1976年撮影 磯崎 新(いそざき あらた、1931年(昭和6年)7月23日 - 2022年(令和4年)12月28日)は、日本の建築家、一級建築士、アトリエ建築家。日本芸術院会員。 大分県大分市出身。父は実業家で俳人の磯崎操次。妻は彫刻家の宮脇愛子。茨城・つくばセンタービルや米国・ロサンゼルス現代美術館などで知られ、ポストモダン建築をリードして国際的に活躍した。 1931年 - 磯崎藻二の長男として生まれる。父の藻二は中学卒業後中国に渡り、東亜同文書院を卒業、帰国して家業の米穀商と廻船業を継ぎ、1924年に大分合同トラックを創業、戦後社長を務めた[1][2]。 1945年 - 母親が交通事故で死去[2]。 1950年 - 大分県立大分第一高等学校(現・大分県立大分上野丘高等学校)を卒業。同級生に赤瀬川隼がいた。 1951年 - 父親死去。 1954年 - 東京大学工学部建築学科を卒業。 1