われわれは大往生を望むわけだが、その大きな理由のひとつは、死体の醜さへの畏れである。公衆便所で自殺体を見つけたら、しばらくは悪夢に悩まされるだろう。他人の死はたいして悲しくないのが本音であるが、死体への恐怖はガチである。だからわれわれは生者とあまり変わらない安らかな死を願う。白眼を剥いてこときれている自分はイメージしたくなく、まるで眠っているような表情で死にたいのだ。自然死であっても、独居老人だったら腐乱死体になることはあるだろう。最近増え続ける独身者はもちろん、核家族化で一人暮らしの老人もたくさんいる。死によって肉体が腐り、蝿が飛び回ってるのに、なかなか発見されないこともあるだろう。どうせ火葬場で焼かれて骨になることを考えると、近親者に死を看取ってもらい、すぐに死体を綺麗にして貰うことに特別な価値があるかわからないが、やはり醜い死体にはなりたくないのである。死体に綺麗も汚いもあるだろうか