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Journalismに関するchinocciのブックマーク (10)

  • 政権交代でも思考停止の日本メディア | TOKYO EYE | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

    今週のコラムニスト:レジス・アルノー トイレを修理してもらうために呼んだ業者にこんなことを言われたら、どうだろう。「うーん。ちょっと待ってください。セカンドオピニオンを聞かないと」。さらに悪いことに、医者にこう言われたら?「おかしな病気ですね。医者を呼んできます!」 8月30日の総選挙で民主党部に詰めていたとき、私の頭に浮かんだのはこんなバカげた光景だった。日のジャーナリスト5人に、次々と同じ質問をされたのだ。「政権交代をどう思いますか」 そういう疑問に答えるのが、ジャーナリストの役目ではないのか。そもそもそのために給料をもらっているのでは。その場に居合わせたイギリス人ジャーナリストが私に言った。「よくあんな質問に答えましたね。あんなものはジャーナリズムじゃない。日の記者はただ騒いでいるだけ。今夜、この国が根から変わったことを理解していない」 総選挙を境に日は根底から変わった──

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  • 高木浩光@自宅の日記 - 津田大介氏の杜撰な評論 その1, 追記(30日)

    ■ 津田大介氏の杜撰な評論 その1 Twitterを「Winny」で検索していたところ、コンテンツ学会企画の津田大介氏の講演(「コンテンツビジネスと著作権-最新動向(仮)」)があったようで、数人の人がそれをTwitter中継しているのを見かけた*1。それらの内容からすると、津田氏はWinnyに対して浅薄な理解しかしていないように見受けられたので、どういう理解をしているのだろうかと、「Winny 津田大介」でWeb検索してみたところ、今年の1月に出鱈目な著作権問題評論を展開していたのを見つけた。 津田大介:著作権っていまモーリーさんが仰ったみたいに、実は著作権ってすごくそういうときに「悪用」って言ったらおかしいけど、利用されやすいんですね。たとえば、明確に日の法律でコンピューターウイルスを作成したのって、どういう罪に問われるんだろうって時に、結構微妙なんですよ。 モーリー:ふーん。 津田大

  • マスメディアを無視しtwitterに向かうランス・アームストロング - 自分が広告屋なのか何屋なのかよくわからなくなってきた今日この頃。

    自転車ロードレースに興味がある方ならばご承知の通り、ランス・アームストロングがロードレース界に復帰した。 かつて癌を克服しツール・ド・フランス7連覇(1999〜2005)という偉業を達成したこのアメリカ人は、2005年に一旦現役を引退したが、昨年の秋頃に現役復帰を表明。現在、世界3大レースであるジロ・デ・イタリアに出場している。普段ロードレース関連のニュースがまったくといって報じられない日でも、彼の名前をまったく無視することは不可能のようで、それでもまぁ申し訳程度なのだが、このことについては新聞社のサイトでも記事がちらほらと出ていたようだ。 さて、殆ど生き残れる確率のない癌に打ち勝ち世界最大のレースで7連勝。生きる伝説といって差し支えないような経歴を持つ彼だが、現役時代には多分に悩まされたことがあった。マスメディアへの対応だ。 アメリカ人にとってはまさにヒーロー的な存在のランスだが、一部

    マスメディアを無視しtwitterに向かうランス・アームストロング - 自分が広告屋なのか何屋なのかよくわからなくなってきた今日この頃。
  • CYCLINGTIME.com : ランス・アームストロングとメディアの関係

    今季、1月のツアー・ダウンアンダーで3年半ぶりの現役復帰を果たしたランス・アームストロング(アメリカ、アスタナ)。しかし彼とメディアの愛憎が入り混じった関係は、昔と全く変わっていない。 今年のジロ・デ・イタリアで第12ステージの個人タイムトライアル終了後、アームストロングは待ち構えていたメディアの取材を拒否。代わりにTwitterにある自身の公式サイトで、考えを述べた。彼が取材に非協力的なためジャーナリストたちは、彼がTwitterで発するコメントをよく引用している。 しかし今、ジロを現地取材しているメディアは、アームストロングがTwitterで述べているコメントを引用しないという非公式な協定を結んでいる。これはイタリア語、英語圏のメディアによる不満が、傑出した結果だ。 ミラノで開催された第9ステージで、選手たちはレースの安全性向上を訴え、ステージ途中で全員が一時停止する抗議行動に出

    chinocci
    chinocci 2009/05/24
    ジロ第12ステージの個人TT終了後、アームストロングはメディアの取材を拒否。代わりにTwitterで考えを述べた。彼が取材に非協力的なためジャーナリストたちは、彼がTwitterで発するコメントをよく引用している。
  • 裁判員制度で大わらわ 新聞各社が「自主規制」を開始

    裁判員制度のスタートを5月に控え、大手新聞各紙は事件報道をガラリと変えることになった。「逮捕段階から、容疑者をまるで有罪のように報道されると、裁判員はあらかじめ偏見を持ってしまう」という注文が司法当局から出たため、各紙とも記事のスタイルを根的に見直すことになったようだ。 朝日新聞では、昨年中にすでにガイドラインをまとめている。その主な柱を5つ紹介しよう。 「プレミアサイゾー」で続きを読む

    裁判員制度で大わらわ 新聞各社が「自主規制」を開始
  • マスメディアの凋落、ネットの行き詰まり、2008年を振り返る - ガ島通信

    金融危機や雇用問題など暗い話題で終わった2008年は既存のマスメディアにとっても厳しい年となりました。これまで指摘されてきた、マスメディアの凋落がついに表面化。新聞、テレビだけでなく広告代理店も厳しい決算となりました。それだけでなく、秋葉原事件、毎日新聞「WaiWai」問題、オーマイニュース失敗など、メディアのあり方に関わる質的な問題も、さまざまな形で表面化しました。 日経IT-PLUSで連載しているコラム「ガ島流ネット社会学」の2008年1回目は、炎上とネットとマスメディアの共振が「私刑化する社会」を拡大させていること、これらが規制への引き金になっていることを書いた インターネットと「私刑」化する社会(日経IT-PLUS) でした。 その後、自民・民主両党からネット規制の声が上がり、フィルタリングなどの議論が起きました。 秋葉原事件や毎日新聞「WaiWai」問題は、いずれもマスメディア

    マスメディアの凋落、ネットの行き詰まり、2008年を振り返る - ガ島通信
  • 筑紫哲也氏は本当に賞賛すべきジャーナリストだったのか|週刊・上杉隆|ダイヤモンド・オンライン

    11月7日、ジャーナリストの筑紫哲也氏が亡くなった。ヘビースモーカーらしく死因は肺ガンだという。1年半に及ぶ闘病生活の末の永眠、73歳だった。 翌日から、テレビでは追悼番組が流され、新聞では氏の功績を称える記事が掲載される。 「硬骨漢のジャーナリスト」、「弱者の味方」という言葉が躍り、文字通り、絶賛の嵐である。 確かに、朝日新聞記者からスタートし、政治部記者、海外特派員、朝日ジャーナル編集長、ニュースキャスターと歩んできたその経歴を振り返れば、さもありなんであろう。 だが、正直に告白すれば、筆者にはどうしてもその種の報道がしっくりこない。 基的に、日社会は「死者への鞭打ち」をタブーとしている。中国春秋時代、楚の平王の死体に鞭打った故事に倣い、権力者といえども、死者は尊厳をもって扱われるべきという観念は、いまなお日社会にも通念している。 確かに、反論のできない死者に対して、

  • 毎日新聞社内で何が起きているのか(上):佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

    電凸が引き起こしたすさまじい破壊力 毎日新聞の英語版サイト「毎日デイリーニューズ」が女性蔑視の低俗記事を長年にわたって配信し続けていた問題について、この一か月の間、毎日新聞社内外のさまざまな人と会った。 その結果わかってきたのは、この事件が毎日のみならず新聞業界全体に与えたインパクトた影響は皆さんが想像しているのよりもずっと大きく、その破壊力はすさまじい状況を引き起こしているということだ。これはインターネットとマスメディアの関係性を根底からひっくり返す、メルクマールとなる事件かもしれない。 何が起きているのかをざっと説明しておこう。まず最初は、ウェブサイトへの広告から始まった。ご存じのように毎日のニュースサイトである「毎日jp」の広告は、7月中旬から一時全面ストップした(現在は復活している)。毎日に広告を配信するアドネットワークを運営しているヤフーが、広告供給を停止したからだ。名前は公開で

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  • 現場で写メする素人は現場で写真を撮るプロとどのくらいちがうのだろうか - H-Yamaguchi.net

    7月5日にデジタルジャーナリズム研究会が「アキバ事件で考える~目撃ネット情報の使い方と報道・表現の自由」と題した公開シンポジウムを開くらしいのだが、なんだかんだで行けそうもないので、とりあえずここに書いとく。 携帯電話にカメラ機能がつくのが当たり前になって以降、事件の現場などで、いあわせた人たちがいっせいに写真を撮っている姿がよく報道されたりする。ちょっと古くさい表現をすると「一億総カメラ小僧時代」というわけだが、「興味位」だとか「そんなことをしているひまがあったら救助に加われ」とか、あまり評判はよろしくない。ここぞと「まったくケータイ世代は」みたいな俗物的世代論に落とし込む人もいるようだ。 確かにあんまり見ていて気持ちのいい図ではない。ないのだが、けしからん!と憤ってみせるのもなんだかひっかかる。別に確たる意見があるわけではなく、単にわからないのだ。たぶん同様のひっかかりを感じている人

    現場で写メする素人は現場で写真を撮るプロとどのくらいちがうのだろうか - H-Yamaguchi.net
    chinocci
    chinocci 2008/07/05
    カーヴァー短編『使い走り』にヒント
  • 同じ空間を共有できていたのか−−秋葉原事件の撮影について:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

    なぜ野次馬は怒られるのか Jcastニュースの記事「秋葉原事件の被害者撮影 モラル論議が巻き起こる」にもあるように、秋葉原連続殺傷事件をめぐって、現場を撮影した人たちのモラルが問題になっている。背景には報道と野次馬の境界線が消失し、一般人の情報発信とマスメディアの取材・報道の境界線がなくなっているということがあるのだろう。それはたしかに事実であり、そう指摘することはたやすいのだけれども、しかし一方で、なぜ報道の撮影に対してはある程度許容できるのに対し、一般の人の撮影に対してはなぜあれほどの不快感を抱いてしまうのかという、その差を説明できたことにはならない。 知人の大手新聞記者はある夜、当直勤務の途中で火事現場に取材に駆り出された。うっかり会社にカメラを置き忘れていて、手元にある撮影機器はケータイしかない。しかたなくケータイで火事場を撮影していたところ、付近にいた警察官や消防隊員から何度とな

    同じ空間を共有できていたのか−−秋葉原事件の撮影について:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan
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