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ブックマーク / blog.livedoor.jp/koshek (12)

  • Дневник Сейтена:「台湾=親日」

    NHKが、台湾の日統治時代について扱ったドキュメンタリーにおいて、統治時代の差別や構造的暴力について扱い、統治を肯定しない論調で語った。これに対して「反日」だと叫ぶ声が散見される。 「反日」という扇情的なコトバの意味するところを窺い知るのは難しい。が、おそらくは、「当は台湾は『親日』的で日統治時代を肯定的に捉えている」のに、否定的な声を拾い集めて前面に押し出し、日時代を否定的に語っているとして怒っているらしい。つまり前提として「台湾は『親日』」という認識がある。そうした「自分の認識に反する」番組制作がなされたので、日を貶めるために恣意的に「真実とは反する」放送をしたとでも言いたいのだろう。 しかし「台湾=親日」という幻想にこそ辟易しますね。 戦後台湾は、蒋介石一派による省人の虐殺・弾圧、中華民国と中共との対立、それに拍車を掛け下支えた冷戦の文脈、戒厳令下における暴力と民主

    chanbara
    chanbara 2009/04/10
    『そういう面もあった、と示すだけで「台湾は『親日』なのに、おかしい!『反日』番組だ!」と称することに、いかなる妥当性があろうか』 / 自分の見たい情報だけ流通してほしい、という発想につい自分もなる。自戒
  • Дневник Сейтена:ネオナチ

    chanbara
    chanbara 2009/01/15
    「東洋人や中央アジア出身者をリンチすることによって、自らのコーカソイド性とその優位性を確認しているようなクズどもが、日本人を特別扱いするとでも思っているのだろうか?」
  • Дневник Сейтена:「ネットカフェ難民」へのまなざし

    「ネットカフェ難民」というコトバで表される、簡易宿泊所を渡り歩くしかない住所不定者層について語られるとき、驚くほどの冷淡さと冷笑を感じるコトバを聞くことが多い。 自分とは明らかに異なる層、それも自分よりも諸条件に劣る人々を単純にバカにして悦びとしているのならば、(それはそれで不快だが)まだ理解できる。だが、どうも身近や巷で「ネカフェ難民」について語られるコトバは、必ずしも単純な侮蔑に終始しないようである。 その特徴を一言で言えば、「簡易宿泊所を渡る歩くしかない層」に関する問題の矮小化である。無知や貧しいイメージによって「ネカフェ難民」の問題を彼らの人格に帰結させ、無邪気なほど簡単な「解決策」らしきものを示し、「こんなものは問題でも何でもない」と断じている。しかしそうして語られるコトバは、あまりにも現実と乖離している。それにも関わらず、往々にして話者は「侮蔑」しているのではなく「正しいことを

    chanbara
    chanbara 2008/10/11
    『そうして語られるコトバは、あまりにも現実と乖離している。それにも関わらず、往々にして話者は「侮蔑」しているのではなく「正しいことを述べている」と認識しているので恐ろしくなってくる』
  • Дневник Сейтена:様々

    私の出身大学院の中国人留学生にも、やはり長野への動員の号令がかかっているようです。使命感から自発的に行くという留学生もいれば、「自分達は大学院生だ。そんなことをするために日で勉強しているのではない」という留学生もおり、さらには「2000円で長野に行けるのならば、ちょっくら長野まで行ってみるか」という観光・お祭り気分の学生もいるので、様々な人間模様が見られます。さてはて。

    chanbara
    chanbara 2008/04/25
    ごく当たり前のことだが忘れてしまいがちなこと
  • Дневник Сейтена:被害者意識

    chanbara
    chanbara 2008/03/01
    「自分が努力に(多少なりとも)応じてそこそこ稼げる立場にいることを当然のことと信じる一方で、田舎の人間が人生をすり潰されることについては驚くほど冷淡だ」
  • Дневник Сейтена:最近の若者は……

    chanbara
    chanbara 2007/09/27
  • Дневник Сейтена:水を買ったかどでギロチンにかかる

    chanbara
    chanbara 2007/08/12
    「ごくごく些細な習慣の差違に全力で関心を持ち、何故そのようにするのかと執拗に不躾な質問を繰り返し、自分達と同じようにやるよう強要する。しかもこれは善意に基づく」
  • Дневник Сейтена:「不誠実」

    殺人事件の弁護人が、えらくエキセントリックな裁判戦術をとっていることに対し、世間では非難が渦巻いているようで。 これは、日における司法観が「被告人は謙虚かつ正直に事実を告白して反省を示し、弁護人はそれに基づいて被告人の権利を擁護し、裁判官の裁きを待つ」という枠組みを持つ為でしょうね。この裁判観に基づくと、裁判戦術として被告人が反省を示すのを止めたり、被告人が事件当時に抱いた心情や動機とは異なることを述べたり(ただし事件当時の内心を当人以外が量る術はない)、弁護人がそう仕向けたりすることは、「不誠実」と見えることでしょう。今回の事件における裁判戦術で語られた主張があまりにもエキセントリックで、それが極めて「不誠実」に見えたからこそ、世間の反感を強く買ったわけで。 弁護人は、法的に可能なあらゆる手段を使って被告人の利益を追求するのがその使命。そう考えるのならば、「不誠実」な戦術を駆使するのも

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    chanbara 2007/06/30
  • Дневник Сейтена:雛見沢は怖い

    雛見沢をどうしたいか。 私は住民を徹底的に分散させて強制移住させることを望み、 友人のS君は戦略爆撃することを望んだ。 「雛見沢」はヴィジュアルノベル「ひぐらしのなく頃に」の舞台であり、岐阜県近辺に位置する人口2000人程度の因習蔓延る寒村である。私もS君も、こうしたド田舎、というかBinnemoralとAu���enmoralの徹底的な二重性を持つ強固な排他的ゲマインシャフトが大嫌いである。 以下、こうした強固なゲマインシャフトが蔓延る場所を「田舎」と呼称する。必ずしも、地理的に都市から離れた場所・都市以外の場所・人口の少ない地域という意味ではないので注意。 さて、私もS君も「田舎」の出身である。自分が「田舎」で生まれ育って嫌な目にあったから「田舎」を憎んでいるんだろう、と思われるかもしれない。が、さにあらず。私もS君もそれぞれ恵まれた境遇で不自由ない生活を送ってきた。また、学校等で暴力

    chanbara
    chanbara 2007/06/22
  • Дневник Сейтена:ペルシア軍に参加しますよ

    映画「300」を観た。とりあえず、クセルクセスのペルシア軍に参加して、スパルタ兵悉く皆殺しにしたくなった。 もちろん、祖国と家族と体制を守るため、圧倒的な侵略軍に対して、ごく少数の精鋭が決死的な戦いを挑む物語が面白くないわけがない。漫画的な(というか漫画が原作なのだが)大胆な演出を用いた、ド派手な殺陣に心躍らないわけがない。物語として映画としてとても面白い。それは保証する。 だけれども、スパルタ軍には決して感情移入できなかった。むしろペルシア軍にこそ親近感を抱いたね。それはスパルタに私が忌み嫌う論理を感じたからだ。血縁ないし疑似血縁的な強固なゲマインシャフトを。 以下、ややネタバレあり。ちなみに「歴史」ではなく「作品」に焦点を絞って書くので悪しからず。 スパルタ軍の強さは、有事に動員される兼業兵士ではなく、日々訓練する専業兵士からなる軍隊であると同時に、鉄の団結に基づいて精緻な集団密集戦

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    chanbara 2007/06/19
    『「団結」は常に、異物の認定と排斥をその推進力とする』
  • Дневник Сейтена:都市住民の「被害者意識」

    私は田舎の同質性の高さと、差違がこの世に存在するという発想そのものがなく「永遠の昨日」の再生産に生きる田舎の「魔術の園」的なゲマインシャフを嫌悪している。だけれども、田舎に対する都市住民の「被害者意識」もまた、同じぐらい嫌悪している。 都市住民の「被害者意識」とは、田舎に都市住民の血税が注がれ浪費されている、というものだ。地方への補助金や交付金は地方自治体財政の7割をも占めていることが、その背景にある。そして、田舎ではとかくムダな建物や道路が作られて、血税がムダに使われているというイメージも根強い。実際、ムダな事業はここそこで見出され、また、地元の土建屋に仕事を回し、そのカネが土地に回ることの意義の前には、事業の妥当性そのものは問題ではないといった主旨の主張をする代議士も存在する。 だけれども、都市住民の「被害者意識」には重大な陥穽がある。 まず第1に、とにかく田舎の事業をムダと見なすステ

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    chanbara 2007/06/17
  • Дневник Сейтена:「プロジェクトX」と多文化主義

    chanbara
    chanbara 2007/05/28
    『多文化主義に極めて不寛容で、自由だ個性だ言いながらも想定できる「人間のあり方」の範囲が恐ろしく狭い日本人』
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