4GL(第四世代言語。既に死語)を使っていた頃に「ソースコードが仕様書だ」と言い張っていたことがある。テーブル操作コマンドと統合されているそのプログラミング言語を使えば、じっさい英語の文章のように明解にコーディングできた。しかしそんな強力な言語を前提にしても、今から考えれば「コードが仕様書だ」と主張したのは間違いだった。 理由は単純。仕様書として通用するほどキレイにコーディングが可能と謳われている言語を使ったとしても、コーディングがキレイになることが「保証」されているわけではないからだ。まあ当然のことで、文章の読みやすさが書き手によってまるで違うのと同様、コードの読みやすさはプログラマによってまるで違う(その日の気分や体調によっても違うかもしれない)。いかに標準化を徹底しようが、同じ動きをするのにいっぽうは読みやすくいっぽうはわけがわからないなんて事態は日常的に起こる。そして、システム開発
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