協調性の高さ=優等生の時代は終わった 現在の学校教育が確立した系譜をたどると、戦争に行きつく。優秀な兵隊あるいは労働者をいかに効率よく生産するかという、明治維新後の富国強兵思想から設計されたものだ。 一応、学校教育は国民全員が文化的な生活を過ごせる知識と教養を分け隔てなく学べる、基本的人権にのっとったシステムとされている。しかしそれはしょせん、表向きの理由にすぎない。実際は黙って体制側の言うことを聞き続ける、「我慢の秀才」たちを育成するのが狙いだ。そこで重要視されるのが協調性。周囲の空気を読み、全体からはみ出さず、個性を平均に押しこめて黙々と勉強する人が、テストでも内申点でも「優等生」とみなされた。 言われたことを言われたとおりにこなす能力は、それはそれで1つの価値を持つので、全否定すべきものではない。だが、協調性の高さイコール「優等生」であるという時代は、とっくに終わったのだ。 テクノロ