千々石ミゲルの墓穴?確認 墓石を囲む基壇が出土した「千々石ミゲルの墓」=2014年9月、諫早市(浅田昌彦さん提供) 安土桃山時代にローマを訪問した天正遣欧使節の一員、千々石ミゲルの墓とみられる諫早市多良見町山川内の墓石の周辺で、地中のレーダー探査をした結果、遺体を埋葬した墓穴とみられる反応が確認されたことが13日、分かった。来月6日から発掘し、遺骨や遺品が残っていないか調べる。 レーダー探査は、宮崎県のNPO法人「i(アイ)さいと地中探査研究所」が2014年12月に実施。墓石の前方約1メートルの地中で、縦横各1メートルの円柱状の強い反射を確認した。同研究所は「墓坑(ぼこう)の可能性が高い」とみている。 発掘調査を統括する大村市の石造物研究者、大石一久さん(64)は「円柱状の反応は遺体を納めた座棺を埋めた穴ではないか」と推測。天正遣欧使節は1585年にローマ法王と謁見(えっけん)し、黄
県庁地下に黄金の十字架? 伊東マンショがヨーロッパから持ち帰った品物が地下に埋まっている可能性も指摘される県庁=長崎市江戸町 「県庁の地下に伊東マンショの黄金の十字架が眠っているかもしれない」-。 日本のキリシタン史に詳しい日本二十六聖人記念館長のデ・ルカ・レンゾ氏から興味深い話を聞き、当時の様子を記録した史料を調べた。すると黄金の十字架だけではなく、16世紀の天正少年使節が持ち帰ったヨーロッパ各地の貴重な品々が埋蔵されている可能性が浮かんできた。 長崎市江戸町の県庁。レンゾ氏によると、この場所にはかつて、日本でキリスト教の布教を始めたイエズス会が1570年代から江戸幕府の禁教令が出る1614年まで日本本部を置いていた。司祭や修道士が生活。日本での布教活動や国内情勢に関する報告書が作られ、海外に伝えられたという。 墓地もあり、日本人だけでなく、スペインやイタリアなどから来た神父や修道
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く