皇室典範の改正問題が現実味を帯びつつある。天皇家の問題を社会問題として騒々しく扱うことには気が引けるし、大きな時代の流れは変えられないとも思うのだが、それでも私個人の意見は意見として書き残しておきたいと思う。 まず立場を明らかにしておきたい。私は、女性天皇を認めることには賛成だが、女系天皇を認めることには反対である。女系の創出は、皇統の断絶のみならず、「新しい王室」の創設を意味する。21世紀の現代社会で、新たに王室制度をつくろうとする国家が、どこにあるだろうか。 天皇家というのは、千年以上にわたって同じ血筋を守ってきた「無形文化財」である。その根幹を変えてしまうのなら、敢えて続ける必要はない。もうそろそろ解放して差し上げるべきだろう。 側室制度はおくとしても、旧宮家の復帰を「今の時代に国民の理解が得られない」として排除する有識者会議の姿勢は、まったく不可解だ。少なくとも私個人は、愛子内親王
* 株式売買は意見が違うから発生するもので「美しい話でない」のが常態 与謝野金融相「美しい話でない」 与謝野馨金融担当相は13日の閣議後の記者会見で、みずほ証券が発注ミスしたジェイコム株を多くの証券会社が取得したことに対し、「法律上は確かに取引が成立しているが、誤発注を認識しながら間隙(かんげき)を縫って、(証券会社の)自己売買部門で取得するのは美しい話ではない」と指摘した。 これはおかしい、というか、証券取引の機能自体を理解してないことを暴露した発言で、ほとんど失言に等しい。 株を買うのは常にリスクを取ることで、リスクを取ったものが報われるから、プレーヤーが情報集めに必死になるわけで、必死になるから各種の複雑な情報を統合した指標として株価が意味を持つのだ。 各社がジェイコム株を買った時点では、「誤発注」であるということは、市場の共通の認識として確定していない。もちろん、新規上場株が極端に
※以下は改憲に関しての覚書です。2005年12月10日の日記より抜粋。 本日風呂場で不意に思ったこと。 終戦直後の黒塗り教科書の衝撃を、今の戦後世代(代表は私)は 受けてるのかもしれないなぁ・・・と。 他世代のことは知りませんがね。 あれが侵略戦争でなく自衛戦争だったと考えるのは難しい。 結局定義の問題じゃなかろうか・・・と思ってみる。 「過ちは繰り返しませぬから」(広島原爆慰霊碑) この「過ち」とはなんぞや? 戦争をしたこと、か、戦争で負けたこと、か。 私には正直言ってわからない。ごめんなさい。 私は戦後生まれであって、戦争を体験したわけじゃないのだ。 認識など脆いもの。 それが歴史だ。と思う。 ◇ ◇ ◇ 戦争をできる国にしようとしている・・・という改憲反対派の スローガンはなんか変じゃない? 「戦争をできる国」の反対は「戦争をできない国」だ。 戦争をできない国のままで
2005-12-09 こちらの記事を読んで、興味を引く話題があった ↓ ■毎日新聞の「萌えてはいけない」記事(夏目房之介の「で?」) → 簡単なあらすじを引用させていただくと ↓ 毎日新聞にデジハリ「萌えてはいけない」の記事(現在not found。googleキャッシュはこちら)がのってますね。 記事中〈杉山学長が「インフラの整備がジャンルの底辺を広げる」と[国策による振興を・引用者註]支持したのに対し、岡田さんが「数多くの作品がはん濫するのはジャンルにとって悪」と反論。夏目さんも「日本のマンガやアニメが成功した理由の研究に予算を使うべき」と主張した。〉とありますが、かなり不正確です。 → まあ、不正確な記事の紹介について述べた話題ですが、今回はこのブログより興味をそそった話題から、編集権について考えてみる。 夏目氏のエントリの中で、既存のメディアが主張する編集権について疑問
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