タグ

2009年1月24日のブックマーク (2件)

  • ぜんぶ、KOFのせい - 未来の蛮族

    なぜ、オタクはダサいのか とかく馬鹿にされがちなオタクファッション*1。しかし、考えてみればおかしな話で、アニメやゲームを好むということと、服装が冴えないということには、来何の関係性もない。むしろ、アニメにせよゲームにせよ、非常に視覚的な趣味であって、美的感覚を養う上でよい働きをすることだって期待できるはずだ。にもかかわらず、「オタク」と「ダサい」という二語はまるで赤壁における連環の如くに固く結び付けられている。桃屋といえば、三木のり平。青雲といえば、君がみた光*2。そして、オタクといえばダサい。このような状況を生み出した大犯罪人を僕は知る。 SNK。そして、KOFである。 KOFが犯した罪 念のために、説明しておくと、SNKとは企業の名称である。かつては「餓狼伝説」「龍虎の拳」といった対戦格闘ゲームで一世を風靡していた。KOFとは、King Of Fightersの略称であって、上記

    ぜんぶ、KOFのせい - 未来の蛮族
  • 不在の父と決断する女たち - N.S.S.BranchOffice

    はてなエコーこの文章が碇シンジよすこやかによみがえれ――経験不可能性と決断主義の克服についての試論――や「ゼロ年代の想像力」に対するカウンターパートになるか、といえば微妙だけれど、エヴァにおける父と子の構図を「決断主義者」と「ひきこもり」の構図として図式化するのはわかりやすいけどそれってほんとに合ってるの? 設定上の構図が持っているイメージだけで語ってないか。と思ったので少し書いておく。もしかするとそこで見落とされている論理展開について。不在の父について。それから決断する女たちについて。そこで思い起こされるのが宇野常寛の「碇シンジでは夜神月を止められない」――経験不可能性を受け入れたひきこもりは決断主義者にアプローチできない――という言葉である。だが、実際には「碇シンジでは碇ゲンドウを止められない」と読むべきである。碇シンジと対比されるべき決断主義者はまず彼が主人公であった「新世紀エヴァ