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finalventに関するcaster-0069のブックマーク (13)

  • [書評]意識は傍観者である: 脳の知られざる営み(デイヴィッド・イーグルマン): 極東ブログ

    デカルトの「我思う故に我あり」は通常、「思考している自分は存在している」と理解される。「自分という意識は確実に存在している」というわけである。当たり前ではないかと思うかもしれない。残念でした。「自分という意識」は脳機能の処理結果であって、それ自体で存在しているわけではない。あなたには自由意志なんてない。あなたの意識や自由意志は脳のプロセスの、ただの傍観者なのである。 冗談のようだがこの話は脳科学を学んだ人には常識の部類である。なにかをしようと意識するよりも身体のほうが先に動くことは実験科学的にわかっているからだ。座っていて「ちょっと立ち上がろうかな」という自由な意識は、実際には立ち上がろうとする身体の神経反応の後から生じている。生理学者ベンジャミン・リベット(Benjamin Libet)が1980年代に明らかにした(参照)。身体運動についての自由意識と思われているものは、身体意識の承認の

  • どういう法的根拠でグーグルは尖閣ビデオ流出記録を開示するのだろうか: 極東ブログ

    政府が非公開とした尖閣ビデオがユーチューブに流出した問題で、検察が同サイトを運営するグーグルに対して投稿者の通信記録の開示を要請した。これに対してグーグルは「法律に基づく要請があれば、捜査に協力していく」と回答。さて、いったいどういう法的根拠だとグーグルは尖閣ビデオ流出投稿者記録を開示するだろうか。愚問かもしれないがわからない。存外に深い問題を秘めているかもしれないのでブログで愚考してみたい。 尖閣ビデオ流出から三日以上も経ち、NHKの7時のニュースでも毎日報道され、それなりに流出の真相解明が進んでいるのかと思いきや、実際に流出映像が投稿されたユーチューブ側での解明は進んでいない。 この件について今日のNHKグーグル“捜査には協力”」(参照)はこう報道している。 この問題で検察当局は、衝突事件の映像が流された動画投稿サイトの「ユーチューブ」を運営するアメリカの大手ネット企業のグーグルに対

  • 極東ブログ: [映画]時をかける少女(細田守監督)

    細田守監督作品「時をかける少女」(参照)は2006年7月15日の公開なので私は二年以上経って見たことになる。気になっていた。夏雲を見上げたら、見るころじゃないかなと。見た。傑作でしたよ。これはすごいなと。これは大人の映画だなと。いろいろな見方があるだろうし、いろいろと感動(あるいは罵倒)を胸に溜め込んでいる人も多そうな感じはする。まあ、私が思ったことでも少し書いておきますか、くらいな話を以下に。 まいどまいど自分語りがくどくて申し訳ない。1957年生まれの私は1972年に放映されたNHK少年ドラマシリーズ「タイム・トラベラー」をべたに見ている。べたなターゲット層だし。深町くんことケン・ソゴルもよく覚えている。ラベンダーもこの番組をきっかけで知った。1983年大林宣彦監督映画「時をかける少女」は見ていない。原田知世も角川映画も好きだったがなぜだろうか。理由はよくわからない。ユーミンの「VOY

  • 遠藤武彦農水相の辞任についてぼんやりと: 極東ブログ

    安倍内閣にはあまり関心がないのだが、遠藤武彦農水相の辞任については、率直なところ呆れた。国のお金を盗み取るなんて許せないとかで呆れた、わけではなくて、へぇ、こんなことで大臣が辞任させられるのかということで呆れた、というか、大臣を辞任に追い込んだ権力の主体はいったい誰なんだよ、マスコミ様? もちろん、理屈はいかようにもマスコミ様が正しいのであって正しいのであって正しいのであって、ブログで擁護論なんか書こうものならとんでもないことになるくらいは、わかる。それに別に何かと天の邪鬼な意見を書きたいわけでもない。 ただ遠藤武彦元農水相も内心を察するに、ポカーンという感じなのではないか。あまり経緯を知っているわけではないが、彼は農水相をやりたかったわけでもないのでは、というか、やりたくないなとかいうつぶやきをどっかで見たっけ、とネットを探るとスポニチ「遠藤農相“農水だけは当に嫌だった”」(参照)にあ

  • 赤紙 - finalventの日記

    という言葉をとんと見かけなくなったし聞かなくなった。現物のリアリティを知る人が少なくなったからだろう。 すでに昭和40年代ぐらいから戦争が神話化していたように思う。赤紙=徴兵、というシンボルに直結していた。しかし、実際に諸処赤紙に触れた人のリアリティは奇妙な重層性があった。もちろん、戦争反対・賛成といった二極の直線的なものではないのだが、昨今の議論とかそいう一次元的な話が多すぎだな。私がネットウヨ?とかさ。 今の全共闘世代がハイティーンだったころ、その上の世代のべた左翼に誘導されて、「どうしてお父さんたちの世代は戦争に反対しなかったのですかぁ!」みたいな声を上げていた。戦中派のお父さんたちは答えられなかった。その答えられなさかげんを子供の私は見ていて、ああ若者ってバーカだなと思った。あんなバーカな若者になるのはいやだなと思った。つまり、全共闘世代みたいになるのだけはごめんだな、と。 小林秀

    赤紙 - finalventの日記
  • [書評]私、おバカですが、何か? 偏差値40のかしこい生き方(深田萌絵): 極東ブログ

    さすがマガジンハウスだけのことはあって、「私、おバカですが、何か? 偏差値40のかしこい生き方(深田萌絵)」(参照)は単純に面白く、役立つようにできているので、まずはお得なと言えるなと感心した(昔の斎藤澪奈子の編集と似ている)。の、取りあえずのターゲットは高校生かとも思うがむしろ、彼女のように再学習したい二十代後半の女性(男性もかな)がターゲットと見ていいのかもしれないし、そのあたりにニッチの教育マーケットがありそうだ。そう考えると、いわゆる「失われた世代」も後期になると新しい動きが出てくるものだと思った。ちょっと感想が先走りすぎたか。 表題にあるように、著者のおバカ歴がこてこてと書いてあって、さすがにこれは偏差値40だろと納得するしかないリアリティがある、と言いたいところだが、私は偏差値40というのがわからない。自分の世代から偏差値が導入されたのだが私は68だったか72だったか。こ

  • 極東ブログ: 中国国家食品薬品監督管理局元局長鄭篠萸処刑、雑感

    中国国家品薬品監督管理局元局長鄭篠萸(Zheng Xiaoyu)が10日午前北京で処刑されたというニュースを数日遅れて知った。別の類似の裁判と勘違いしていたので、まさかと私は思った。何の罪が死刑に値したか。品や医薬品に故意に毒でも混ぜたのか。彼の罪は、同日付朝日新聞記事”中国品薬品監督局長に死刑執行 薬品検査で1億円収賄”(参照)の見出しからもわかるが、賄賂である。しかも、一億円。それで人間の命を合法的に奪える国家が存在する。人権問題に敏感な人たちは反対の声を上げたのだろうか。 同記事が示唆しているように。この死刑はある意味で外交的なメッセージである。 この日記者会見した同局政策法規部の顔江瑛・副部長は、事件について「重大な法律違反で、死刑は当然の結果だ」と述べた。中国当局は事件への迅速な対応をとることで、国内外で高まる中国品や薬品に対する管理体制の不備への批判をかわす狙いがある

  • 東京大気汚染訴訟、雑感: 極東ブログ

    東京大気汚染訴訟についてちょっと心にひっかかることがあるので簡単に書いておきたい。まず、東京大気汚染訴訟についてだが、二日付け読売新聞”東京大気汚染訴訟 原告、和解受諾を回答”(参照)を借りる。 自動車の排ガスで健康被害を受けたとして、東京都内のぜんそく患者らが国や都、自動車メーカーなどに損害賠償を求めた東京大気汚染訴訟の控訴審で、原告側は2日午前、東京高裁の和解案を受け入れるとの書面を同高裁に提出した。メーカー7社も同日午後、受諾を高裁に伝え、共同見解を発表する。これにより、訴訟の全当事者が和解に合意。訴訟は提訴から11年を経て、全面決着する。 つまり、都、国、首都高速道路会社は既に和解案を受諾しているが、これに今回メーカー七社も加わった。 また、和解案と国については。 同高裁が提示した和解案は、〈1〉ぜんそく患者のための医療費助成制度の創設〈2〉公害対策の実施〈3〉メーカー7社による計

  • 極東ブログ: モラルの低い人を傍観する時

    このところぼんやり考えているが結論も出ないことがある。ただ、考えあぐねてきたので、少しブログにでも書いてみようかな。モラルの低い人を傍観する時のことだ。 話は私事からが切り出しやすい。私は沖縄で八年暮らしそれから東京に戻って四年になる。東京に戻ったころ、とにかくいやだったのは自転車だった。私は高校を自転車通学したくらいだから、自転車自体がいやということはない。が、その頃思ったのは、自転車に乗っている人のモラルがこんなにも低下していたのかという驚きだった。八年のうちに東京が変わったのか、それとも沖縄には自転車が少ないせいもあって感覚が変わったのか。個人的には前者のようにも思えた。私は、歩道を突っ走る自転車や二人乗り、無灯火、そういうやつらに誰彼かまわずどやしつけた。無法な警官もどやしつけた。ブログにも書いた。どうなったか。罵倒コメントをたくさんいただいた。そりゃそうだろ、世の中にあれだけ自転

  • 毎日社説 視点 「空白の10年」を埋めるのは国の責任だ - finalventの日記

    原爆投下からほぼ10年間、つまり昭和20年代に重なる年月を被爆者は「空白の10年」と呼ぶ。文字通り、公的な援護制度や政策もなく、被爆者たちを差別や偏見にさらされるままにした10年であり、当時最も支援を必要とした人たちが次々に亡くなった。 それまでの「空白の10年」の実態を今のうちに被爆者から聞き取り記録しておきたい。そう願い、広島県原爆被害者団体協議会が昨年から3年計画で調査を進めている。その第1段階のアンケート結果が最近まとまった。回答者は県内の生存被爆者のうち7096人。被爆時に胎児から30代だった人にまでわたり、被爆後10年の記憶に限定して尋ねた。 まあ、それに異論があるわけでもないが。 この空白には米国側に資料がけっこうあるはずで、それはどの程度研究されているのだろう。頭がぼうっとしているからというのを弁解に放言すると、日の原爆はジェノサイドだったよというのはさすがに放言が過ぎて

    毎日社説 視点 「空白の10年」を埋めるのは国の責任だ - finalventの日記
  • 年金記録不備問題メモ: 極東ブログ

    年金記録不備問題が皆目わからん。なにが問題なのか。そりゃ、年金記録不備が問題だ、ということなのだろうが、であれば、それは年金貰うときに整理したらええんでないの、というだけの話ではないのか。 それとネットの世界を見ていると年金が貰えるの貰えないのという話題があるけど、なんだかなという印象が私にはある。年金制度の条件を満たしていたら貰えないわけないんじゃないの、それが国家の制度なんだし、と思う。ただ実質的にはそんな議論は無意味でしょとも思う。たとえば、私は今年五十歳になってしまうのだが、私が年金を貰えるのはたぶん七十歳でしょう。そこまで私は生きている自信はないし、生きていても年金で生きるというよりも病院とかに送り込まれて半分植物人間になっているんじゃないか。そうなりたいわけでもないけど、生きていたらそれでいいだけの存在じゃないだろうか。イエス様は明日のことを思い煩うなと言ったけど、二十年先のこ

  • ネットの言論はクズ - finalventの日記

    ⇒切込隊長BLOG(ブログ): 新聞社OBに「ネットの言論はクズだ」とボコられる ま、そりゃ、ネットの言論はクズでしょ、またーり、みたいにも思うのだが、言論とかいうときのスコープが違うのな。非モテとか非コミュとか、俺くらいの歳のフツーの男とかから見ると、別に情報業界場末の中小企業社長さんにぶいぶい美学を語らせるまでもなく、バカじゃねーこいつらってことになる。で、ま、端的にネット側から応答すると、爺、氏ね、つうことになる(そして俺も爺だ)。そのあたりのズレの全体構図がわかってないとネット言論の持つ潜在的な意味はよくわかんないですよ。ってか、補助線的に言えば、吉隆明が80年代にマスイメージ論あたりでサブカルチャーを文学と同一地平に置いたあの柔軟性みたいなものが、今、ネットの言論で起きているのに気がつかないやつ、ゆっくり寝ていてください、というか、言わなくても安眠しているげ。ま、俺くらいの歳で

    ネットの言論はクズ - finalventの日記
  • 極東ブログ: 仏教の考え方の難しいところ

    「仏教と大量殺人」というタイトルにしようかと思ったが、不用意に刺激的なのでいい加減なタイトルに変えた。たぶん普通の日人は仏教は不殺生の宗教なので、大量殺人を教義的に許容することなどありえないと考えるのではないか。実際夏安居などはジャイナ教かと思えるほどだ。あるいは多少日史を知っている人なら僧兵や願寺戦なども連想するかもしれないが、それでも仏教の教理において殺生を是とする考えがあるとは思わないだろう。しかし、子細に仏教を検討していくとそうとばかりもいえない。 歴史的に興味深いのは北魏における大乗の乱だろう。なぜかウィキペディアに項目がある(参照)。 大乗の乱(だいじょうのらん)とは、中国北魏の宗教反乱であるが、人を殺せば殺す程、教団内での位が上がるという教説に従った殺人集団であり、その背景には弥勒下生信仰があるとされる。 515年(延昌4年)6月、沙門の法慶が冀州(山東省)で反乱を起こ

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