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歴史に関するchizzuのブックマーク (7)

  • 満足じゃ…二条城の修繕費寄付して将軍様気分 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    世界遺産・二条城(京都市中京区)の修繕費に充てる「一口城主募金」の寄付者が28日、羽織り姿の“一日城主”になり、普段は入れない大広間で記念撮影をして将軍気分を味わった。 29、30両日も行われる。 二条城は1603年に築城されたが、土台や瓦屋根などが老朽化し、京都市が築城以来最大規模となる改修を今年度から計画。昨年10月から修繕費の半額(50億円)を一般募集しており、4月末現在で1423件約1600万円が寄せられている。 この日は、寄付に協力した5組9人が、大政奉還が行われた二の丸御殿の大広間や、将軍の側近など限られた人しか入れなかった黒書院で、堂々と座って記念撮影。いずれも京都大大学院2年の桐野裕之さん(39)は「普段は近づけないふすまを、近くで見ることができた」と喜び、片岡亮さん(30)も「歴史が残る城は日人の心だと思う。未来に残せるように願っている」と話していた。

  • 「僕と核」2011

    PDF (381KB) /JPG (3.2MB) / 更新履歴 戦後の経済、文明は原子力と共に発展してきた。 核分裂を使った原子力エネルギーの歴史は100年にも満たないが、 長くて複雑なものである。 政治的な事情は教科書で書かれている以上に政策の意図が隠されていることが多い。 また、被曝の歴史も同等に長いものであるが、なかなか現在進行形の時系列として語られてこなかった。 特に内部被曝に関しては1930年代から科学者の間で分かっていたものの、国際機関からは表立って評価されていない。 どちらかと言うと、メカニズムを認めつつも否定的な意見の方が多い。 それは戦争、核実験、エネルギー事情と国策に関わる大きな問題の影に隠れてしまったからである。 その背景をこの歴史相関図から読み取ることが出来るだろう。 日で起きていることが、過去の事例や海外の事情とどんな関係があるのか疑問に思っている人の方が多いが

    chizzu
    chizzu 2011/05/29
    これはわかりやすい!原子力産業と被ばく者の歴史相関図(1920〜2011)
  • かつてのフランス植民時時代の避暑地がゴーストタウンとなった、カンボジア「ボコールヒル・ステーション廃墟」

    カンボジアで有名な遺跡と言えばアンコールワットがあるが、他にもカンボジアの歴史と自然を肌で感じることができる興味深い場所が存在する。そのひとつはカンボジア南部カンポート州に位置するボーコー国立公園で、かつて世界遺産の候補にもなったことがある原生林に覆われた希少生物などが存在する。 標高1080メートルに位置するボーコー国立公園の高原には、フランス植民地時代、避暑地として利用されていた場所があった。1925年に建設されたボーコー・ヒル・ステーションの周りには最盛期の1950年から60年代にかけて、ホテルや教会、カジノなどが建設され、冷涼な気候を求めてやって来るフランス人や王族たちで賑わいを見せていた。 ソース:Kuriositas: Bokor Hill Station – Cambodia’s Abandoned Town ところが1970年代、カンボジア内戦により、クメールルージュとベト

    かつてのフランス植民時時代の避暑地がゴーストタウンとなった、カンボジア「ボコールヒル・ステーション廃墟」
    chizzu
    chizzu 2011/05/18
    廃墟好きにはたまらない場所
  • 「想へ惨禍の大津波 ここより下に家を建てるな」:日経ビジネスオンライン

    「災害伝承」という言葉をご存じでしょうか。全国各地に古くから伝わる言い伝えの中には、災害の恐ろしさや、防災の知恵を伝えようとするものが存在します。このような言い伝えのことを「災害伝承」と言います。防災関係者の中には、災害伝承を専門に研究している方もいらっしゃいます。 災害伝承の中には、東日大震災で東北地方に壊滅的な打撃を与えた「津波」に関するものも少なくありません。海洋国家である日は、古来より数多くの津波被害に苦しんできました。そのため、津波に関する伝承がたくさん存在します。 そこで今回の「社会を映し出すコトバたち」は、全国各地に伝わる「津波に関する災害伝承」を取り上げます。全国にはどのような伝承が残っているのか。その伝承は何を伝えようとしたのか。そして伝承を継承するためにどんな取り組みが行われているか、などについて分析します。 1点だけ前置きを。今回取り上げるテーマはあくまで「伝承」

    「想へ惨禍の大津波 ここより下に家を建てるな」:日経ビジネスオンライン
  • バリアフリー - Wikipedia

    国際シンボルマーク バリアフリー(英: Barrier-free)は、対象者である障害を含む高齢者等が、社会生活に参加する上で生活の支障となる物理的な障害や、精神的な障壁を取り除くための施策、若しくは具体的に障がいを取り除いた事物および状態を指す。 もとは建築用語で障がいのある人が生活上障壁となるものを除去する意味で使用されていた[1]。その後、バリアフリーの意味は広くなり、すべての人にとって社会参加する上での物理的、社会的、制度的、心理的な障壁の除去という意味で用いられている[1]。 バリアフリーは建築物などに存在する障壁を取り除く意味で用いられていたが、ロナルド・メイスによってはじめから多くの人が利用しやすいものとするユニバーサルデザインが提唱され、駅などの触知案内板や音声案内、パソコンの読み上げ機能などもユニバーサルデザインに含まれる[1]。 「設備やシステムが、広く障がい者や高齢者

    バリアフリー - Wikipedia
  • その先は別世界…青と白で彩られたモロッコの街「シャウエン」 : らばQ

    その先は別世界…青と白で彩られたモロッコの街「シャウエン」 モロッコの街シャウエンの旧市街(メディナ)に足を踏み入れると、青と白の生活空間が目に飛び込んできます。 すぐ北にあるジブラルタル海峡を超えればスペインという位置にあり、様々な民族による移住、支配が繰り返されてきた歴史を持ちます。 かつてある民族により街が白に染められ、その後、別の民族によって青に染められたと言う、現実離れした街並みをご覧ください。 ベルベル人によって開拓されたのが街の始まりで、レコンキスタ(国土回復運動)が盛んだった時代に、スペインを追われたユダヤ教徒やイスラム教徒がこの地に住み着き、街を再建しました。その時にユダヤの装飾である青に染められたと言います。 大半のユダヤ教徒はイスラエル建国時にイスラエルへ移住していきました。ちなみにイスラエルの国旗のデザインは白地に青。 かつてフランスの保護領だったモロッコはフランス

    その先は別世界…青と白で彩られたモロッコの街「シャウエン」 : らばQ
    chizzu
    chizzu 2011/05/12
  • 内戦・略奪・劣化の危機にさらされる太古の洞窟壁画、ソマリア

    ソマリア、ラース・ゲール(Laas Geel)洞窟の壁画(2011年3月31日撮影)。(c)AFP/Tony KARUMBA 【4月26日 AFP】ソマリア北部の乾ききった大地には、有名なラース・ゲール(Laas Geel)の洞窟(どうくつ)がある。中に入ると、太古の動物や人間が所狭しとせめぎ合うカラフルな壁画に迎えられる。約5000年前に描かれた、アフリカで最も古いとされる壁画だ。 ハルゲイサ(Hargeisa)近郊に位置し、10の洞窟から成るラース・ゲールは、ソマリ語で「ラクダが水を飲む穴」を意味する。かつては2の川の合流点に当たっていた。家畜を連れた牛飼いたちが天井や壁面に描いた絵は、赤、茶、白、オレンジの4色が使用され、当時の農村の生活を生き生きと今に伝える。 壁画は2002年、フランスの考古学チームにより発見された。この洞窟は以前は村人たちから「悪魔が住んでいる」と恐れられ、誰

    内戦・略奪・劣化の危機にさらされる太古の洞窟壁画、ソマリア
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