戦争という「合法的な享楽装置」 共同体を維持するためにその閉塞から出る不満を外部へ転換させる方法はいまでも「大衆のガス抜き」として有用な政治的な方法である。その意味で、戦争は祭り以上の「合法的な享楽装置」の役割を担ってきたのではないだろうか。 いまでもスポーツで思い入れの強いチームの試合は血がたぎり、熱狂する。それが自らの命をかけ、コミュニティの存亡をかけて戦うとなれば、これほどの興奮があるだろうか。戦争は「合法的な享楽装置」として作動してきた。そしてそれによってまた共同体の秩序を維持するよう働いた。封建的な階級性や、男尊女卑などの社会秩序の維持においても、戦争は重要な社会の一部であっただろう。 戦争の終わりと祭り化した日常 それが一変したのは近代以降だ。科学技術の発展によって、武器は強力な「兵器」にかわり、そして巨大な暴力の集中化は国家を生み出し、戦争は国家間の戦闘となった。そして戦士は