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2011年4月25日のブックマーク (6件)

  • 立ち止まっている時ではない – 田原総一朗公式サイト

    福島原発の原子炉と使用済燃料をきちんと冷却できる目処は、まだ立っていない。 冷却装置の設置はおろか、敷地内に運び込むことさえ出来ない。 一方、高濃度汚染水の流出がつづく。 東電ははっきりは言わないが、要するに特攻隊が必要だ、ということらしい。 今、この国で特攻隊を募るのはきわめて難しい。 困惑の中、いたずらに時間ばかりが過ぎていく。 原発事故の処理は難問である。 国政の政治家達は、この難問からソッポを向いて、くだらない議論をやっている。 マスコミもこの難問を取り扱うのを嫌がっているようだ。 原発でいくか、脱原発かは、この難問を処理した後の問題だ。 原発事故については、そもそもわからない事が多すぎる。 レベル7という政府の発表が、なぜ安全委員会の判定から二十日間も遅れたのか。 事故発生直後にアメリカが協力しようと言ったのを、なぜ菅さんは断ったのか。 アメリカの無人機の情報を、なぜ一週間以上も

    castle
    castle 2011/04/25
    「福島原発の原子炉と使用済燃料をきちんと冷却できる目処は、まだ立っていない。冷却装置の設置はおろか敷地内に運び込むことさえ出来ない。一方、高濃度汚染水の流出が続く~要するに特攻隊が必要だ、ということ」
  • 本当にボランティアだったのだろうか? - おかくじら

    castle
    castle 2011/04/25
    「政権交代が実現した途端に活動を停止してしまった選挙情報サイト「選挙でGO!」、民主党が劣勢になった途端に低調になった選挙結果予想サイト「sanngi-in ,shugi-in」~一種の工作活動だったんじゃないだろうか?」
  • 体質改善は怪我に効かない - レジデント初期研修用資料

    「根的な体質改善」はたしかに大事かもしれないけれど、たとえば怪我をしてまだ血が出ている状況においては、「絆創膏」のほうが役に立つ。 問題の解決には、状況に応じて選択されるべきやりかたは異なっていて、「根的」な解決というものは、もっと元気になってからでないと意味がない。 変革のありかたについて。 町の風景には意味がある 災害復興について、「委員会」みたいなものが作られて、議論が続いている。こういうところで提案された「画期的な解決」は、たいていの場合なにか別の問題を生み出して、個人的にはなるべく無難な提案に落ち着くといいな、と思う。 町の風景には、そうなった理由というものが必ずあって、変化を求める特別な需要もないときに、たとえば何かの事故みたいなものをきっかけに、一気にそれを変えようとするのは間違っている。どれだけ高邁な思想に基づいていたとしても、根的な変革というものは、必ずどこかに無理

    castle
    castle 2011/04/25
    「必然で人を動かそうと思ったならば「凄いエネルギーをそこに投入します。抵抗は無意味です」とトップが宣言しないといけないし、選択枝で人を動かそうと思ったら、その選択枝がお得であると説明しないといけない」
  • 悪い奴らは来なかった - レジデント初期研修用資料

    病棟で3年過ごした昔、上司の書いた処方箋を見て、「こうすればもっといいのに」なんて批評家気取りができるようになった頃、島に飛ばされた。邪魔な上司の指示が入らない、「こうすれば」を自分の責任で行える機会がいよいよ巡ってきて、それをやろうとして、手が動かなかった。 決断のお話。 実戦は怖い 島への派遣が決まったとき、粋がって英語ばかり持ち込んだ。世界的に権威のある教科書だから、信頼性なら完璧なのに、いざそれを使おうとして、それを翻訳するのが自分であることに思い至って、そのがいきなり信用できないものに変わった。普段は馬鹿にして、ろくに読みもしなかった日語の「今日の治療指針」がありがたくて、それに頼ってようやく病棟を回すことができた。 畳の「へり」なら転ばず歩けるのに、それが地上10m の高さに置かれたそのとたん、足がすくんで動けなくなる。模範解答を知っていることと、実際に決断ができること

    castle
    castle 2011/04/25
    「「部長の処方は今ひとつ」なんて偉そうに批判できた研修医の頃から、その「今ひとつ」を(実際に現場で)再現できるまで、結局10年近くかかった」「「無駄の多い」上司の処方箋というものは一種の保険でもあった」
  • 意識 (仏教) - Wikipedia

    仏教用語での意識(いしき、サンスクリット語: मनोविज्ञान、mano-vijñāna)とは、意(mano)+ 識(vijnana)の熟語であり、六識の一つ[1]。意根(mano)によって起こり、法境を了別する心王(しんのう、心の主たるもの)をいう。これに4種ある。 独頭意識 他の五識とともに起こることなく、独り生起して広く十八界を縁じる。 五同縁意識 他の五識と同時に起こって、ともにその境を縁じ、明了依となる。心の現量。 五倶意識 五識と同時に起こって五境を縁じ、傍らに十八界を縁じる。 五後意識 五倶意識の後念に生じて、前念の五境の境を縁じて、他一切法を縁じる。 「識」は心王を表し、意識は、五感の眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)の前五識と区別される第6番目の心(第六識)である(処も参照)。 よく自覚的という意味で「意識する」ということがいわれるが、それは仏教で

    castle
    castle 2011/04/25
    「よく自覚的という意味で「意識する」ということがいわれるが、それは仏教では心所(個別の心作用)の作意(注意する働き)、あるいは唯識でいう自証分の働き」「意識は過去・未来・現在の三世を対象とする」
  • 識 - Wikipedia

    識(しき、巴: viññāṇa ヴィニャーナ, 梵: vijñāna ヴィジュニャーナ)とは、意識、生命力、心[1]、洞察力[2]との意味の仏教用語である。認識対象を区別して知覚する精神作用を言う。 この語は、vi(分析・分割)+√jñā(知)の合成語であって、対象を分析し分類して認識する作用のことである。釈迦在世当時から、この認識作用に関する研究が行われ、さまざまな論証や考え方が広まっており、それぞれの考え方は互いに批判し合いながら、より煩瑣な体系を作り上げた。 しかし、大乗仏教全般で言うならば、分析的に認識する「識」ではなく、観法によるより直接的な認識である般若(はんにゃ、プラジュニャー(prajñā)、パンニャー(paññā))が得られることで成仏するのだと考えられるようになって重要視された[3]。

    識 - Wikipedia
    castle
    castle 2011/04/25
    「「了別」の意味の仏教用語。認識対象を区別して知覚する精神作用」「vi(分析・分割)+√jJaa(知)の合成語であって、対象を分析し分類して認識する作用のこと」「色受想行の四識住が識の働くよりどころであるとする」