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文章に関するcerf310のブックマーク (11)

  • 説得力のある文章を書く技術――説明文の方程式 - 週刊アスキー

    前回は「世界を見つめる解像度」について書きました。前回も書いたように、たくさん書くことで世の中を見つめる「解像度」が上がっていくのですが、文章を書くには最低限の技術も必要です。そこで今回は、物事を説明するための文章の書き方を説明していきます。 ■報告書やメールの書き方 まず、超シンプルですが、基はこれです。 結論をまず書いて、それについて説明して、最後にもういちど結論をまとめます。報告書やメールなどはこのフォーマットが一番適していると思います。もちろん、メールでは、お礼や挨拶などがここにくっつきますので、お忘れなく。 よくある失敗をふたつ上げておきましょう。 失敗1:「結論」と「説明」を逆順に書く まず長々と説明を書いて、その次に結論を書くという失敗です。おそらく、わかってほしいからこそ、延々と説明してしまうのだと思うのですが、結論がなかなか出てこない文章は読んでるほうはイライラして、読

    説得力のある文章を書く技術――説明文の方程式 - 週刊アスキー
  • NHK NEWS WEB 没後20年 尾崎豊が語ったこと

    尾崎豊さんが「15の夜」や「卒業」、「I LOVE YOU」など多くのヒット曲を生み出し、若者から圧倒的な支持を受けたのは、各地で校内暴力が問題になり、日経済がバブル景気に向かっていた1980年代前半でした。 26歳という早すぎた死から、ことしで20年を迎えます。 今回、尾崎さんが創作メモや日々の思いをつづっていたノートが、大量に保管されていたことが新たに分かりました。 「尾崎豊」はどのような思いで曲を生み続けたのか。 科学文化部の安井俊樹記者が解説します。 あなたにとって「尾崎」とは 「尾崎豊」と聞いて、私が思い出すのは、学生時代に繰り返し読んだヘルマン・ヘッセの厳しい自己探求の物語「デミアン」の冒頭の文章です。 「私は、自分の中からひとりで出てこようとしたところのものを生きてみようと欲したに過ぎない。なぜそれがそんなに困難だったのか」(新潮文庫・高橋健二訳) 「僕が僕であ

  • ひふみよの夜 - 日記

    まだうだうだとインタビューのことを考えている。こうして書きながら考えているだけなので、何の結論にもたどり着かないし、それにライターや編集者の方からは「何をいまさら、そんなわかりきったことを書いてんだ」と思われるだろうし、そうじゃない人にとってはまったくどうでもいい話だとは思う。だから、パスワードをつけてあるほうのブログ(日記)に載せようかとも思ったけど、やっぱりこっちに置いておく。 * 最近、『VERY』で「ボクの好きな人。」という連載の構成を毎回担当させてもらっている。リリー・フランキーさんが好きな人と対談をする連載です。リリーさんから構成役として指名してもらったとき、嬉しいというより、えっ、ぼくでいいんすかと思ったのを覚えている。『en-taxi』で一度、それから自分で作っている『HB』で一度構成をさせてもらったことがあるとはいえ、久しぶりに始める連載で構成を担当させてもらうのがぼくで

    ひふみよの夜 - 日記
  • ケインズ「一般理論」山形浩生訳 全訳完成 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    全訳完成。9/1に始めて、途中一週間休みがはいったけど、20日でゼロから仕上げた計算。もうちょっと集中できたら二週間くらいでできたかな。ぼくは翻訳は一発通しで、読み直すことさえあまりしないから、用語の不統一や誤変換はそこそこあるかと思う。でも大きな誤訳はないはず。各種まちがいに気がついたら教えて。 ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』山形浩生訳(全訳) (pdf 840kb) 訳していて気がついたこと。 ケインズは、ヒックスにも言われているけど、嫌みったらしくてやーなヤツ。 ケインズがわかりにくいのは名文家だからだ、と伊東光晴なんかがしつこく言うが、まったくのウソ。理解できないからありがたい名文にちがいないという変な宗教がかった愚かな信仰は、いい加減捨てていただきたいところ。以下のようないやらしい、関係代名詞に条件節がたくさんぶら下がった文を山ほど書くので、わかりにくいと言われるのはしか

    ケインズ「一般理論」山形浩生訳 全訳完成 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • http://bukupe.com/summary/1155

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  • 第13回 文体と主語(その2)|コラム道|平日開店ミシマガジン

    文体を歩き方になぞらえるなら、主語はに相当する。どんなを履いているのかによって、歩き方はおのずから変わってくる。頑丈なを履けば歩きぶりは重厚になるし、サンダルを突っかけて歩く人間の足取りは余儀なく軽佻になる。かように、の選び方は歩行の基礎的なリズムだけでなく、その俊敏さや踏破性にも影響を及ぼす。 よく似たなりゆきで、主語は、文章のスタイルを規定している。最初にどんな仁義を切るのかで、後の行動が制約されるように、文体は、発言の主体である書き手の名乗り方次第である程度決定してしまう。 ということはつまり、書き手は、を履き替えるように主語を使い分けることで、文体を自在に操作することができるのだろうか。 さよう。ある程度は可能だ。 「僕」で書いた文章を「私」視点で書き改めれば、それだけでコラムの印象はずいぶん違ったものになる。逆もまた然りだ。 が、主語は、書き手のアイデンティテ

  • 極東ブログ: ハイパーグラフィア

    ハイパーグラフィア(Hypergraphia)の話をブログ「Passion For The Future」のエントリ「書きたがる脳 言語と創造性の科学」(参照)で見かけた。同エントリは、「The Midnight Disease: The Drive to Write, Writer's Block, and the Creative Brain」(参照)の邦訳書の書評的な話から切り出されたもので、ハイパーグラフィアは文章を書かずにはいられない精神の病気だという流れであった。 ハイパーグラフィア(書かずにいられない病)とライターズ・ブロック(書きたくても書けない病)について、自ら両方の症状を経験した医師でもある著者が、脳科学と精神医学の視点で言語と創造性の科学に迫る。 ハイパーグラフィアというタームは、そのジャーゴンが The Midnight Disease (深夜の病)という語感から私

  • 「小説の読み方の教科書」を書き、それを伝えていくのがぼくの使命 - ハックルベリーに会いに行く

    ところで、id:yaneuraoさんという人が、ぼくの書いた『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(以下『もしドラ』)についての記事を書いてくれている。せっかく書いてくれたので、それらについてぼくの考えを述べさせて頂こう。ちなみに3つ記事を書いてくれたので、順次ご紹介していく。最初はこの記事だ。 もしドラの作者は思い込みが激しすぎるのではないか - やねうらお−よっちゃんイカをべながら、息子語録を書き綴る当にもしドラの作者の言うように、「そういう人が少数ながらもいる」(全体の数%ぐらい?)程度ならば、その人達の読解力が不足しているのかなとは私は思うのです。(もちろん、作者としてそういう人たちにもわかりやすく伝わる努力はするべきですが。)ところが、私が今回の記事を書いて、1日でこの記事に1万PV程度あったわけですが、誰ひとりとして、「この書店員はこれ

    cerf310
    cerf310 2011/08/13
    こんだけ自著の批評について反応するのは新しいな。
  • ルミネの広告|その絶妙さったら、 - オンナゴコロコロCREATIVE LABO

    鮮やかな色彩と、コピーが印象的なルミネの広告。 この広告がすごいところは ポスターをみた女子、誰もが「あるある」と共感し、 当事者意識をもってしまうところ。 そこをつくのかー、という絶妙なオンナゴコロに触れていて、 コピーってすごいなと改めて感じます。 コピーライター:博報堂 尾形真理子さん ※画像はルミネサイトのギャラリーから引用させて頂きました。 誰かの心を 灯したくて 私は着飾る。 わたしが着るから、 この服は笑う。 恋が終わるのなら、 せめて夏がいい。 試着室で思い出したら、 物の恋だと思う。 お気に入りを着ていれば、 作った笑顔は必要なくなる。 当の好きに近づくために、 なにが嫌いか知っておく。 泣きたくなったら、 さっさと着替える 嬉しいも哀しいも 表情より 着ている服で 伝わっていく たったひとつの恋が欲しくて どれだけの涙をこぼしただろう。 夜中にしぼんだ恋ごころも 目

    ルミネの広告|その絶妙さったら、 - オンナゴコロコロCREATIVE LABO
  • 140字の修辞学 - 内田樹の研究室

    Twitterに「愚痴」、ブログに「演説」というふうに任務分担して、書き分けることにしたら、ブログへの投稿が激減してしまった。 たしかにTwitterは身辺雑記(とくに身体的不調の泣訴や、パーソナルな伝言のやりとり)にはまことに便利なツールであるけれど、ある程度まとまりのある「オピニオン」を書くには字数が足りない。 わずかな字数でツイストの効いたコメントをするというのも、物書きに必要な技術のひとつではあろうが、「それだけ」が選択的に得手になるのは、あまりよいことではない。 というのは、「寸鉄人を刺す」という俚諺から知られるように、「寸鉄」的コメントは破壊においてその威力を発するからである(「寸鉄人をして手の舞い足の踏むところをしらざらしめる」というような言葉は存在しない)。 何より、一刀両断的コメントは、書いている人間を現物よりも150%ほど賢そうに見せる効能がある。 一刀両断的コメントの

    cerf310
    cerf310 2011/08/01
    「内側に切り込むように書く。そのためには限界の告知をしなければならない」か。たしかに樹先生はそうだな。
  • [書評]日本語作文術 (中公新書:野内良三): 極東ブログ

    タイトルが冴えないけど「日語作文術 (中公新書:野内良三)」(参照)は良書だった。文章読の系統では新しい古典になるのではないか。レベルは一般向け。高校生が読んでもよいくらい。大学生や新社会人も読んでおくと、一生のお得。悪文を書き連ねている私がいうのもなんだけど、これ読むと、それなりに文章がうまくなることお請け合い。 文章読は数多くある。ありすぎる。人それぞれ信奉する良書もある。なので、どれが良書かという議論は、ご宗教みたいな話に堕しがち。どうぞご勝手に。私はある時期からあまりこだわらず、そのときおりの文章読を時代を読むように読むようになった。文章読自体を楽しむという趣向では「文章読さん江 (ちくま文庫:斎藤美奈子)」(参照)のような冷めた感じだ。文章というのは多面的で一冊の文章読ですべてを言い尽くせるものでもないし。 それでも信奉書に近いものはあって、平凡だが二冊。「日語の

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