国立美術館の職員だが、バカヤロウと泣きながら言いたい。 県には県の役割がある。有名無名に関係なく、地方ゆかりの作家の研究や資料の収集保存は継続的に必要なんや。それを必要とする人が、現在、あるいは未来に現れた時に対応できるように。未来を見据えて日々地道な研究を積み重ねていく。それが美術館の本来のしごと。今は誰にも見向きもされないようなものが、未来の美術史を形作っていく可能性もあるんやぞ。
国立美術館の職員だが、バカヤロウと泣きながら言いたい。 県には県の役割がある。有名無名に関係なく、地方ゆかりの作家の研究や資料の収集保存は継続的に必要なんや。それを必要とする人が、現在、あるいは未来に現れた時に対応できるように。未来を見据えて日々地道な研究を積み重ねていく。それが美術館の本来のしごと。今は誰にも見向きもされないようなものが、未来の美術史を形作っていく可能性もあるんやぞ。
ミシンと日本の近代―― 消費者の創出 作者: アンドルー・ゴードン,大島かおり出版社/メーカー: みすず書房発売日: 2013/07/24メディア: 単行本この商品を含むブログ (9件) を見る 読んでいる途中だが、抜群におもしれーわ、これ。ミシンの普及は掃除機や洗濯機と同じく、女は家庭で男は仕事、みたいな単純な性分業の一環として捕らえられがちだけれど、実は全然ちがっていて、ミシンによる内職を通じた女性の社会進出(自活)の一貫でもあり、またそれを使った日本の繊維産業の発達の一貫でもあった。さらにシンガーミシンのための割賦販売というのが日本における割賦販売の先駆であったんだけれど、ミシンの役割から見てこれはつまり、一種のマイクロファイナンスとしても機能していたわけだ。 さらにそれは、日本における和装洋装論争にも関連しており、いまや見る影もない婦人誌(『主婦の友』とか)も一方でミシン販売に加担
2009年08月16日20:12 カテゴリBooks 幕末史 幕末というと、司馬遼太郎の小説でおなじみの英雄の活躍する世界で、今さらという読者も多いだろう。本書はそこを一工夫して、「賊軍」の側から明治維新を見る。これは『靖国史観』と同じで、坂本龍馬はテロリストであり、新撰組はテロを防ぐ警察と同じ仕事をしただけだ。 本書の主人公は、勝海舟である。勝は無役の最下級武士の子として生まれた。内職で暮らしを立て、正月の餅にも不自由する家だったという。彼が出世したのは、蘭学の知識と語学力のおかげだった。黒船が来港し、世界情勢の知識のある者が必要になったためだ。当時は幕府の身分制度も崩壊し、家柄や年齢に関係なく能力のある者が重要な仕事をまかされるようになっていた。勝が陸軍総裁として江戸城の無血開城を行なったのは、45歳のときである。 当時、西郷隆盛の率いる官軍は1万余の軍勢で江戸城を包囲し、決戦になれば
「町のパン屋さん」のような出版社ができないだろうかと、考えるのである。どこの町にも一軒くらいは「こだわりのパン屋」があるだろう。家族経営で、石窯で焼いた手作りパンを売っているような。宮崎駿の『魔女の宅急便』に出てくるグーチョキパン屋とか、そんな感じだ。ご主人が奥でパンを焼き、奥さんが店に立ってパンを売る。奥さんが身重になると、女の子をバイトに雇って店番を頼んだりして。 事業規模はとても小さい。売り上げも微々たるものだが、旦那と奥さんと生まれてくる子供が生活できるのなら、それで十分である。お客さんは町の住民に限定されるので、奥さんの対人会話能力が店の生命線である。うまく行けば、ただパンを売るだけではなく、地域のコミュニティセンターとして機能することもある。こうなれば、町の店舗の理想であろう。 パン屋さんでなくとも、八百屋さんでも魚屋さんでも、地域に密着した独立型店舗ならなんでもいいと思われる
おとといの『バクマン。』の感想で、ひとつ書き忘れたことがあります。それは、主人公のサイコーが、相棒で原作志望のシュージンに向かって 「シュージンの書いたネームが面白いんだったら俺が絵にする」 と、マンガ家の立場から原作者に「ネーム」を求めるセリフが出てくることです。俺は、ここに時代の流れを強く実感しました。 今でこそ、「少年ジャンプ」を始め、多くのマンガ誌の新人賞に「ネーム原作部門」が設けられていて、ある意味では定着しつつある感もあるのですけれど、俺のようなロートルの業界人からすると、じつに隔世の感があります。 俺が「マンガ原作」を一番やっていた90年代中頃くらいまでは、「原作者がネームまでやる」例は滅多になく、仮にそういう志向を持った原作者がいたとしても、マンガ家や編集者に向かって「ネームをやらせてくれ」と言い出すのは、非常に気が引けるというか、一種のタブーというべきことでした。 なぜそ
1 :1 ◆Kbduwbki5I :2009/01/04(日) 18:06:23.74 ID:cPEnirfV0 o。_。_lコ |l≡≡≡|ミ|__。≠_〇o 。+ +。。。。。 |l|FFFFFFF|。 。 .。 +|l≡≡≡|ミ|EEEEEEEEEEE|lll| .。+ * o o. |l|FFFFFFF / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 。。oo |l|FFFFFF | 時は2001年秋…… /| ̄ ̄ ̄l ::|FFFFFFF \ |ミ|:」」:」」:」| ::|FFFFFF  ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |ミ|:」」:」」:」| 〇 FF.。 ∧_∧ |l≡o + +! + 。 〇 + lミl.」」.」〇 ++ + (´・ω・) o 〇 。 o + 〇
赤塚不二夫のことといっても、私は赤塚不二夫に面識はまるでない。赤塚不二夫の漫画を読んだ無名の一人というだけのこと。そこから思うことを少し書くというだけのことだ。昨日のエントリ「極東ブログ: [書評]これでいいのだ(赤塚不二夫)」(参照)の続きのような話なので、その2としてもいいのだが、ちょっと違うかもしれない。 赤塚不二夫が亡くなっていろいろな感想をメディアやネットで見た。私はあるズレを感じた。自分が何か正しい感覚を持っているというようなことではない。なんだろうこのズレの感覚はと自分を訝しく思った。ブログなどでタモリの弔文が賞賛されるのにも少しズレを感じた。弔文が悪いということではまったくない。それどころか畢生の言葉だろうと評価するし、タモリは見えないところで赤塚に尽くしていたに違いないとも確信している。 ズレの感覚を抱えながら、そこに一番近く触れるのは栗パパの昨日のワッサーステータス「赤
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