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田舎でも地方都市でもいいけどよー。東京にはあるんだよ。というか「東京という美術業界のど真ん中」は文明開化したんだから当たり前の話なんだよ。やる気ある若者をパリに留学させて、お抱え外国人雇って、学校作って、西洋画の技術で富国強兵だってやったんだから田舎にあるわけがない。田舎に国立西洋美術館が出来ても美術作品があるだけで、西洋美術の参照先として機能しない。東京で文明開化やったから、参照先として俺たちの今の技術(美術は技術だよ)は昔の西洋画に立脚してるんだなーとなるわけ。 だからもちろん日本美術は田舎にもある。神社仏閣の彫刻でも和菓子屋の和菓子についてる日本画っぽいカードでもいいし、企業のロゴにも反映されてるかもしれない。個人宅の仏壇、床の間掛け軸、欄間彫刻、いくらでもある。あるから本当は田舎にも美術はあるけど、でもみんなもはやこれらを美術として認識しないでしょ。 俺たちは美術を切り替えたんだよ
【7月19日 AFP】フランスの美術館で先週、壁に新鮮なバナナをテープで張り付けたインスタレーション作品(数億円相当)が入館者に食べられた。展示関係者が18日、明らかにした。 この「コメディアン」と題された挑発的な作品は昨年、米ニューヨークで競売にかけられ、620万ドル(現在のレートで約9億2000万円)で落札された。過去にも何度か食べられたことがある。 制作者であるイタリアの現代美術作家、マウリツィオ・カテラン氏は、皮とテープまで食べなかったことに失望したと語った。 フランス東部の美術館ポンピドゥー・センター・メスは、12日に入館者がバナナをかじると、「警備員が迅速かつ冷静に介入した」と説明。作品は「数分以内に再設置された」と続けた。 「バナナは腐りやすいので、制作者の指示に従って定期的に交換している」という。 カテラン氏は、食べた人が「バナナと芸術作品を混同した」と指摘。「バナナを皮と
会員登録(無料)していただくと、記事から任意の箇所を抜粋したり、メモをつけて保存できるようになります。 ヨーロッパで芸術が花開いた15世紀ルネサンスというと、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロをはじめとするイタリアの美術を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。しかしルネサンス美術の流れは、ドイツ(当時は神聖ローマ帝国)にも訪れました。15世紀のドイツといえば、宗教改革やドイツ農民戦争など、社会が揺れ動いていた時期でもあります。 そのころ活躍した芸術家の代表に、アルブレヒト・デューラー(1471-1528)という画家がいます。世界史や美術の教科書で名前を知っている人も多いかもしれません。今回は、デューラーとルネサンスの影響について考えてみましょう。 デューラーはドイツのニュルンベルクで生まれました。金細工師の父から描写の基礎を学び、若いころから美術の才能が見込まれていました。149
ピッツバーグにあるウォーホルの子供時代の家 アンディ・ウォーホル[注釈 1](Andy Warhol、1928年8月6日 - 1987年2月22日)は、アメリカの画家・版画家・芸術家でポップアートの旗手。本名はアンドリュー・ウォーホラ(Andrew Warhola)。 銀髪のカツラをトレードマークとし、ロックバンドのプロデュースや映画制作なども手掛けたマルチ・アーティスト。 チェコスロバキア共和国ゼムプリーン県ストロプコウ郡ミコー村(現在のスロバキア共和国プレショウ県ミコヴァー村)から移民したルシン人の父・オンドレイ[注釈 2]と母・ユーリア[注釈 3]の三男として、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグで生まれる[注釈 4]。移民前の旧姓はヴァルホラ(スロバキア語:Varchola, ルシン語:Вархола)。2人の兄(ポール、ジョン)がいた。ルシン人の両親は敬虔なルテニア東方典礼
作品名:アダムの創造 製作年:1510年 サイズ:13x36m 技法 :フレスコ 天井画 所蔵 :システィーナ礼拝堂 システイーナ礼拝堂の天井画のほぼ中央に描かれた、「天地創造」の白眉というべき場面。おそらくこれほど知られていながら、これほど間近で見られない絵もないだろう。 何しろ頭上21mのところにあるのだから。 左側のアダムはまるで彫刻のような肉体をもち、顔と性器はあくまで小さい。右側の精霊たちを引き連れた神は貫禄十分、彫りの深い<顔だちと渦巻く髭は彫刻作品『モーセ』を思わせる。 このようなたくましい人体表現に比べ、背景はいかにも彫刻家らしくじつにあっさりしたもの。しかしこれは、ミケランジェロが天地創造を大元素(空気・火・水・土)の創造と見なし、土のちりから生まれたアダムの場面を「土」ととらえていたため、背景を単純な土の塊で表現したのだろう。 縦にいく筋も入っていたひびは修復によってふ
2020年02月15日19:31 カテゴリあの時 「あの時」特派員時代(ローマ❺)システィーナ礼拝堂の修復 (2月13日)ルネサンスの巨匠ミケランジェロが描いたバチカン・システィーナ礼拝堂のフレスコ画の修復は、近代以降の200年の間に行われた数々の修復の中で最も重要で困難を伴うものであった。数世紀にわたって豊かで繊細なミケランジェロの色彩は、厚く積もった埃や、蝋燭の煤、色彩を一時的に鮮やかに甦えさせるために過去の修復によってほどこされた膠や樹脂によって覆われ、全体的に暗くなっていた。 修復後の最後の晩餐(青木昭「修復士とミケランジェロとシスティーナの闇」より) 日本テレビのかかわり バチカンはイタリア国営放送RAIやアメリカ、ドイツ、日本に修復の話をもちかけ、もっとも有力なパートナーとして日本テレビに白羽の矢を立てた。洗浄のための薬品開発も進み、修復の技術的な面での見通しが立ったのは198
著者青山 昌文 放送大学教授 発行年 19ISBN978-4-595-14118-8サイズ A5ページ数300全体のねらい美学は、美とは何か、を考える学であり、芸術学は、芸術とは何か、を考える学である。美は、芸術に限らず、自然にも存在している。 本書は、自然美にも言及するが、考察の主体を芸術美におき、芸術が、文化の総体と深く豊かに関わっていることを、具体的芸術作品に即しながら、詳しく考察する。前半においては、全体に亘る体系的な考察を行い、後半においては、世界史上初の本格的美術批評家であったディドロの美学・芸術学の深く豊かな意義を明らかにしてゆきたい。章の構成1.美と芸術について 2.美の本質 3.芸術の本質 4.自然美と芸術美 5.美術 6.場共生芸術 −音楽・演劇− 7.場超越芸術 −文学− 8.場超越芸術 −映画− 9.建築 10.芸術の体系的分類 11.美術館の政治性とルーヴル美術館
システィーナ礼拝堂の外観 システィーナ礼拝堂(システィーナれいはいどう、伊: Cappella Sistina)は、ローマ教皇の公邸であるバチカン宮殿にある礼拝堂。スィスティーナ礼拝堂とも。サン・ピエトロ大聖堂北隣に位置するその建物とともに、ミケランジェロ、ボッティチェッリ、ペルジーノ、ピントゥリッキオら、盛期ルネサンスを代表する芸術家たちが内装に描いた数々の装飾絵画作品で世界的に有名な礼拝堂である。とくにローマ教皇ユリウス2世の注文でミケランジェロが1508年から1512年にかけて描いた天井画と、ローマ教皇クレメンス7世が注文し、ローマ教皇パウルス3世が完成を命じた、1535年から1541年にかけて描いた『最後の審判』はミケランジェロの絵画作品の頂点とされている。 もともとバチカン宮殿に存在していた古い礼拝堂を1477年から1480年にかけてローマ教皇シクストゥス4世が建て直させた建物で
フィレンツェの中心、シニョリーア広場の一角を占めるヴェッキオ宮殿。 その中にある「5百人広間」の壁面に、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた未完の「アンギアーリの戦い」は飾られるはずだった。 大きな地図で見る ヴェッキオ宮殿の500人広間 1505年6月6日金曜日、ちょうど13時(午前9時30分頃)を打った時、私は宮殿で絵の具を塗り始めた。絵筆を置いたその時、天候が悪化し、裁判所の鐘が鳴り始めた。下絵はたわんでしまった。水差しが壊れ、中に入っていた水が飛び散った。突如としてさらに天候が荒れ出し、日暮れまで激しい雨が降り続いた。あたりは夜のように暗かった。 レオナルド自身によるこの覚書が、この巨大な壁画を未完成にさせた出来事を記録したものかは定かでない。別の記録によれば、壁面によく固着しない材料(騙されて粗悪な亜麻仁油を使った)を用いて描いたため、結局この作品を未完成のまま残すことになったとされ
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "アンギアーリの戦い" 絵画 – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2012年12月) ルーベンスの『アンギアーリの戦い』の模写[1] タヴォラ・ドーリア(フランス語版、イタリア語版、ドイツ語版) 『アンギアーリの戦い』(アンギアーリのたたかい、伊:Battaglia di Anghiari)は、イタリア・フィレンツェのフィレンツェ政庁舎(ヴェッキオ宮殿)大会議室(五百人大広間)に、レオナルド・ダ・ヴィンチによって描かれた壁画。今も現存しているのではないか、と多くの研究者から推定されている。 その中心部分はフランス・パリのルーヴ
Salone dei Cinquecento ヴェッキオ宮殿の広い階段を2階に上がると「五百人広間」と呼ばれる圧巻の大広間があります。総勢500人で構成される大評議会を開催するために、サヴォナローラの時代、1495年に、シモーネ・デル・ポッライオーロ(通称、クロナカ)によって建設されました。 その後、コジモ1世の時代、1563年から65年にかけて、天井や周囲の壁面もすべてヴァザーリらの手によって豪華に装飾されました。両壁面に描かれているのは、左側は共和制時代に14年間も続いた「対ピサ戦」、右側はコジモ1世が指揮を執ってわずか14ヶ月で勝利をおさめた「対シエナ戦」です。 天井画の中央には、神格化された《コジモ1世礼賛》が描かれています。 Apoteosi di Cosimo I, Giorgio Vasari, 1365-1565, Olio su tavola, Palazzo Vecch
『サン・ピエトロのピエタ』(1498年 – 1500年)はローマのサン・ピエトロ大聖堂収蔵の大理石彫刻の一つであり、「ピエタ」を題材とする作品の中でも第一に挙げられるものである。古典的な調和、美、抑制というルネサンスの理想の最終到達点ともいうべき完成度を誇り、ミケランジェロの数多い作品の中でもとりわけ洗練され精緻を極めたものとなっている。 ミケランジェロは故郷フィレンツェの政情不安や芸術の中心地ローマへの関心からフィレンツェを離れて1496年以来ローマに滞在し、この地でリアリオ枢機卿のために『バッカス』の彫像などを制作していた。ある時、ミケランジェロのもとへ、同地に大使として派遣されていた元サン・ドニ修道院長のフランス人枢機卿ジャン・ド・ビレール・ド・ラグロラからピエタの制作依頼が入った。枢機卿は自分の葬儀の記念のためのピエタ像を求めていたのである。1498年8月27日、枢機卿とミケランジ
ロンダニーニのピエタ像(ミケランジェロ、亡くなる直前の未完の作品)をイタリアでみたとき、「ひっ、生きている」とおののいた。 この感覚になるアートってほんとうに少ない。 何の気なしに宿の近くに城があるから、ふらりと入ったミラノのスフォルツァ城(現在改装され美術館になっている)でびっくりした覚えがある。 ミケランジェロの存在がすぐそこに感じられるのである。 嫌なエネルギー感ではないが、ものすごく「そこに在る」のだ。 ミケランジェロがいるというよりかは、イエスとマリアがそこにいる。 フィレンツェに長く滞在していたので、大理石の像はたくさん見ていたが、一度も「その感覚」を得ることは無かった。ロンダニーニのピエタ像はちょっとわけが違った。 この美術館での解説によると、ミケランジェロはいくつかピエタ像を作っているが、ロンダニーニのピエタ像は生涯の最後に、「自分のためだけに」彫った作品だったという。 パ
…展覧会の感想ではないのですが、面白そうだなと思って最近読んだ本の概要と感想です。 …青山昌文氏は放送大学の教授で、『芸術は世界の力である』は放送大学の講義に使われる印刷教材の一部を全面的に改稿し、取り上げる作品の多くも新たなものに差し替えて執筆したものだそうです。放送大学の印刷教材は図版がないのですが、こちらは一般の読者も想定した書籍で、本文中に取り上げられる作品が口絵にカラーで掲載されています。目次は下記の通りです。 第1章 《ヴィーナスの誕生》に魅せられて 第2章 システィーナ天井画のスーパーパワー 第3章 《アテネの学堂》と《パルナッソス》の深い意味 第4章 《ポンパドゥール夫人肖像画》のあでやかさ 第5章 《食前の祈り》の深い静けさ 第6章 《サン・マルコ広場:南を望む》の素晴らしさ 第7章 《リュート弾き》の幻惑的な迫真性 第8章 《ミロのヴィーナス》のセクシュアルなたたずまい
『聖ペテロへの天国の鍵の授与』(せいペテロへのてんごくのかぎのじゅよ、伊:Consegna delle chiavi)は、イタリア・ルネサンス期の画家、ピエトロ・ペルジーノが1481年から1482年に制作した絵画である。ローマ、ヴァチカン宮殿内のシスティーナ礼拝堂にあるフレスコ画の一つである。 作品の依頼は、ペルジーノがローマの旧サンピエトロ大聖堂の礼拝堂を装飾していた1480年であった。教皇シクストゥス4世はペルジーノの仕事に満足し、ヴァチカン宮殿に建てた新しい礼拝堂の装飾もペルジーノに依頼することにした。依頼された作品の大きさのために、ペルジーノだけでなく、後にボッティチェッリ、ギルランダイオなどを含むフィレンツェからの画家の集団が制作に加わることになった[要出典]。 作品がまだ制作されている間の、ナポリのアルフォンソ2世によるヴァチカン訪問の結果、前景の人物群の左端にがアルフォンソ2
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