するころの20代以降では、彼らのなかではそれほど大きな年齢差としては意識されなかったのではないか。が、実際のところ、そのスペクトラムに出征の有無がある。 今、たまたまではあるが、世界大百科事典を覗いたら、「荒地」について「鮎川、加島祥造、北村太郎、木原孝一、黒田三郎、田村隆一、中桐雅夫、三好豊一郎ら戦争体験を経たモダニズムの詩人たちがこの雑誌に結集し」とあり、そこでは「戦争体験」として一括されていた。間違いだとは言えないし、そこで出征経験の有無が差異として強く問われたこともなかっただろう。またおそらく、彼らの多くが戦後、海外文学の翻訳者として関わっているように、西洋的なモダニズムの基礎があり、それにがドメスティ

    荒地派と三島由紀夫: 極東ブログ
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    candysearchlight 2021/12/27
    “黒田三郎論を書いたおり、黒田が詩壇に躍り出て村野四郎との関係に悩む風景を見たが、黒田などからすれば、「詩と詩論」のモダニズムと自分たちの差異は大きく感じられたのだろう。逆に、「詩と詩論」のモダニズ”
  • マルセル・デュシャン - Wikipedia  #レディ・メイドと『泉』

    エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン(Elsa von Freytag-Loringhoven) マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp、1887年7月28日 - 1968年10月2日)は、フランス生まれの美術家[1]。20世紀美術に決定的な影響を残した。画家として出発したが、油彩画の制作は1910年代前半に放棄した。チェスの名手としても知られた。ローズ・セラヴィ(Rrose Sélavy)という名義を使ったこともある。2人の兄、ジャック・ヴィヨン(Jacques Villon, 1875年 - 1963年)とレイモン・デュシャン=ヴィヨン(Raymond Duchamp-Villon, 1876年 - 1919年)も美術家。1955年、アメリカ国籍を取得した。 近年の研究では、代表作の『噴水(泉)』を含む多くのデュシャン作品は、ドイツの前衛でダダイストの芸術家・

    マルセル・デュシャン - Wikipedia  #レディ・メイドと『泉』
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    candysearchlight 2021/12/27
    “世界の名画 21 キリコとデュシャン 未来派、形而上派とダダ』村野四郎・東野芳明・高階秀爾解説、中央公論社, 1973”
  • ハイデガーとか - finalventの日記

    ちなみに私のハイデガー観みたいのはこれが多めに書いたかな⇒極東ブログ: ハイデガー「技術論」から考える新しいゲシュテル あとこれもかな⇒極東ブログ: [書評]反哲学入門 (木田元) これはfinalventってバカなんじゃないのとかデカルト読んでなさげな人たちに言われたけど⇒極東ブログ: 「我思う故に我有り」は微妙に誤訳なんじゃないか でと。 レスではないけど⇒ハイデガーについてもうひとこと言っておくか。 - 呂律 / a mode distinction しかも文脈は違うけど。 自分とハイデガーの出会い♥をちょこっと。 最初にずばっと言ってしまうと、ハイデガー好きのみなんさんは、ハイデガー好きになる前に、哲学史というか西欧の哲学史の危機みたいな知の雰囲気に惹かれすぎていると思うのですね。そしてだから、コジェーブ、サルトル、デリダみたいなふうなものに、ちょっと悪口みたいな言い方だけど、酔っ

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    candysearchlight 2021/12/27
    “「体操詩集」(昭和14年)はとんでもない詩集ですよ。ぶっちゃけいうとハイデガーのサイテーさがよくわかるような。  話”
  • 『我が愛する詩人の伝記』を読む - mmpoloの日記

    室生犀星『我が愛する詩人の伝記』(中公文庫)を読む。犀星が親しんだ詩人たちで先に亡くなった彼らを悼んで小伝を書いたもの。北原白秋から島崎藤村まで11人を扱っている。以前高校生のころ、ほぼ50年前に読んでいる。たのしく読んだ記憶がある。 その印象は今回も全く同じだった。 犀星は萩原朔太郎について、詩のほかに自分と違って評論も良かったと書いている。 (……)萩原は七、八冊のノートに書きこんだ評論を暇にまかせて、どこから出版されるというあてなしに書きためていた。非常に早く書く方でありその辞句のあやつりも巧みであってああいう一見だらしのない人物が、よくも秩序を保たなければならない論文が、すらすらとながれる如くに書けるものだと思っていた。私なぞ評論風なものを二、三枚書くのにホネが折れ、うまく文章が連れ立って来なかった。彼は小説はむつかしいが評論は訳がないといい、私は小説はうまく書けても評論はひちくど

    『我が愛する詩人の伝記』を読む - mmpoloの日記
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    candysearchlight 2021/12/27
    “津村の「愛する神の歌」は暗唱していたものだった。たしか高校の教科書に載っていたのではなかったか。その教科書にはほかに村野四郎と谷川俊太郎が並んで”