秋田 明大(あきた あけひろ / めいだい[1]、 1947年1月2日 - )は、日本の学生運動家。日大闘争(日大紛争)時の日大全共闘議長。元・全国全共闘連合副議長。広島県安芸郡音戸町藤脇(合併により呉市に編入、倉橋島)出身。 経歴[編集] 戦後生まれであり、団塊の世代として育つ。1965年(昭和40年)、崇徳高等学校卒業後、日本大学経済学部に入学。1966年(昭和41年)、大学2年の時にサークル社会科学研究会(社研)に所属、最初は水泳サークルであり、マルクスもレーニンもかじっただけだったという[2]。日本大学4年生の時の1968年(昭和43年)5月27日、20億円を越える大学側の経理不正問題の表面化をきっかけに教職員組合、父兄会をも巻き込み、全国一の動員を誇った日大闘争を指揮する全学共闘会議議長となり、のちに日大理事長となる相撲部の田中英壽とも対峙。やがて全共闘は日大を超えて全国に広まる