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ブックマーク / kanjibunka.com (4)

  • 偏愛的漢詩電子帖|漢字文化資料館

    偏愛的漢詩電子帖 甘瓜を清泉に浮かべ、朱李を寒水に沈む。      ――曹丕「朝歌令呉質に与うる書」 川合康三 2020.04.20 疫病禍が収まらない。すでに三か月あまり、世界中が新型コロナウイルスに翻弄されている。暮らしが立ちゆかず、罹患者は増えるばかり。これがいつまで続くのか、誰にもわからない。 中国の疫病で文学史に関わるものといえば、建安二十二年(二一七)のそれがたぶん一番大きい。魏の文帝曹丕[そうひ]の「蓋し文章は経国の大業、不朽の盛事」という、文学の意義を高らかに宣言した言葉は、その時の流行病から生まれたといってもいいほどだ。 それに先立って、後漢という時代の全体を俯観すると、大まかに言えば外戚と宦官が交互に権力を奪い合う繰り返しであった。最後の外戚何進[かしん]を倒して支配者になったのが董卓[とうたく]。董卓打倒に向かって立ち上がったのが、袁紹[えんしょう]をはじめとする群雄

    偏愛的漢詩電子帖|漢字文化資料館
  • 『麻雀の誕生』|漢字文化資料館

    2016.9.10 『麻雀の誕生』 大谷通順 著 ISBN: 978-4-469-21356-0 四六判・258頁 定価: 体2,200円+税 大修館書店HP商品ページへ いつ、どこで、どのように生まれたのか? ときは19世紀末、上海租界の花柳界を賑わせていた賭博遊戯が、やがてアメリカのコマーシャリズムに乗って世界的な大流行を巻き起こす――ルールはおろか、呼び名さえ定まっていない混乱のなかで「誕生」し「成長」したマージャン百余年の物語。 著者メッセージ 四人のプレーヤーの座席が「東」・「南」・「西」・「北」の四方にあてられ、それぞれの方角の風が吹いて(荘家(おや)になり)、四季が一巡するとゲームが一段落するというしくみは、じつに巧妙である。古代中国の時空観を示す、『淮南子(えなんじ)』の「八風」にさかのぼるまでもなく、現在のわたしたちの季節と歳月の経過に対する実感で、じゅうぶんにそのシス

    『麻雀の誕生』|漢字文化資料館
  • 『納豆のはなし―文豪も愛した納豆と日本人の暮らし』|漢字文化資料館

    2016.5.10 『納豆のはなし―文豪も愛した納豆と日人の暮らし』 石塚修 著 ISBN: 978-4-469-22246-3 四六判・224頁 定価: 体1,700円+税 2016年5月刊行 大修館書店HP商品ページへ 知ってナットク 読んであと引く 納豆にまつわるつぶよりのはなし 誰もが知っている身近な品、納豆。しかし、今や日の伝統品となった納豆について、私たちは何を知っているのだろうか。納豆は関西でべない? 納豆はご飯にかけてべるのが普通? 納豆は日だけのべ物? 納豆は千利休の茶会に出され、松尾芭蕉の俳句に詠まれ、また夏目漱石、太宰治などの作品にも描かれてきた。書では文学史上に名を残す著名人の作品のほか、古典から近現代まで納豆にまつわるさまざまな文章をクローズアップしている。軽妙な語り口で納豆の姿を追いかけながら、当時の日人の事や生活、ひいては社会までをも探

    『納豆のはなし―文豪も愛した納豆と日本人の暮らし』|漢字文化資料館
  • 写真でたどる『大漢和辞典』編纂史|漢字文化資料館

    写真でたどる『大漢和辞典』編纂史 第一部 『大漢和辞典 巻一』刊行と原版焼失まで  ――1926(大正15)年~1945(昭和20)年 その3 池澤 正晃 2015.10.09 ■中国留学後の諸橋轍次 少し煩瑣になるが、二度目の中国留学から帰国した大正10年~昭和5年までの主な事蹟を、『諸橋轍次先生古稀祝賀記念誌』(1954)所載の年譜から挙げておく(一部、表記を改めた)。それまで東京高等師範学校教諭として附属中学校で教鞭を執るだけだった轍次にとって、二度の中国留学はその後につながる大きな転機となった。鈴木一平から漢和辞典の依頼があった頃の多忙を極めていた状況がわかると思う。家庭においても、キン子との間に三男二女を授かっていた。 1921(大正10)年(三十九歳) 8月11日 帰朝。○同月 岩崎男爵より静嘉堂文庫長を委嘱される。 9月27日 東京高等師範学校教授となる。 11月28日 國

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