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2006年1月26日のブックマーク (4件)

  • 放電映像さんのイラストに見られる変則的な構図について考える - 後天性無気力症候群

    「テヅカ・イズ・デッド」読了。 テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ 作者: 伊藤剛出版社/メーカー: NTT出版発売日: 2005/09/27メディア: 単行(ソフトカバー)購入: 9人 クリック: 175回この商品を含むブログ (314件) を見る いろいろ思うことはあるのですが、まず一番に興味を引いたのが「リバースショット」とか「同一化技法」という用語ですね。いえ、「テヅカ・イズ・デッド」の要点は同一化技法ではない(むしろ同一化技法がマンガから失われていくところにある)のですけれど、なにぶん私は素人ですのでまずそういう従来的な部分に「なるほどなぁ」と思ってしまったのです。(^^; その「同一化技法」とはどんなものかを簡単に説明しますと まず人物を映す。 次に風景を映す。 すると鑑賞者はまるで「最初の人物の視点で風景を見ている=最初の人物と同一化する」ように錯覚する。 とい

    放電映像さんのイラストに見られる変則的な構図について考える - 後天性無気力症候群
  • 「キャラクターが立った」という瞬間には二通りのケースがある - ピアノ・ファイア

    『テヅカ・イズ・デッド』の「キャラ/キャラクター」概念の自己流解釈を少しずつ深めている最中なのですが、その過程でちょっと思い立ったのは、受け手側が「キャラクターが立った!」と感じる瞬間には二種類あるのではないか、ということです。 以下、些細な話なのであんまり面白くない説明ですが。 そのひとつというのは、 「(脳内で)キャラクターが立った!」 であり、もうひとつは 「(作品世界の中で)キャラクターが立った!」 このふたつです。これらはそれぞれ異なる快感や興奮を受け手側にもたらすものであって、ちょっと分けて考えてみるのも良さそうなんですね。 具体的にどう違うかというと、 脳内 キャラクターの名前、外見、性格、能力、背景、口調などの設定を知ることによって、明確なイメージが脳裏に浮かぶ状態 キャラクター紹介の説明文を読むだけで「立つ」こともあれば、作品に触れながら「立っていく」こともある(普通は後

    「キャラクターが立った」という瞬間には二通りのケースがある - ピアノ・ファイア
    catfist
    catfist 2006/01/26
  • アキバの王に俺はなる!:人種差別とオタ差別 - livedoor Blog(ブログ)

    皆さんは、マイケル・ムーア氏が監督をし、大きな波紋を呼んだボーリング・フォー・コロンバインを覚えておられるでしょうか?別に私は運動家でもありませんが、高校が人権問題として取り上げ、放映していたためにたまたま見る機会がございました。そこで今回はそ記憶をもとに綴りたいと思います。 ではではいってみましょうか! その中では当然、日同様に逮捕劇が映され、流されます。数人の警察官が犯人を足蹴にして取り押さえる。そのシーンは日米問わず、視聴率が取れるのです。何故か?それは生の勧善懲悪ストーリーだからです。 水戸黄門をはじめ、プロレスに至るまで度合いは違えど、悪役(ヒール)が存在し、それを颯爽と正義の味方が現れ退治するのは誰が見ても理解でき、エンターテイメント性が高いですよね。ガンダムみたいに敵にも正義があり…云々をやろうと思うと数時間では収まりませんし、まどろっこしくて飽きる人が出てきますしね。

    catfist
    catfist 2006/01/26
    ヲタ=黒人説
  • センター試験の国語で一人称が僕の女子高生が出てきた件

    catfist
    catfist 2006/01/26
    ヒクヒク