「選手生命も終わりかもしれない」 豪腕・村田兆治が投げられなくなったのは、1982年5月17日のことだ。川崎球場での近鉄戦に先発した村田は1回で降板。その前から肘に痛みを発してローテを飛ばし、10日ぶりの登板だったが、1回1死一塁で近鉄の3番ハリスに初球を投げ込んだ時に肘に激痛が走った。 「痛くてフォロースルーができず、あとは(肘を使わずに)肩だけで投げたが、これ以上無理」と絞り出すように言った。 「1本の糸が切れた感じ。選手生命も終わりかもしれない」 村田の言葉に報道陣も青ざめた。 以後、村田兆治はマウンドから姿を消した。 原因は不明とされたが、村田は“うつ状態”になり、誰とも合わなくなり、熊野で滝に打たれたりもしたそうだ。翌年になっても肘の痛みは引かず、村田は悶々としていたが、アイク生原氏(ドジャース職員)の紹介で渡米し、フランク・ジョーブ博士の執刀で左手首の腱を右ひじに移植するトミー