ブックマーク / number.bunshun.jp (27)

  • 〈村田兆治さんを悼む〉三冠王・落合博満らが援護し続け… まるで野球漫画な「1985年のサンデー兆治」復活劇を称えたい(広尾晃)

    「選手生命も終わりかもしれない」 豪腕・村田兆治が投げられなくなったのは、1982年5月17日のことだ。川崎球場での近鉄戦に先発した村田は1回で降板。その前から肘に痛みを発してローテを飛ばし、10日ぶりの登板だったが、1回1死一塁で近鉄の3番ハリスに初球を投げ込んだ時に肘に激痛が走った。 「痛くてフォロースルーができず、あとは(肘を使わずに)肩だけで投げたが、これ以上無理」と絞り出すように言った。 「1の糸が切れた感じ。選手生命も終わりかもしれない」 村田の言葉に報道陣も青ざめた。 以後、村田兆治はマウンドから姿を消した。 原因は不明とされたが、村田は“うつ状態”になり、誰とも合わなくなり、熊野で滝に打たれたりもしたそうだ。翌年になっても肘の痛みは引かず、村田は悶々としていたが、アイク生原氏(ドジャース職員)の紹介で渡米し、フランク・ジョーブ博士の執刀で左手首の腱を右ひじに移植するトミー

    〈村田兆治さんを悼む〉三冠王・落合博満らが援護し続け… まるで野球漫画な「1985年のサンデー兆治」復活劇を称えたい(広尾晃)
    cj3029412
    cj3029412 2022/11/15
    当時、これを並走して跡づけた柱となる多くが、山際淳司の仕事です。山際さんは村田兆治カムバック前年のラスト登板から、記録しています。山際さんは村田のことがほんとに好きだったみたいです。
  • 「真剣師のプロ希望に賛否両論」田丸昇九段が見た“新宿の殺し屋”伝説…羽生善治9歳が記録係、A級棋士との“事件”が起きた対局とは(田丸昇)

    型破りの人生を送った「真剣師」の小池重明。小島渉さんが小池を取り上げた記事(8月14日配信)は、田丸昇九段にとってもとても興味深い内容だったという。実は、田丸九段も生前の小池と関連があったからだ。9歳の羽生善治が小池の対局で記録係を担当、小池がA級棋士の森けい二八段に平手で勝利、プロ入りを希望する小池に棋士たちが反対したの件などについて、自身の体験や詳しい資料を基にして掘り下げてもらった。【文中敬称略。棋士の肩書は当時】 小池重明は1947年(昭和22)12月24日、愛知県名古屋市中村区牧野町で生まれた。出自や境遇、将棋に熱中した少年時代のことは、小島さんの記事と重なるので省略する。 小池は1968年に全日アマ名人戦の愛知県大会に参加して県代表(2人)になり、東京での東地区大会に20歳で初出場した。予選リーグを経て決勝トーナメントに進出し、1回戦で関則可と対戦して敗れた。 関は奨励会(棋

    「真剣師のプロ希望に賛否両論」田丸昇九段が見た“新宿の殺し屋”伝説…羽生善治9歳が記録係、A級棋士との“事件”が起きた対局とは(田丸昇)
    cj3029412
    cj3029412 2022/08/30
    升田幸三大先生との話はよはよー💕
  • 星野仙一「あいつは、ええ指導者に」 野村克也も認めた「野球頭脳」…中谷仁監督42歳に“新世代の名将”感〈智弁和歌山〉(間淳)

    中谷監督はプロで成功したとは言えなかった。 通算111試合で、打率.162、4塁打。2011年も出場は11試合にとどまった。ひと昔前の捕手は、守備力があれば出場機会があった。しかし、「打てる捕手」が主流となり、星野監督も捕手に打力を求めた。指揮官が「昭和の時代だったら、もっとマスクをかぶっていた」と捕手・中谷を評価した理由は、人間力と洞察力だった。 「あいつは上辺だけの言葉じゃなくて、『打たれたら捕手の責任』という覚悟がある。それから、年下の投手への声のかけ方とタイミング。投手陣の頭や心の中を日ごろから考えているから、優しく伝えて投手を気分よくする時と、厳しく伝えて喝を入れる時の判断が絶妙。それができるから、投手と信頼関係が築ける」 自分のことへの優先順位は高くない。覚悟を持って投手やチームに尽くした姿に、星野監督は指導者の資質を感じていた。険しい顔も笑顔も、どちらも「ええ顔」と話した。

    星野仙一「あいつは、ええ指導者に」 野村克也も認めた「野球頭脳」…中谷仁監督42歳に“新世代の名将”感〈智弁和歌山〉(間淳)
    cj3029412
    cj3029412 2021/09/01
    中込伸のうんこ野郎め(# ゚Д゚) 中谷がんばれー🐈💕💕💕
  • 《全国制覇》智弁和歌山「マウンドに集まるの、やめないか?」中谷監督が甲子園の前に選手へ伝えていたこと(米虫紀子)

    “智弁対決”の決勝戦を制し、21年ぶり3度目となる夏の甲子園の頂点に立った智弁和歌山高校。和歌山大会の勝ち上がりと甲子園での戦い方を描いた記事を再公開します。好投手・小園健太(市和歌山・3年)を攻略して夢の舞台にたどり着いたチームに中谷仁監督が伝えていたのは「相手を尊敬する気持ち」でした。(初公開:2021年8月8日配信) 甲子園切符をかけた今夏の和歌山頂上決戦は、プロもうなるハイレベルな駆け引きの連続だった。 5回を終えた時点で0-0。その陰には、市和歌山の小園健太-松川虎生というプロ注目のバッテリーと、智弁和歌山打線の息詰まる攻防があった。 視察していたNPBのあるスカウトはこう語った。 「小園君、松川君のバッテリーは、1球たりとも失投は許されないと考えて、当に丁寧に投げている。智弁和歌山打線は、初球からどんどん仕掛けに行っている。小園君のようなピッチャーに対して最初から仕掛けるんで

    《全国制覇》智弁和歌山「マウンドに集まるの、やめないか?」中谷監督が甲子園の前に選手へ伝えていたこと(米虫紀子)
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    cj3029412 2021/08/30
    いやあ、だって智辯グループ(兄弟校)だろ……美談も何もあるかいwwwwwww
  • 「納得してもらえることは、まずない。ただ…」巨人・中田翔が問われる“姿勢”…松井秀喜が“野球賭博から復帰”の選手に送った言葉とは?(鷲田康)

    一応、劇的な一発ではあった。 日ハムから無償トレードで巨人に移籍した中田翔内野手が、移籍発表から2日後の8月22日、東京ドームで行われたDeNA戦で、いきなり特大の塁打を放った。 チームメイトへの暴力行為で無期限出場停止処分を受けた日ハムから電撃的に巨人への移籍が発表されたのが20日のことだった。翌21日に一軍選手登録されて、この日は「5番・一塁」で先発メンバーに名を連ねた。 「第1打席はちょっと軽く足が震えるぐらい緊張していたんですけど、2打席目からはしっかり自分のスイングを心がけていけたかなと思います」 「当にありがたいなという気持ちで一周していました」 人が振り返った3点を追う7回の第3打席。1死二塁から左腕・今永昇太投手の初球、インコースへの144kmのストレートを迷うことなく振り抜いた打球は、中田らしい大きな弾道で左翼席上段に弾んだ。 もちろんベースを一周する中田に笑顔

    「納得してもらえることは、まずない。ただ…」巨人・中田翔が問われる“姿勢”…松井秀喜が“野球賭博から復帰”の選手に送った言葉とは?(鷲田康)
    cj3029412
    cj3029412 2021/08/24
    相変わらずの甘過ぎ鷲田康。(1)本来はコミッショナー裁定。長嶋茂雄はコミッショナーなのか。(2)永久追放処分に問われるべき行為。(3)日ハムと巨人の間で、いつ、誰と誰が、どんな合意を行ったか調べないと。
  • 予選敗退の瀬戸大也はどこで“間違った”のか 追い抜かれたとき「自分は追いかけなくていいやと思っていました」(松原孝臣)

    茫然とした表情と言葉がすべてを物語っていた。 「ちょっと信じられません」 7月24日、競泳男子400m個人メドレー予選に出場した瀬戸大也は4分10秒52でゴールし、全体で9位。決勝に進める8人に入ることができず、この種目は予選敗退に終わった。 バタフライを55秒07のトップでターンし、続く背泳ぎでも1位で折り返す。3つ目は得意の平泳ぎ。ここでリードを広げて最後の自由形へ。 だが自由形では最後の50mで4人に抜かれ、この組の5位。全体でも9位にとどまった。4分10秒52と自己記録から4秒あまり遅いタイムに終わった。立ち上がりからの一連の泳ぎは調子のよさを思わせたし、最後の失速は思いがけない出来事のようだった。 「読み、めちゃくちゃ間違えました」 瀬戸がこう語る理由は、決勝を見据えた戦略にあった。 目標タイムは「4分11秒0くらいでした」 「何番でもよいので、明日(25日の決勝で)、ベストパフ

    予選敗退の瀬戸大也はどこで“間違った”のか 追い抜かれたとき「自分は追いかけなくていいやと思っていました」(松原孝臣)
    cj3029412
    cj3029412 2021/07/26
    面白かった(淡々とした筆致で)。こういう戦略(とミス)もあるんだ……。五輪を競技会の1つと見れば選手としての才能が否定されたわけではないので、これくらいでいいのかなと思います。
  • 「東京五輪“中止”論争、アスリートにどう影響?」「無観客五輪で一番失われるものは?」“3度出場”為末大に聞く(雨宮圭吾)

    「開催されるかどうかではなく、どう開催するかだ」 規模を縮小し、感染対策を徹底すれば、“新しい形”の五輪はできるかもしれない。しかし、観客もなく、地域との交流もなく、祝祭感もなかったとして、それは果たしてオリンピックと言えるのだろうか。 組織委員会トップ・森喜朗会長の偏見にまみれた舌禍事件によって、この期に及んでまたもや隅っこに追いやられてしまった感はあるが、主役となるべきが選手たちであることは変わりない。選手にとってオリンピックとは何なのか。何が選手たちにとってオリンピックをオリンピックたらしめるのか。 それを考えるため、2000年のシドニーオリンピックから3大会連続で出場し、“走る哲学者”と呼ばれた為末大に話を聞いた。(全2回の1回目/#2へ)

    「東京五輪“中止”論争、アスリートにどう影響?」「無観客五輪で一番失われるものは?」“3度出場”為末大に聞く(雨宮圭吾)
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    cj3029412 2021/02/08
    Numberは将棋雑誌
  • 東京五輪への厳しい世論は変わるのか? 為末大と考えた「五輪を目指すなとまで言われたら…ちょっと怖いですよね」(雨宮圭吾)

    ――これだけ厳しい見方がどうしたら追い風に変わるんでしょうか。社会の状況次第とはいえ、スポーツ界やオリンピック委員会側から社会への働きかけも必要ではないかと感じます。例えば、新国立競技場をワクチン接種の会場として活用するというような。 為末 人それぞれオリンピック開催のリスクの捉え方は全然違うと思います。こういうのは両論になりにくく、どちらかに振れやすい。特にオリンピックは浮動票が多い印象があります。彼らはオリンピックがきて嬉しいと言っていた人であり、コロナだからオリンピックをやってる場合じゃないと言う人でもある。 感覚的には4、5割がシーソーのような感じで揺れていて、たとえば五輪大国のアメリカが「開催するぞ」となったら、途端に楽観論が出てきて空気が変わるような気もします。 ――今は選手側にも東京オリンピックについて語るのが憚られるような雰囲気があるだろうと思います。 為末 そうですね。そ

    東京五輪への厳しい世論は変わるのか? 為末大と考えた「五輪を目指すなとまで言われたら…ちょっと怖いですよね」(雨宮圭吾)
    cj3029412
    cj3029412 2021/02/08
    玉木正之がかつて指摘していましたが、スポーツを「プレイする」ヒトと「見る」ヒトの分化分断が近代五輪で不可逆に推し進められた帰結です。自覚的なウィッケンハイザーはヒマラヤで子供たちにホッケーを教えてます
  • タクシー運転手の手首を日本刀で斬り落とし、爆破テロで大臣襲撃…「最高最大の豪傑ボクサー」野口進とは何者か(細田昌志)

    井上尚弥、井岡一翔、村田諒太ら7人もの世界王者を輩出するなど、黄金期の只中にあると言っていい現在の日のプロボクシング。 しかし、「拳闘」と呼ばれた黎明期について書かれた書籍は思いのほか少ない。もちろん、ボクシングだけに関して言えば一連のモハメド・アリの書籍をはじめ、マイク・タイソンの半生を赤裸々に綴った『真相─マイク・タイソン自伝』などのノンフィクション、『一瞬の夏』(沢木耕太郎)、『殴り殴られ』(安部譲二)、『遠いリング』(後藤正治)など一流の書き手による名作もあるにはあるが、野球やサッカーと比較して、ルーツを詳細に記した書籍は、市民権を得たプロスポーツにしては少ないかもしれない。 「最高最大の豪傑ボクサー」とは何者か 筆者は『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)を著述するにあたって、主人公野口修の父、野口進の人生もつぶさに追った。 「最高最大の豪傑ボク

    タクシー運転手の手首を日本刀で斬り落とし、爆破テロで大臣襲撃…「最高最大の豪傑ボクサー」野口進とは何者か(細田昌志)
    cj3029412
    cj3029412 2021/01/24
    いや、青木勝利でしょう。
  • ロッテ前身球団の“消えた野球場”…南千住にあった「東京スタジアム(味スタじゃない方)」今は何がある?(鼠入昌史)

    今回は、ロッテのお話である。 と、いきなり話が脇にそれるが、筆者は阪神ファンだからロッテ打線はとてつもなく強力だと思っている。言わずもがな2005年の日シリーズ、33-4とかいうアレで、阪神はロッテに4連敗してしまった。そのインパクトが強すぎて、15年経った今でもロッテ打線など抑えられるはずがないと恐怖におののいている。そういうわけで、ロッテの話をするのはなかなかツラいものがある。せめてもの救いは、今回のテーマがロッテはロッテでもその前身「東京オリオンズ」と呼ばれていた時代の物語であること。安心して話を先にすすめることにしよう。 (味スタじゃない方の)東京スタジアムとは? 今の千葉ロッテマリーンズが東京オリオンズと名乗っていたのは1964年から1968年の5年間。ホーム球場は東京スタジアムだった。東京スタジアムというと、京王線の飛田給駅の近くにあるアレか、と思う人もいるかも知れない(「味

    ロッテ前身球団の“消えた野球場”…南千住にあった「東京スタジアム(味スタじゃない方)」今は何がある?(鼠入昌史)
    cj3029412
    cj3029412 2021/01/24
    引退後の榎本喜八が、住まいの中野区から、1日おきに走っていた目的地がここです。Wikipedia「1977年に東京スタジアムが取り壊されることになった時には、榎本は毎日工事現場にやってきて、その一部始終を見守っていた」
  • 張本勲26歳、大リーガーをメッタ打ち! 打率.568の三冠王 “伝説の1966年ブラジル遠征”【現地紙で発掘】(沢田啓明)

    野球 プロ野球 張勲26歳、大リーガーをメッタ打ち! 打率.568の三冠王 “伝説の1966年ブラジル遠征”【現地紙で発掘】

    張本勲26歳、大リーガーをメッタ打ち! 打率.568の三冠王 “伝説の1966年ブラジル遠征”【現地紙で発掘】(沢田啓明)
    cj3029412
    cj3029412 2021/01/17
    すばらしい。戦後から1960年頃までの新聞の縮刷版をめくっていると、今では顧みられない海外遠征や海外チーム来日の囲み記事や広告が見つかることがある。三原脩、水原茂の先見は大きいと思う。
  • 「どこの鈴木やねん」から始まって…こうして20歳の鈴木一朗は“イチロー”になった《誕生秘話》(石田雄太)

    1月11日は「成人の日」。今年は、新型コロナウイルスが猛威をふるい、各地で成人式の中止や延期が相次いでいる。成人と言えば、過去に『Sports Graphic Number』では、あらゆるアスリートの“二十歳のころ”を特集している。そこで、今回はその特集号から特別に記事を掲載する。 「イチロー」は今、二十歳である――。あの年、恩師との出会いがもたらした登録名変更の舞台裏を、関係者の証言で紐解く。〈全2回の2回目/#1から続く〉 【初出:Sports Graphic Number 870号(2015年1月22日発売)「二十歳のイチロー誕生秘話」/肩書などはすべて当時】 バッティング練習を見て「10年は安泰やで」 白いエナメルのに、金のサングラス。 分厚いドルの札束をレジの前でドサッと落として、20歳の鈴木を仰天させた、オリックスの新監督。土井正三に代わって就任したばかりの仰木彬が突然、ハワ

    「どこの鈴木やねん」から始まって…こうして20歳の鈴木一朗は“イチロー”になった《誕生秘話》(石田雄太)
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    cj3029412 2021/01/12
    何度でもいいますけれど、93年秋-94年春先の日刊ゲンダイがいち早くイチローに着目して、一切の批判をしなかった。あのゲンダイが全面的に褒めて期待を寄せた。それは強烈な印象でした。イチロー以外に見たことがない
  • 【箱根駅伝】青学大・原監督が大会直前に泣いた日 “走れなかった主将”神林の本音「なんで自分なんだ…」(生島淳)

    2020年12月16日。 箱根駅伝に向けての最終合宿を終え、青山学院大の主将、神林勇太の右脚は悲鳴を上げていた。 内転筋、大腿四頭筋、臀部に痛みがあった。それでも、鍼治療などを施した結果、ほぼ完治した。ところが、一か所だけ、どうしても痛みが取れない箇所があった。 仙骨である。 神林はいう。 「ポイント練習を抜いて、ジョグで1週間ほどつないだ時期があったんですが、それでも痛みが引かなくて。『これ、折れてるんだろうな』と思ってました」 改善しないまま、区間エントリーの前日である12月28日にMRI検査を受けることになる。 仙骨が折れていた。 「もう、走ることはないんですか?」 神林は、今回の箱根駅伝を陸上人生最後のレースと決めていた。 「箱根駅伝は、自分の人生を変えてくれた大会でした。これを区切りにして、陸上にはピリオドを打ちたいと思います」 就職先はサッポロビール。最終面接では、 「もう、走

    【箱根駅伝】青学大・原監督が大会直前に泣いた日 “走れなかった主将”神林の本音「なんで自分なんだ…」(生島淳)
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    cj3029412 2021/01/03
    Numberは経団連か。恥を知れ
  • 藤井聡太を「ワクワクしながら見ています」 55歳上の中原誠が語った年齢と棋力の相関関係(片山良三)

    「棋界の太陽」は笑みをたたえながら、羽生善治藤井聡太という将棋史に残る2人の天才について語ってくれた。 「羽生善治」の名が一躍日中に知れ渡ったのは、名人経験者を4連破して初優勝を飾った'88年のNHK杯だった。その決勝で相まみえたのが中原誠十六世名人である。当時、羽生は現在の藤井聡太二冠と同じ18歳だった。 「あの決勝戦は当にまずい将棋でした。途中でダメにしてしまって、勝負所がありませんでした。収録から放映まで少し時間があったので、その間になにか大事件でも起きて放送中止になればいいのにと気で思ったほどです(笑)」 発売中のNumber1010号「藤井聡太将棋の天才」収録の「中原誠が語る18歳の羽生と藤井」で、中原は18歳に敗れた将棋をこう振り返っている。 「年上が耐えられないのも仕方がないのかなと」 藤井に更新されるまで最年少記録だった屋敷伸之九段の最年少タイトル挑戦(17歳10

    藤井聡太を「ワクワクしながら見ています」 55歳上の中原誠が語った年齢と棋力の相関関係(片山良三)
    cj3029412
    cj3029412 2020/09/09
    見方を変えると、88年のNHK杯は、解説で大山康晴が羽生の側に立って、中原をコテンパンにしたことが判る。大山先生ってほんとにすごい。あと林葉直子の件に触れないNumberは何ぞね。
  • イチロー引退会見で読み取れた、番記者たちの“地獄”と信頼関係。(プチ鹿島)

    記事を書いたデイリーの小林記者はイチローがメジャー1年目の2001年に初めて野球を担当したという。そんなルーキーに当時27歳のイチローは容赦なかったと振り返る。 《「次どうぞ」、「それ、答えなきゃいけないかな」。記者の質問をことごとくはねつける。無言でスルーされる。そこまで厳しくされる理由が分からなかった。》(デイリー・3月22日) それから3年後に初めて単独インタビュー。イチローが求めていたのは「プロフェッショナル」だったことを知る小林記者。 後年、「(あの頃は)地獄でした」とイチローに語ったという。引退を伝える記事の最後は「イチローには感謝の言葉しかない」。 「僕に鍛えられたんだから……」 同じ紙面には「'94年~'97年までオリックス担当」の記者が、 《記者泣かせの選手だった。》 《想定通りにやりとりが進んだことなんてなかった。》 《「学級新聞じゃないんだから」。時に叱られ、呆れられ

    イチロー引退会見で読み取れた、番記者たちの“地獄”と信頼関係。(プチ鹿島)
    cj3029412
    cj3029412 2019/03/26
    ノムさんがイチローを嫌いなわけだ。
  • eスポーツは「有望な新市場」ですか?お金の話ばかりが話題になる違和感。 - eスポーツ - Number Web - ナンバー

    eスポーツという言葉を、一般のニュースでもよく見かけるようになった。 だいたい、こんなキーワードと一緒に登場していることが多い。 賞金28億円、トップ選手の年俸は1億円超え、世界の競技人口は1億人、大企業や有名アスリートがスポンサーとして参入……などなど。 これらは要するに「お金」の話である。もう少し正確に言えば、「市場規模」についての情報を示す言葉たちだ。 ゲームの楽しさや選手の個性という話を飛ばしてお金の話ばかりが広がっていく現状は、eスポーツを取材する人間としても1プレーヤーとしてもお腹いっぱいだと感じている。 思い起こせばeスポーツという言葉への反応は、ゲームメディアを除けば経済メディアがもっとも早かった。それはつまりeスポーツという「新興市場」が成長しており、ビジネスチャンスがありそうな業界だ、という文脈でニュースバリューを持ったからだろう。 しかしちょっと考えてほしいのは、たと

    eスポーツは「有望な新市場」ですか?お金の話ばかりが話題になる違和感。 - eスポーツ - Number Web - ナンバー
    cj3029412
    cj3029412 2018/11/16
    アマチュア・スポーツを語る文体を山際淳司のあとまるで確立できなかったメディアがよういうわ。近年、君らの載せるもの断罪断定調、時局評論(今回のこれがまさにそう)ばかりやろ。
  • 国際大会で日本の野球が不評って?勝つための戦術と“マナー”の問題。(氏原英明)

    その反応からは、日高野連にとっても寝耳に水の話ではないことが読み取れた。 「8回の盗塁、あったねぇ」 大量得点差における試合の進め方について、筆者が聞いた時だ。 実は国際大会において、日本代表の戦い方はあまり好意的に捉えられていない。その問題について尋ねたところ、冒頭のような返答をもらったのだ。 このほど閉幕した第90回選抜高校野球大会は、大阪桐蔭が連覇を果たした。 今大会は点の取りあいになった試合が多く、年明けからの仕上がりに差が出るセンバツらしく、大差がつく試合もいくつかあった。大阪桐蔭は花巻東に19-0で勝利している。昨年の大会でも、報徳学園が21得点を挙げた試合があった。 そんな大差の時に問題になるのが、試合の進め方だ。 甲子園ではどれだけ点差があっても手を抜かないことが相手への礼儀だとされるが、そこまで相手を痛めつける必要があるのか、という視点もありうるものだ。 こんなことをテ

    国際大会で日本の野球が不評って?勝つための戦術と“マナー”の問題。(氏原英明)
    cj3029412
    cj3029412 2018/04/18
    ドラフトで指名順位と契約金をつりあげる舞台で力を緩めてどうするんだ。
  • 野球部の坊主頭はいつまで続くのか。大学では消滅寸前、高校はまだ現役。(安倍昌彦)

    今、私の手元に1枚の古い写真がある。 43年前の早稲田大学野球部・夏の軽井沢合宿。 当時の『アサヒグラフ』さんだったか、『週刊ベースボール』さんだったかが取材にやって来て撮った写真。実際に、雑誌に掲載されたものだ。 以前、この写真を眺めていたら、後ろからのぞき込んだ人にこう言われた。 「あ、戦時中の写真ですね」 なんの疑いもなくそう言われ、なるほど……と、かえって納得したものだった。 背景のうっそうとした樹木。その前に居並ぶげっそりと疲れ果てた表情の男たち。モノクロ写真でもはっきりわかる汗とドロの染み込んだ衣服。そして、一様に、修行僧のような坊主頭。 「すいません、ジャングルから出てきた敗残兵かと思いました……」 確かにそこには、スポーツに打ち込む若者たちのはつらつとした生気も感じられなければ、希望に燃えた前向きの輝きもない。 ひたすら、苦しいだけの時を耐えに耐え、さらにまだこの先にもいく

    野球部の坊主頭はいつまで続くのか。大学では消滅寸前、高校はまだ現役。(安倍昌彦)
    cj3029412
    cj3029412 2018/01/10
    実力派高校球児はぜひパンチパーマを(バツ&テリー)
  • 「暴力」を意識しなかった日馬富士。こんなにも遠かった世間と角界の距離。(プチ鹿島)

    今回のスポーツ新聞時評のテーマは、11月14日の火曜日からすべてがはじまったと言っていい。 『ビール瓶で殴打 日馬 暴行疑惑 貴ノ岩頭蓋骨骨折』(スポーツニッポン) この衝撃的な1面がスポニチで報道されて以降、まだ報道合戦が続いている。 当初は「ビール瓶で貴ノ岩を殴った」と伝えられたが、そのあと「ビール瓶は使っていない」という情報が出てきた。一体何が事実なのかわからない面妖さ。それは一般社会からはなかなか見えない相撲界そのもののようにも思える。 「あちらの世界」(相撲界)と「こちらの世界」(一般世間)。この橋渡しをしている1つがスポーツ新聞だ。ただ、同じテーマでも社説の論調が各紙違うようにスポーツ紙でもスタンスは異なる。それが新聞の読みどころ。 「日馬富士引退」という大きな動きがあった翌日(11月30日)。各紙の「記者の目」を見てみよう。相撲担当が見解を述べる、いわば社説のようなものである

    「暴力」を意識しなかった日馬富士。こんなにも遠かった世間と角界の距離。(プチ鹿島)
    cj3029412
    cj3029412 2017/12/02
    80年代のNumberは、こうではない筆法で渋い鈍色の鉄槌を放ったものだ。とはいえ、まとめとしては労作。
  • DeNA、若き才能と危うい未成熟。敗れはしたが魅力的なチームだった。(鷲田康)

    タイミングはアウトだった。 延長11回2死一、二塁。ソフトバンクの7番・川島慶三の放った打球がライナーで右前に落ちる。前進守備の右翼手・梶谷隆幸が捕球し、真っ直ぐホームで待つ嶺井博希に向かってボールが放たれた。 「タイミング的には余裕でアウトだったので、ホームプレートの後ろでタッチに行く準備をしていた」 だが、腰を落として捕球態勢に入った嶺井の目の前で、ボールがアンツーカーで不規則に大きく弾んだ。必死にミットを差し出したが、その上を飛び越え、ボールがバックネットに転がる間に、二塁走者の中村晃がサヨナラのホームに滑り込んだ。 ソフトバンクの2年ぶりの日一奪回は、そんなあっけない幕切れだった。 同点ホームランの内川には「余裕があった」。 最後は底力の差の勝利だった。 1点を追う9回1死。負ければ第7戦の最終決戦になだれ込む。そんな土壇場で飛び出した主砲・内川聖一の同点塁打が象徴だ。 「気持

    DeNA、若き才能と危うい未成熟。敗れはしたが魅力的なチームだった。(鷲田康)
    cj3029412
    cj3029412 2017/11/05
    下手だなあ。