人肉以外ならなんでもいいよ
![絶対に食べられないけど食べてみたいものある?](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
『魔女の宅急便』は今から30年近く昔のアニメだが、古さを感じない。 劇中にはモノクロテレビがあり、ラジオ機があり、世界は古いはずなのに、古さを感じない。"過去"の世界だとわかるためだね。 昨今の話題作『君の名は』については、10年後の鑑賞に耐えるものではないだろうな。 劇中には大画面ディスプレイがあり、スマートフォンがあり、世界は最新なのに、危惧を感じる。それら"現代"のアイテムは陳腐化が激しいと理解できるためだね(でも、もしかすると30年後はOKだったりして)。 『君の名は』と同じ監督の『サマーウォーズ』にもスマートフォンが登場したが、機種が iPhone 3GS だったため、今観ると古いネタアニメに感じられる。 追記"同じ監督の"で釣るために書いたのに、つっこみが少ないぞお前ら!
いいかげん納得のいく理由を教えてくれ。 今年ももうすぐセンター試験だ。何の罪もない高校生たちが、「古文・漢文」という暗記ゲームを強制され、不当にも人生を左右されている。 おれは実学至上主義者ではない。学問が、社会に対して有益である必要はこれっぽっちもない。そもそも「古文・漢文」という"学問"が、根本的に無意味だと立証するだけの道具はない。大学で専門的に研究している人たちにとって、古文・漢文はどこまでも「面白くて」「魅力がある」のも理解できる。「役に立つ立たない」じゃなくて「好き」で学べるのは素敵なことだと思うし、好きな人のためにそういった場を用意するのは社会の義務だと思う。多少なりとも共感能力と良心があるんだったら、文学部不要論とか言ってないで税金投入しろよ、って思う。 ようするに言いたいのは、ここでの古文・漢文不要論と、大学での文学部不要論は全くことなる議論だってこと。 専門的な学問を「
先日ホッテントリに上がっていた単著持ち増田のエントリを読んで、そういえば自分も増田が原因で本を書いたんだったと思い出した。 数年前、初めて増田に文章を投稿したら2000ブクマ付いた。「文才がある」「物書きとして食っていける」とか言われたので、24万字の文章を書いてKindleで出版した。ぜんぜん売れなかった。人の言うことを安易に信じてはいけないと思った。 そのあとまたホームレスになったので(2年ぶり3回目)しばらく福島で除染作業員として働いた。除染と言うと何か特別なことをしているように聞こえるけど、実はただの土木工事である。肉体労働は久しぶりだったけど、小難しいことを考えず黙々と目の前の作業に打ち込んでいると、頭の中の不純物が取り除かれていく感じがした。 そうだ、僕は物書きになりたいなんて思っていたわけじゃない。そんなものは誰かから押し付けられた「物語」でしかない。いままでも「元ホームレス
・追記 コンビニ向け雑誌の需要低下、または単なる企業戦略なら、千葉市長が同席しての会見には大いに疑問がある。今回の件はそもそも千葉市長の要請からはじまっている。ミニストップの市場規模の小ささを語る人もいたが、なおさら「市長との合同会見」を気にかけてもおかしくないのでは。 エロ本を何がなんでも置けという主張はしていない。子供への有害性、主に女性の不快感などの問題もわかる。店舗単位での判断がその解決策に近いと思うが、行政絡みの強行手段のような形は強く疑問なため、そのことを本文に書いた。 「エロ本」という呼び方は、今後何が恣意的にエロ本扱いされるかわからないという意味を込めて。「どう見てもエロ本だろう」と言われても、これまでは条例などの「公的な基準」で違ったのだが(それが絶対に正しいかは置くとして)、その公的基準を無視して、恣意的な判断が通ってしまった。問題はその点。内容が問題ならそれを改善する
月曜の出勤が嫌すぎて朝4時に起きてしまったから頭バカになっちゃって「よっしゃ!酒飲むか!」とか言って近所のセブンにつまみと酒を買いに行った。中本の辛いカップラーメンと強めトリスハイボール(9%)買ってきて家で30分くらい楽しんでまた寝て出勤するぞ〜って思ってぐびぐび飲んでなんかちょっとペース早すぎたかな〜ちょっと気持ち悪いな〜と思って寝たら7時くらいになって気持ち悪くなって吐いた。久しぶりに吐いた。そしたらうまく吐けなかったみたいで鼻に吐瀉物入ったみたいでカップラーメンの辛い成分が鼻にツンツンきてトイレでのたうち回った。溺れてる感覚。トイレで溺れる。つらい。まじでいい年して何してるんだろって思ったよね。つらい。会社は家の近所で9時半始業だからもうちょっと寝てやっぱり無理だったら今日は休もうって思ったんだけどやっぱりなんともならなかった。 もういい年してるのに本当に情けない。平日の朝に酒を飲
違法? 合法?→合法無断で引用していいの?→著作権法第32条に基づき、公表されてる著作物は無断で引用していいことになってます分析だから引用じゃない!→あっ、ひょっとしてかける数とかけられる数は違うって信じてる宗派の方ですか? 全文を機械分析するなんて引用の範囲を超えている!→著作権法第47条の7「情報解析のための複製等」に該当し合法です pixivは会員しか見れないけど?→不特定の誰か1人以上、あるいは50人くらいの人数より多くの特定多数に公開することを公表といいます会員制なのに公表してるってみなされるのおかしくない?→お金を払ってシュリンク破らないと読めない商業漫画も公表されたものですが何か 判例はあるの?→教師・生徒300人に配られた中学校の卒業文集は公表されてるので引用OKという判例→http://www.u-pat.com/h-1.html支部の規約で引用は禁止されてるよね?→規約
ずいぶん前から「森見登美彦原作の『夜は短し歩けよ乙女』がアニメ『四畳半神話大系』と同じスタッフでアニメ化される」という妄想をしてきたのだが、期待しすぎてなんでもこじつけるようになってしまったのか、今年に入ってから「これはフラグじゃないか」と思うようなことがたくさん起きている。 そして、つい最近になって、これはもう決まりでしょ、と勝手に確信を持った出来事があった。 とはいえただの妄想なのでここに記す。 まず前提として、2つの確定した事実がある。 1.湯浅政明監督は現在、小説を原作とした劇場アニメを制作している。2.イラストレーターの中村佑介氏が関わっている劇場用アニメーションの企画が存在する。 まず1について。 湯浅政明監督が劇場アニメを制作するというのは2015年3月に開催された東京アニメアワードフェスティバル2015授賞式で発表されていたが、この時はフジテレビと共同で、伊東伸高氏と組んで
もう今では、餅を販売することも、自宅で作ることも所持も許されない。違反した人には、懲役3年以内の刑に処される。 禁止された理由は簡単。過去に多くの人が餅で喉を詰まらせ、餅が人を殺してきたからだ。 俺自身もまさか餅が規制されるとは思ってなかったが、様々な運動や事件が(餅規制派にとっては)うまくハマってしまい、餅が規制されることになった。 きっかけは、ある自治体が住民に対して、野外での餅つきを禁止したことだった。 これは、表向きは集団食中毒を防ぐため、とのことだったが、明らかに餅による死亡事故の責任を負いたくない自治体の責任逃れだと批判が集まった。 この時の世論は、�「餅つきは日本の伝統。できないのは残念だ」という思いがほとんどであった。 このニュースが全国ニュースで流れ、はてぶで炎上し始め、餅つき禁止はおかしい、伝統を守れ、という意見が流れ、抗議集会が各地で開かれることになった。 趣旨として
何ヶ月か前、ある人にめちゃくちゃ怒られたことがあって、その時の映像が某国営放送で、この前の日曜日に放送された。 まあ、炎上するだろうなと1ヶ月前から憂鬱だったのだが、ネットを見ると予想以上に燃えまくっていた。特にコメントをするつもりはなかったが、知り合いからも、「かわんごさん(仮名)が正しいと僕は思っているから」というような、よくわからない励ましのメッセージがたくさん来るので、一言、ここで書いておこうと思う。 まず、あのシーンにおいて、どちらが正しいといったことはないと、僕は思っている。それぞれ違う考え方、違う感じ方を持つ別々の人間であるというだけの話だ。 事実としてあるのは、僕が「ある人」を不快にさせることを、「ある人」のテリトリーでやってしまったということだ。それについては全面的に僕の失敗であり落ち度だ。 そもそもあの場はなんだったのかというと、CGの世界でどういう技術が開発されようと
8月2日にTOHOのレイトでシン・ゴジラを観て発狂しそうになった。凄すぎて。そこからもう寝ても覚めてもゴジラのことしか考えられなくなり、気づいたらもうすぐリピートの回数が2ケタになろうとしている。もともと特撮映画大好き人間だったけど、それにしたってこの映画は別格だ。こんなに映画に熱狂することは、向こう十年はないと思う。 とにかく全編渡って大傑作だったんだけど、特に中盤の、夜の東京でゴジラが熱線を吐き全てを破壊するシーンでは本当に気が狂うかと思った。自分でも理解できない膨大な感情の波が押し寄せてきて内面をひたすら揉みくちゃにした挙句、最終的に途方もない歓喜だけが残った。もう完全に中毒になってしまって、ちょっとでも間が空けばシンゴジの熱線が見たくなって、気づけば劇場に向かってしまう。なんでこんなにこのシーンに惹かれるのか何度も観て何度も考えて、やっぱり自分の震災体験が影響しているんだと思った。
商業的でなければ成り立たないというのは仕方ないとした上で書く。 でも、やっぱりどうしても苦手なのだ。 開始直後のつかみってすごく大切だと思う。 何も知らない人間に、丁寧に、でも冗長になることなく、それでいて大胆に物語を伝える必要があるから。 多少はえげつないことをしてても(ビジュアル的にも描画的にも)許せる部分はある。 だからつかみは多少派手なことをしたっていい。 好きな作品は、そこからしっかりと丁寧に作品を紡いでくれるやつ。 矛盾がないように、それでいてジレンマが生まれるように、じっくりと考えながらゆっくりと感情移入していけるような構成が大好きだ。 その完成度が高いほど、で、最後はどうなる?残りの時間だけでどうやって物語を完結させるんだ!?っていう緊張感がたまらなくなる。 そんな時一番許せないのは、せっかく丁寧に紡いできた物語を外側からインフレを崩壊させて解決してしまう瞬間だよ! 別に作
社内の若者がAWSやAzureをやりたくて仕方が無いみたいなのだが、 30も過ぎた中堅の年齢で率直に思ったことは、「どこまでを考えているのだろうか」ということだ。 そんなことを直接言うのは生き急ぎ野郎の火に油なので、伝えたかったことを含めて増田に書き殴るとする。 以下その若者というか、5〜6年前の自分のような奴に伝えたいこと。 新技術であるべき理由の説明が必要だ パブリッククラウドを使う際にはざっと思い付く限りでこれだけ説明することがあると思うんだ。その過程で旧技術や現状の業務を詳しく知る必要がある。 セキュリティ対策は具体的にどうするんですか? オンプレから大きく実装が変わるNWは具体的にどうするんですか? 弊社でオンプレが前提要件な案件の比率を鑑みて、採用したらどのように利益に還元されるんですか? 既存業務でスケールアウトが前提の精度の設計が許される案件の比率は? 課金の試算の精度は保
森見登美彦氏のブログを読んでいる方なら御存知だろうが、彼は「よつばと!」の熱心な読者である。 たびたびブログでよつばと!に言及し、絶賛している。 2011年11月26日 ■[日々] 登美彦氏、更新にそなえる。 http://d.hatena.ne.jp/Tomio/20111126 2013年03月12日 ■[日々] 登美彦氏、『よつばと!』を読む http://d.hatena.ne.jp/Tomio/20130312 2014年10月06日 ■[日々] 森見登美彦氏、新刊を待つ。 http://d.hatena.ne.jp/Tomio/20141006 はじめは意外にも思えたが、しばらく考えてみると、登美彦氏がよつばと!愛読者であることになんとなく合点がいった。 彼の書く小説の世界観とよつばと!には通ずるものがあるのではないか?と感じるのだ。 もちろん、好きなのだから影響を受けた部分も
国立競技場の件がようやくマシな方向に動き出したようだけど、こういう公共建築物を巡る話でいつも 「お金をかけないで作って欲しい」「無駄は省いて欲しい」という話が出てくるのが気になっている。 俺は、公共建築こそ多少のコストがかかってもいいからきちんと考えられた素晴らしい物を作って欲しいと思う。 ちょっと前に地元の図書館が建て替えられた。 省エネでエコらしいが、なんのこだわりもないただの箱みたいな建物になった。 建て替えられる前の図書館には愛着が持てたけど、このプレハブみたいな新しい図書館には愛着を持てる自信がない。 一方、武蔵境に出来た武蔵野プレイスという図書館に行ってみたらこれが素晴らしかった。 老若男女が思い思いに使える自由な雰囲気の図書館だった。 多分あの建物は地域住民に多大な影響を与え、愛されながら成長していくだろう。 でも、この武蔵野プレイスは明らかにうちの地元の図書館よりコストがか
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