「奴隷労働」ともいわれる外国人労働者。だが、私たちはやりたくない仕事を外国人に押し付けているだけで、もはや日本経済にその労働力は欠かせない――。気鋭のジャーナリストが“人手不足”時代のいびつな“多文化共生”社会を描き出す。(「月刊サイゾー2021年7・8月号」)より転載) 中卒後、母国ベトナムの縫製工場で10年以上働いたグェンさん。もっとも高いときでも給与は日本円で4万円程度だったという。(写真/筆者、以下同) ベトナム出身のグェン・ティ・キムアンさん(31歳)は、2018年5月に婦人子ども服製造の外国人技能実習生として来日し、山形県鶴岡市の縫製会社「フォーティーン」で働き始めた。 始業時刻は7時半。21時頃まで縫製作業が続き、帰宅後も寮でボタン付けなどの内職を課せられた。休憩時間すらまともに与えられず、出勤前に作ったおにぎりやゆで卵をポケットに入れ、作業時間中にトイレで食べたこともある。