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ああ、冬に舞い戻り感。朝ぼーっと考えていることは多い。なんかついったに書いてしまったけど、「唯物論的には生命はオートマトンとして規定してよいはずだが、そのinitial stateを想定するとID論と見なされるのだろうか?」。生命というのは、現代科学的には聖霊でもないから(生気論排除)、機械仕掛けのロボットなんだが、であれば、それをcharacterize可能というか、それが科学になるのだが、そこがむずかしい。で、「生命がオートマトンではないなら、それはなんだろう、という問は、すでに科学ではないように思える」となる。生命のモデル化をなんとなく科学は避けているのは、広義のダーウィニズムに依存しているのだけど、これは適者生存ということで、世界側がオートマトンになる。「ダーウィニズムの自然選択は、自然の内部にオートマトンが措定されるだけでは?」と。ほいで、「これらを回避するには、生命そのものが生
2月も下旬。ありゃりゃという感じだ。このところ睡眠サイクルが乱れて、昨晩も寝付かれずいろいろ思っていた。というか、奇妙に青春のころの早春のこと、いやある感覚を思い出していた。自分が若かったのだというのが、とても不思議な気がする。それから、今でもそうだが、自分がよくない人間であったなという後悔がいろいろ押し寄せる。理屈で自分を弁護もできる。ひどい運命だったじゃないか、いや他人と比べてそんなよくないわけでもないな、とか。しかし、よくないことはよくない。これは失笑を買うかもしれないが、私は他者に啓蒙的なことはしたくない、いやそうでもないかみたいな矛盾によく悩む。概ね人にうまく通じるように説明はしないようだ。ここも微妙で、これ以上言っても理解の感受性がなさそうだという人をどっかでスパっと自然に切ってしまう。いや人を切る、というのでもない。だめだな、これは、またか。みたいな感じで自分が引き下がる。以
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "足利義満" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2023年3月) 貞治5年(1366年)12月7日、春王は後光厳天皇より義満の名を賜り、従五位下に叙せられた[7][6]。なお、このとき尊義という諱も呈示されたが、柳原忠光により義満が撰ばれたという。 貞治6年(1367年)11月になると、父・義詮が重病となる。義詮は死期を悟り、11月25日に義満に政務を委譲し、細川頼之を管領として義満の後見・教導を託した。 12月3日、朝廷は義満を正五位下・左馬頭に叙任した。同月7日に義詮は死去し、義満はわずか10歳で将軍家の家督を継いだ[7][6
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "日明貿易" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2019年9月) 日明貿易船旗 万暦十二年(1584年)重要文化財(山口県文書館蔵) 日明貿易(にちみんぼうえき)は、室町時代に日本と明(中国)と行った貿易。特に室町幕府や大内氏との朝貢貿易は、倭寇や密貿易と区別し正式な遣明使船である事が確認できるよう勘合(勘合符)を使用したことから勘合貿易(かんごうぼうえき)とも呼ばれる。 ただし、勘合はあくまで外交使節に発給された通行証であり、貿易許可証ではないため「勘合貿易」と言う呼称は使用するべきではない、という意見が通説となっている[
投稿日:2010-02-25 思い出そう。中華帝国すなわち「中国」が成立したのはいつか。秦の始皇帝の時である。最初の中華帝国の皇帝だから始皇帝である。 ではそれ以前の戦国の七国は?別の国です。今のEU各国以上に別の国です。たまたま秦が力と陰謀で周辺諸国を亡国に追いやり、併合して成立したのが秦(China)である。 三皇五帝や夏以来、「中国」と言う一つの国が存在した、というのがプロパガンダである。 ここで中国史の法則。「政治の最終的勝者は好き勝手なことを書いてよい!」である。 三皇五帝や夏以来、自分に至るまで「徳のある自分が天命を受けて数千年来の伝統のある支配者の地位に就いた」などという歴史観は歴代皇帝にとって都合が良いので、全員継承して今に至る。毛沢東とか自分と始皇帝を比較するのが大好きだったし。 さて、この始皇帝が尊敬したのが、普通なら「政治をわかる推薦図書シリーズ」で二回目までには紹介
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