ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (6)

  • [書評]小林秀雄の恵み(橋本治): 極東ブログ

    治は直感から質をさらっと言ってのける頭の良さをもった人で、その直感から言い切りまでのプロセスを文章にするため冗長な印象もあるが、出てきた表明はコピーライティングのようにわかりやすいし、白黒つけやすい明快さがある。小林秀雄も直感から表出のプロセスを迂回して語る癖があり、表出も短く刈り込まれているため「人生の鍛錬 小林秀雄の言葉」(参照)のように断片的に理解しやすいところがある。だがそんなものは無意味で、依然小林秀雄の文学の全体を読めばその表明は白黒つけがたく明晰さには迷路の複雑さがある。体力というのでもないのだが思念の持久力のようなものがないととても読み切れない。 思念の持久力というものがどのようなのかというのは、「極東ブログ: [書評]小林秀雄の流儀(山七平)」(参照)で触れた山の論考が参考になるだろう。小林がどれほど聖書を読み抜き、パウロを心に秘めていたか、そこを読み解くことの

    candysearchlight
    candysearchlight 2022/03/11
    “極東ブログ: [書評]小林秀雄の流儀(山本七平)」(参照)で触れた山本の論考が参考になるだろう。小林がどれほど聖書を読み抜き、パウロを心に秘めていたか、そこを読み解くことの難しい理路がそこでよく解明され
  • 菅直人首相とその経済ブレーン小野善康・大阪大学教授との考えかたの違い: 極東ブログ

    菅首相が自民党案を模倣して消費税を10パーセントまで上げるかというのが話題になっているが、この話、どうも当初の話と違っている。鳩山前首相のようにえっと人を驚かせるような、常人には理解できない裸踊り的意見の転換がないのとマスコミが世論に目配りして菅氏に好意的なのか、それほど注視されているふうでもないので、多少話が込み入って見えるかもしれないが、この時点で経緯をまとめると混迷の具合がわかりやすいので、軽く記しておこう。 起点は、首相就任に当たっての会見を振り返ることだ。読売新聞のソースより(参照)。小泉・竹中路線が間違いだとして。 そうした間違いを取らないで、需要、雇用を拡大する。同じお金の使い方でも、雇用、需要に焦点を置いて財政出動をする。そのことが第1、第2の道に対し、私が第3の道と申し上げている。このやり方が、デフレ脱却から経済の成長につながる。 我が国の債務残高は巨額であり、その解消を

  • 茶会党(ティーパーティー)バッシングという都合のいい物語: 極東ブログ

    ブッシュ政権時代、米国メディアによる政権への批判は激しいものだった。なぜかそれに便乗してブッシュ政権を叩けばいいとした日のメディアもあり、滑稽だった。それが昨今では茶会党(ティーパーティー)叩きになっているように見える。こうした、どこかに悪のグループがいて叩けばいいとする短絡な政治観には困惑するし、メディアが図に乗るのは問題である。兆候が見えるうちに指摘してしておいたほうがよいだろう。言うまでもないし言っても無駄かもしれないが、私は茶会党を支持するわけではない。メディアが暴走しているときは市民が批判したほうがいいだろうと思うだけである。 理不尽な茶会党叩きという点でわかりやすい記事があった。毎日新聞「米保守革命:第1部・ティーパーティーの実像/2 非妥協で政治が機能不全」(参照)である。こう切り出されている。 米国で広がる草の根保守運動「ティーパーティー(茶会運動)」は、安易に妥協しない

  • オバマ大統領が後世に残す名言「武力でわからせてやる!」: 極東ブログ

    ぼけっと国際ニュースを見ていたら、オバマ大統領が出て来て、またなんかごにょごにょ言っているなあと聞き流していたのだが、ふと、え?と思った。ちょっと待って。今、なんて言ったの? ほかのこと考えていた。 ニュースは録画したのを見ることにしているので、おもむろに今のところに戻ってみた。あんだ? 赤毛のアン? ちがう。おいおい、なんか、すげーこと言っているぞ。 話は、24日、ニューヨーク開催の国連総会で演説である。イスラム教過激派組織「イスラム国」打倒の演説である。ブッシュ大統領のときのように各国に支援を求めていたのだが、その中で、こう言っていた(参照)。 The only language understood by killers like this is the language of force. こんな人殺しがわかる言葉は、唯一、軍事力という言葉である。 「ランゲージ(language)

  • [書評] ごまかさない仏教(佐々木閑・宮崎哲弥): 極東ブログ

    仏教学者の佐々木閑に、仏教者と称する評論家・宮崎哲弥が、仏教とは何かといったことを問うという、出版社あるあるの対談書だろうと、『ごまかさない仏教(佐々木閑・宮崎哲弥)』(参照)について予断をもっていた。というのも、宮崎について、もうずいぶん昔になる、というか曲がりなりにも小林よしのりのゴーマニズム宣言を読んでいたころのことだ、宮崎が仏教者であることがその漫画でおちょくられていた。小林に共感しない私ではあったが、宮崎の仏教観もヘンテコなものだなと思ったものだった。人の宗教観というのは存外に変わらないものだから、宮崎のそれも同じだろうし、佐々木も最近の国際的な仏教学を知識を淡々と語るくらいかな、いずれ私が読むような対談でもあるまいと思っていた。『ゆかいな仏教 』(参照)みたいなかなと。 が、この『ごまかさない仏教』は、そうでもなかった。おもしろい。読み進めるにつれ、勉強になってしまうのであ

  • 荒地派と三島由紀夫: 極東ブログ

    戦後詩を形成した荒地派の生年をスペクトラムとして見ると、おおよそではあるが、大正8年の黒田三郎から大正13年の吉隆明くらいの、5年くらいの幅がある。彼らが戦後を迎え、「荒地」を形成するころの20代以降では、彼らのなかではそれほど大きな年齢差としては意識されなかったのではないか。が、実際のところ、そのスペクトラムに出征の有無がある。 今、たまたまではあるが、世界大百科事典を覗いたら、「荒地」について「鮎川、加島祥造、北村太郎、木原孝一、黒田三郎、田村隆一、中桐雅夫、三好豊一郎ら戦争体験を経たモダニズムの詩人たちがこの雑誌に結集し」とあり、そこでは「戦争体験」として一括されていた。間違いだとは言えないし、そこで出征経験の有無が差異として強く問われたこともなかっただろう。またおそらく、彼らの多くが戦後、海外文学の翻訳者として関わっているように、西洋的なモダニズムの基礎があり、それにがドメスティ

    荒地派と三島由紀夫: 極東ブログ
    candysearchlight
    candysearchlight 2021/12/27
    “黒田三郎論を書いたおり、黒田が詩壇に躍り出て村野四郎との関係に悩む風景を見たが、黒田などからすれば、「詩と詩論」のモダニズムと自分たちの差異は大きく感じられたのだろう。逆に、「詩と詩論」のモダニズ”
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