つまらん懐古だが自然食とかエコに走ったり、反動というかバブル後だったがITバブル系とかで小銭もあり、24時間的仕事体制の30代大都会外食生活だったり。今思うと30代は若いのでめちゃくちゃなことをして泣けてくるのだが、それでも、ちゃんとした物が食いたいとか思った。単純な話、フランス料理レストランでワインリストで困惑するのはいかがなものかと風な。 ほいで、ワインも一通り飲んでみた。ワイン通にはならなかったが、だいたいワインはわかったし、ワインがわかると料理というものもそれなりにわかった。日本人はどうもワインはワイン、そしてワインのおつまみみたいな発想をするけど、それは根本が違う云々。その過程でお茶(紅茶・中国茶)とかも自分なりに納得したし、紅茶や中国茶から見えてくる食文化もだいたいわかった。食がわかると文化も基本的なところで見えてくる。まあ、いろいろ。 結局、レストランのワインリストというのは
なんか最近「スルー力」という言葉が流行っていて驚いているのですが、「なんでも華麗にスルーできる人は偉い」というような価値観だけが蔓延するのもどうかなあ、と思っています。 確かにどうでも良いような意見をうじうじと考え続けているのは勿体無くて、自分が価値を出せる分野に自分の力を集中させるべきだ、というケースはよくあって、例えば自分が好きな音楽のアーティストが、作曲なんて決してできないような音楽好きの人から「音楽性が低い」とかなんとか批判を受けたとしても、うじうじ悩むよりも次の曲を作ってくれ、と思うわけですが、でもそのアーティストがまだ駆け出しの若いアーティストだったとして、多くの人が思っている部分を改善しさえすれば凄い大物アーティストになる、というような場合に、そのアーティストが批判をスルーするのは致命的なわけで、スルーせずに受け入れられるかどうかがアーティスト生命を左右するような場合だってあ
第1回全日本剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日本剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を 第1回全日本剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日本剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を超える 観衆が集まった。 本大会は、戦前の剣道界の慣習であった専門家、非専門家の区別を廃し、選手の資格は年齢、段位、称号などに一切の制限を設けず、 各府県の予選を経て代表者を出し、剣道日本一を決するという画期的な構想によるものだった。 優勝の榊原正は大正9年愛知県蒲郡市生まれの33歳、名古屋矯正管区法務教官(剣道師範)、のちに剣道範士八段。戦前は名門東邦 商業で活躍した剣士。準優勝の阿部三郎は大正8年福島県相馬生まれの34歳、警視庁の剣道選手でのちの
スルー力とは、自らが身に付けたら便利な能力に過ぎないのであって、他者に安易に強要してはいけないものではないかと思う。 今話題の「スルー力」というのは、完全に身に着けてしまったら、ただの「他人の話を聞かない奴」であって、使われている「スルー力」の語彙のニュアンス的な意味としては「大事なことには興味を持ち、不要なものに対しては気に止めずに流す能力」ということになります。 この定義による「スルー力」は必要かどうかと問うことは、あまり意味がない。というのも、最初から「必要なものと不必要なものをフィルタリングする能力」という絶対的価値観が付帯されているからだ。そりゃ有った方が良いに決まっている。 で、そのフィルタリング能力があった上で「不要なものに対しては気に止めずに流す」という能力も、有ったほうが有益であるわけだけれども、精神衛生上の問題として「気に止めず」が可能かどうか。気に病みながらスルーして
日本の評論家の中国分析は、外れることが多いと思います。体制の行き詰まりや経済のバブル崩壊は十数年前から毎年のように繰り返し予言されてきましたが、ちっとも現実にならないのです。その大きな要因の1つは5000万人の華僑の存在と役割が読めないからです。 中国の社会を観察すると不動産開発から電子部品、玩具、飼料、幼稚園までどんな分野にも華僑の活躍が目につきます。北京のハイテク地区「中関村」では米ヤフー創始者のジェリー・ヤンさんが現地での業績が表彰されるほどです。 旧ソ連と違って中国経済が早く市場経済に変革できたのは、この華僑たちの存在が大きいと思います。政治と常に適切な距離を置く華僑は決して中国政府と癒着するような勢力ではありませんが、しかし、彼らはどこの外国人よりも中国のことを理解してリスクヘッジの仕方も心得ています。 革命がもたらした しかし、「華僑とは何か」について、日本の人々はなかなか具体
1.『はてな』はスケールによるイノベーションを目指さない『はてな』は容量が増大する事によって生まれる新たな技術革新を目指さない。 従って、『はてな』のサービスはどれも製作者が望んだ範囲に収まる。 youtubeは新たな利用法が次々提案されている。しかし、『はてな』のサービスは改良しか起こらない。 今の『はてな』では誰も、(製作者も利用者さえも)、予想できないような使い方に発展することはない。 理由は簡単であります。『はてな』はサービス提供者が利用者を把握できる規模のサービスしか作ろうとしないからである。2.『はてな』はお行儀が良すぎる。Googleは検索結果を貪欲に利用する。 機械によるフィルタリングを行っていますから個人情報は安全です。と、アピールする一方、その解析結果は膨大な人の手によって思案されている事実がある。 フィルタリングによって一番利を得るのは自社の危機管理体制であることをG
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