タグ

ブックマーク / gitanez.seesaa.net (40)

  • 「ルネサンス期の蒐集家たちに学ぶ”未知”との付き合い方」と「想像できるからこそ世界はデザインできる」: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 完全にこちらのブログは更新が止まっていますが、会社のブログのほうに2つ記事を書いたので紹介。 「ルネサンス期の蒐集家たちに学ぶ”未知”との付き合い方」 "理解する"ことと"創造する"ことの深いつながり。従来の文脈とは異なる価値=意味をもたらすイノベーションが求められる時代だからこそ、未知の物事を自分自身で理解、解釈する力が求められているのだと思う。そんな考えをひさしぶりにブログ記事の形で書き出してみた。 「想像できるからこそ世界はデザインできる」 プラトンやアリストテレスなどのギリシアの哲学者は、哲学は驚きからはじまると言った。驚きこそが知的探求のはじまりにあると。 けれど、同じものをみても、驚けるかどうかは見方次第である。ゆえに知とイメージ力は関係する。 そして、なにより

    「ルネサンス期の蒐集家たちに学ぶ”未知”との付き合い方」と「想像できるからこそ世界はデザインできる」: DESIGN IT! w/LOVE
  • 2015年に読んで面白かった視覚表現史に関する7冊の本: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 さて、2015年も今日で終わり。 最後に、今年読んだをいくつか紹介しておきたい。 特に、今年は「視覚表現史」とか「視覚表現の変遷を通じた思考の歴史」とでも呼べそうなを集中的に読んだので、その中から面白かった7冊を紹介しておきたい。 紹介するのは、この7冊。 高山宏『アリス狩り』バーバラ・M・スタフォード『ボディ・クリティシズム』ユルジス・バルトルシャイティス『アナモルフォーズ』ピーター・コンラッド『ヴィクトリア朝の宝部屋』サイモン・シャーマ『レンブラントの目』マリオ・プラーツ『肉体と死と悪魔』ポーラ・フィンドレン『自然の占有』 では、1冊ずつ順を追って紹介。 高山宏『アリス狩り』最初に紹介するのは、僕の読書におけるたいていの選びの基準となっている高山宏さんの処女作とな

    2015年に読んで面白かった視覚表現史に関する7冊の本: DESIGN IT! w/LOVE
  • 多義から一義へ:絵から図が分裂した17世紀: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 いま会社の班活動で「図」に関する研究活動をしています(会社で班活動って何?という方はこちらをご覧ください)。 上の写真のようにいろんな種類の図を集めて、それを分類したり、分類ごとの特徴を抽出したりしました。次のステップでは、自分たちでも図を使って自分たちの考えをうまく伝えられるようになることを目指して活動しています。 そんな班活動のために図を集める作業をしていた際、以前から気になっていたアタナシウス・キルヒャーのことがあらためて気になりはじめました。 お目当ての図を探そうと検索していると、やたらとキルヒャーの著作に掲載された図が出てきたからです。 それもあって、いまジョスリン・ゴドウィンの『キルヒャーの世界図鑑―よみがえる普遍の夢』を読みはじめました。読みながら、キルヒャー

  • 文書の形式で知をカタチにすること: DESIGN IT! w/LOVE

    それがはじまったのが17世紀頃だと著者はいいます(あー、またしても17世紀!)。 十七世紀になると、相続者が何らかの理由で個人の財産を売りにだす際に、財産目録は印刷されるようになってくる。このとき、目録はカタログとなる。 財産の目録は"相続者が何らかの理由で個人の財産を売りにだす"ために印刷され、複製されるようになるのです。 ここからより効率的に財産を売りさばくために、オークションを行うことに発展していくのは当然の流れといえるでしょう。 カタログを作ったから、展示がはじまった(その逆ではない)こうした出自をもつ美術カタログは、現在のように美術展覧会そのものをアーカイブする存在ではなかったし、それどころか、美術カタログが生まれた時点ではまだ展覧会というイベントも、美術館という施設も存在しませんでした。 特定の家の財産として室内に閉じ込められていた美術作品を、財産目録としてのカタログが外に開き

    文書の形式で知をカタチにすること: DESIGN IT! w/LOVE
  • 自分にも他人にも容赦をせずに自分の考えを言葉にすることを心がけないと: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 遠慮とか、他人に気を遣うこととか、人目を気にすることとか。 いりませんね。必要ない。いやいや、それどころか、自分が思考し行動する上では邪魔でしかありません。 当は上手に気をつかえたり、他人への配慮ができるチカラがあれば、それらも悪くないもののはずなんですけど、いまを生きてる世代で、そんなことが上手にできる人なんていません。 何をどう配慮すれば相手も自分も上手くいくかなんてインタラクティブな文化的解答を僕らの世代はとっくに失ってしまっているし、その喪失にさえ気づいていない有様です。気を遣って相手も自分もいいようになるよう希望しても結果は真反対。このシュリンクする経済状況を見るだけでも明らかです。 そんな縮小という結果に向かわせるだけの人の和なんてものはもはや美徳でもなんでも

  • 声の文化と文字の文化/ウォルター・J・オング: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ウォルター・J・オングの『声の文化と文字の文化』。原題は"Orality and Literacy"。 当ブログではここ最近何度も取り上げてきたこの1冊を今日はあらためて紹介してみようと思います。 著者自身が「序文」で書いているように、このの主題はオラリティー(声の文化)とリテラシー(文字の文化)の違いを明らかにすることです。 あるいは、すでに文字があることやそれを使って生きるということに親しみすぎてしまって、もはや文字がない生活や思考がどういうものなのか想像もできなくなっている僕ら現代人にも、文字のない声の文化における思考や言語表現がどのようなものであるかを知れるようにすることが書の主題だともいえます。 実際、文字を使って思考し生きることに親しみすぎてしまっている僕ら

  • 木を見て、森をみない「ディテール執着症」のはじまり: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前回の「19世紀後半の芸術の残骸としてのわかりやすさとリアリティ」では、現代の「やらせ映像」にもつながる、ある側からみれば非常にわかりやすいリアリティをもった、また別の意味からいえば紋切り型のそうした表現に関する実践的研究が行われたのが19世紀後半の自然主義・写実主義芸術の時代であったことを紹介しました。 その19世紀の半ば以降に生まれたのが、ショールームや百貨店などの販売システムであったことは、前々回の「見せる空間から参加する空間へ」という記事で紹介しています。 世界最古の百貨店といわれるボン・マルシェがいまにつながる百貨店のシステムを確立したのは1852年。それに先立ち、世界最初期のショールームというべき、鉄骨とガラスで作られた巨大な建造物である「水晶宮」で知られる世界

    木を見て、森をみない「ディテール執着症」のはじまり: DESIGN IT! w/LOVE
  • デザインという思考の型から逃れる術があるのか?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、デザインとは「思考の型そのものである」と考えるようにしています。 しかも、その思考の型は決して特別なものではなく、むしろ、現代に生きる僕たちはデザインという思考の型以外で考えられなくなっている。僕はそう考えるようになりました。 昨今、「デザイン」という概念の重要性が増し、誰もがその力を身につけようと方法論や事例をかき集める風潮がみられますが、この僕の観点からいえば、�むしろ僕らはデザインという型を使わずに考えることができないのだから、当に願うべきはデザイン力を身につけることではなく、いかにしてデザインという思考の型に無意識のうちに縛られている自分を自覚するか、デザインという思考を当の意味で認識対象にするかということではないかと思うのです。� 僕らはみな、デザイン力

    デザインという思考の型から逃れる術があるのか?: DESIGN IT! w/LOVE
  • スライド公開「デザインの深い森 vol.1 魔王のテーブルのうえで」: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「“デザイン”そのものをリフレーミングする」をテーマに、千葉工業大学の山崎先生といっしょに全6回で開催するイベント「デザインの深い森」なるものをはじめています。 まず9月25日に�「魔王のテーブルのうえで」と題して第1回目のイベントを開催しました。 山崎先生と交互に講演を担当する予定ですが、第1回目は僕が担当。 そのときのプレゼンに使った資料を公開します。 今回は資料のみだとまったく意味がわからないので、講演用に書き起していたスクリプトとともに公開しました(keynoteでつくったものを発表者ノート付きでPDFにはきだし。まー、実際はこのまんまはしゃべってないけど)。 そのかわり絵が小さくなってるけど、そのあたりはご了承を。 大作です。そして、イベントの2回目も参加者募集中

  • 表象の芸術工学/高山宏: DESIGN IT! w/LOVE

    まさに、高山宏さんはこののなかで膨大なサイン(表象)を相手にしています。そして、これまで人類が様々な時代において、サイン(表象)を相手にどう対処してきたかを紹介してくれています。 この講義が大学で行われていたなんて、なんともうらやましい。 デザインとは「サイン」を相手にどう対処するかという意味の哲学と手法しかも、いまの「デザイン」なんて領域をははるかに飛び越えて、来「デザイン」がどんな文脈でどのように用いられていたかを丁寧に紐解いてくれます。 例えば、エドガー・アラン・ポーの例としてはこんな風に。 ポーはこれを『詩作の哲学(Philosophy of Composition)』(1846)や『詩作の原理』といったエッセイにまとめ、詩は神から霊感を受けたある特殊な天才による特権的な仕事ではなく、音韻の持つ機能的な構造をしっかりと分析した技術者であれば誰でも作れるとまでいう。文学もデザイナ

  • 「考え方」について考えてみる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「考えるとはどういうことか?」それについて考えることが僕にはよくあります。 「考えるとはどういうことか?」と考えることで、何かを考えるための方法が明らかになることがあるからです。 だから、「考えるとはどういうことか?」を考えるのは、自分自身がうまく考えられていないなと感じるときや、他人がうまく考えられていないなというのを目の当たりにするときだったりします。 ▲この記事では、この2冊が登場するよ うまくいかないから、その理由を自省する。 それって何かを改善するためにはごくごく普通の行為だと思います。 それを踏まえると、考えることがうまくいかない要因の1つが「考えるとはどういうことか?」ということを考えようとしない姿勢にあるということもできるはず。自分自身の考えるという作業のや

    「考え方」について考えてみる: DESIGN IT! w/LOVE
  • 自分たちでやれることの外部化が、未来を志向するために必要な人と人とのつながりを希薄化させる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 いまの時代って、ひとりで悶々と悩んだり、企業などの閉じた世界のなかだけで問題を解決しようとしたりするのに向かない時代ではないかと感じます。 これほど、先行き不透明で、かつ、不透明ではない既存の安定したシステムの寿命もそう長くはないと予測される現代で、特定の機能を果たしたり、特定の戦略の実行に最適化された組織の閉じた環境のなかだけで、何が起こるか分からない状況で突如現れ出てくるさまざまな未知の問題に対処することは理にかなっていません。 だからこそ、ゆるいネットワークのつながりによって、「さまざまな未知の問題」にも柔軟に対応できる、多様性を確保しておくことのほうが必要なのだと思います。 先行き不透明な未来を引き受け、従来の価値観に縛られない将来をつくりだす僕らはいま、先行き不透

    cha-cha-ki
    cha-cha-ki 2012/07/31
    「いたれりつくせりのもてなしが人をお客さんに変えてしまう」/ 一回お客さん化すると飛び出すの大変。
  • 「垂直」から「水平」へという変化のもう1つの意味: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 〈なぜ今「ノマド」は“炎上祭り”と化しているのか〉と題されたダイヤモンド・オンラインに掲載の佐々木俊尚さんの記事がなかなか興味深かったです。 こんな感じで「会社組織の衰退」という話から「ノマド」についての考えを展開しています。 なぜ一部の若者が大企業を辞めたり、成長もしない社会起業系の小さなビジネスをやったりしているかと言うと、これは明らかに危機感の表れ。脱サラは確かにかっこいいかもしれません。でも、起業するモチベーションとしては、かっこいいことをやりたい、といった短絡的な理由ではなく、10年後、20年後の生活設計を考えることを自分なりにやっているわけですよね。(中略)今後、明らかに社会構造は変わると思っているんです。何年か、あるいは何十年かかるか、スパンは分からないですけ

  • 【参加者募集】7月7日(土)開催 観察(オブザベーション)ワークショップ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 デザイン思考で用いられる代表的な手法の1つにエスノグラフィーがあります。 従来、文化人類学などの分野で用いられてきた、この手法は、人びとが暮らす現場に出かけて直接人びとの暮らしに触れるかたちで行なう参与観察に特徴があります。 話を聞いて知るのではなく、自分で見たり体験したりする「観察(オブザベーション)」から人びとの暮らしについて、彼ら自身も知らないことまで把握するのです。 デザイン思考においては、このエスノグラフィーでの観察を通じて得た事柄から、その人たちのメンタルモデルを洞察し、その先にあるイノベーションの鍵を見つけていきます。 その意味では、この「観察」はデザイン思考的なアプローチを行なう上で最も重要な意味をもっているといえます。 今回のワークショップでは、「観察」の

  • 教育/コミュニケーション/経済をもっと長いスパンでみた「構造」と捉えること: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 社会的イノベーションってなんだろうか? 仕事では「イノベーション」という言葉を使うし、確かに社会的な意味でのイノベーションの実現を気で目指します(技術的なイノベーションや、ビジネス的イノベーションは仕事上でもあまり興味がありません)。 けれど、一方では社会的な意味でのイノベーションにも懐疑的な考えも持っています。 果たして、人はどこまで自分たちの生物としての出自に抗って、自らが長年つくりあげてきた「生き方」を壊してしまうイノベーションが可能で、それを実現しようとするのか?と。 また、イノベーションで実現した状況が果たして、さらにその先の未来にとってもよい方向への変化といえるのか? その根拠はなんだろうか?と。 僕らは自分が向かっている先をちゃんと理解しているのだろうか?と

  • 人間の思考方法と情報の交通の速度や経済性について考える: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 デザイナーさんなどを中心にこんな風に考える人がたまにいます。 手で描きながら何かを考える方法って人間にとってはとても自然で来的な思考の方法だ、と。 んー、果たして、そうなのでしょうか? 僕自身も、絵や図を描いたりしながら自分の考えを発展させ、まとめていく方法というのは、思考方法としてとても有効だし、誰もがそういう思考方法を身に着けておけばいいと思っています。 でも、それが「人間にとってとても自然で来的な思考の方法」だとは考えません。 そう考える人はある基的なことを忘れていると思うんです。 手で描いて考えるために不可欠な筆記具も紙も、残念ながら、いまのように誰でも気軽に利用できる代物ではなかった時代があったということを。 筆記具や紙という人工物がなければできない思考方法

    cha-cha-ki
    cha-cha-ki 2012/01/17
    "筆記具や紙という人工物がなければできない思考方法が、人間という生物にとって自然で本来的であるはずがない" ←刺さります…いかに普段考えてないかとゆう。
  • 僕たちはいつも間違えてる、だから…: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 失礼ながら、年末の挨拶も書かないまま、新年に突入した当ブログ。昨日から仕事のほうでも通常営業がはじまったので、こちらでも気合いを入れ直していこうと思いました。 きわめて不定期に、大して裏取りもせずに思いつきをしたためている当ブログではありますが、読んでいただいているみなさんに興味をもってもらえる記事を書いていこうといつも思っておりますので、2012年もぜひ DESIGN IT! w/LOVE をよろしくお願いいたします。 ついでに会社のほうで担当しているブログ「市場のお手入れ」のほうもよろしければご覧ください。ペルソナやエスノグラフィーなどの人間中心設計、デザイン思考関連の記事はそちらのほうで書いておりますので。 というわけで、ご挨拶は簡単に終わらせていただいて、題。 今

  • 発明の方法を受け継いで…: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 人が何かを行なう際に用いている「方法」に目を向けること。 僕は、そのことがUXやインタラクションなどのデザインに関わる人にとってはとても重要なことだと考えています。 というのも、簡単に言ってしまえば、個人やコミュニティが普段用いている「方法」を、それ以外の様々な人たちにも利用な「ツール」に翻訳し置き換えることがUXやインタラクションのデザインのミッションだと思うので。一部の人が使っている「方法」をより多くの人が気楽に使える「ツール」に置き換えることが1つのイノベーションの方法だろうと考えます。UXデザインやインタラクションのデザインに求められているのって、そういう点からイノベーションを可能にすることなんじゃないでしょうか? 逆にいえば、方法のツールへの翻訳を含まないUXデザ

  • 切開〜抽象化する思考スタイルの欠如: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 考えが足りない人びとの特徴のいろいろ。むろん、網羅性などはなく、最近出会った事柄の羅列。 考えていることを言葉や文章で表現しない。手法の習得やスキルアップなどに際しても、セミナーやワークショップなどの場での練習ばかりで、実際の仕事の現場での実践のなかで失敗しながら学ぶことを避ける。電車に乗る際、奥にいかずに、入り口付近に立ち止まっているくせに、後ろから人が乗ってこようとする際に奥に空いてる空間があってもそこによけようともしない。しかも、気づいていないからではなく、よけるためには、さらに奥の人にふれる形でしかよけられないために動かない。つまり、自分から他人に嫌われそうな行動を避ける。その「動かない」ことで電車に乗りたい人が乗れないという迷惑が発生しようとも「やって」迷惑より「

  • おしゃべり化する社会のなかで、UIのデザインは人間が離れた場所から目を向けるグラフィカルな視覚重視のものから、人が内部に参加する形でそれを体験する建築的なものへと移行する: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、HTML5の影響やタッチデバイスのUXからの転移もあってか、これまでとは異なるデザインのWebサイトが増えてきているように感じます。 例えば、イギリスのデザイン・エージェンシー、TME Solutions。 このサイトの構造は従来のページ遷移型の構造をしていません。いちおページ単位で個別のヴィジュアルが展開されていますが、構造的には紙を折り畳んだパンフレットのように上から下まで連なった形をしています。 グローバルナビゲーションが後から追いかけてくるUXの是非はともかく、ページを遷移せずにみせる形式は一枚の紙の一覧性の良さと同様に、ユーザー自身が情報全体のなかでの自分が見ている現在位置を把握しやすいという利点があります。 類似の構造をもつのがReverse Büroです