犬からみた人類史 作者: 大石高典,近藤祉秋,池田光穂出版社/メーカー: 勉誠出版発売日: 2019/05/25メディア: 単行本この商品を含むブログを見る 本書は犬という視点から人類史を見るというテーマで様々な分野の研究者から寄せられた論考を集めたアンソロジーだ.3部構成で第1部は「犬革命」と称して犬の誕生から先史時代まで,第2部は「犬と人との社会史」で前近代から近代まで,第3部は「犬と人の未来学」で現代から未来までを扱う.犬から見たという視点が面白いし,普段読まないような分野の文章も読むことができていろいろ楽しい本だ. 第1部 犬革命 イヌの特徴である吠えるという行動がどうして進化したのか,狩猟採集民の遊動型狩猟におけるイヌの役割,縄文人のイヌの使い方,イヌの性格と遺伝子,イヌとヒトの視線のやりとり,犬の比較神話学という論考が並ぶ. 最初の「イヌはなぜ吠えるか」(第1章)という論考は面
三重県の伊勢神宮に参拝した犬の石碑が宮城県栗原市金成の寺院、龍国寺の参道にあるのを、動物信仰などを調べている宮城県村田町歴史みらい館副参事の石黒伸一朗さん(57)が見つけた。明治初期に建立された可能性がある。参宮犬の石碑は全国でも珍しく、東北地方で唯一とみられる。 石碑は高さ53センチ、幅25センチ、厚さ13センチ。中央に「白毛犬参宮」と大きく彫られ、右に「明治六酉(とり)年七月廿(以下不明)」、左に「飼人菊池新(同)」と書かれている。「菊池家で飼っていた白い毛の犬が伊勢神宮まで行き、戻った記念に石碑を建てた」と石黒さんは推測する。 江戸中期から明治初期にかけ、お伊勢参りが全国で流行。経済的理由や病気、高齢で出向けない場合、飼い犬に願いを託して参拝させた。白い犬が選ばれた例が多く、目印の木札を首に提げ、伊勢神宮のお札を持ち帰った。道中は見知らぬ人に宿場から宿場まで案内してもらい、宿場で
(CNN) アジアでは2月19日に始まる旧正月を盛大に祝う国も多いが、新しい年の干支は「ヒツジ」だとは限らないようだ。香港の繁華街やショッピングモールを歩くと目に付くのは、ショーウインドーに飾られたヒツジ、それにヤギの姿だ。 香港大学で中国の神話を研究する余文章(アイザック・ユエ)助教授によれば、どちらも干支としては正しいという。 「中国語の『羊』という字はヒツジともヤギとも解釈できる。ガゼルも中国語では羊だ」と彼は言う。 「私自身はどちらかというとヤギと訳したい。理由は単純で、羊という字には2本の角が生えていて、ヒツジよりもヤギに似ているからだ」と余助教授は言う。 中国ではヒツジもヤギも家畜として飼われているが、ヒツジがいるのは北方の草原に限られており、ヤギのほうが一般的だ。 どっちつかずの中国に対し、ベトナムでは今年の干支はヤギと決まっている。 ベトナムの両替商は、ヤギの絵が描かれたネ
羊をめぐる二つの謎 十二支の動物の中でも、昨年の午(うま)や来年の申(さる)に比べ、日本人にはなじみの薄い今年の干支(えと)・未(ひつじ)。 しかし、歴史や文学の世界に探せば、意外な発見がある。奈良時代に建てられた石碑・多胡(たご)碑に刻まれた羊の文字に、中原中也の詩集の最後を飾る「羊の歌」の章。羊を巡る二つの謎を追って、知的冒険の旅に出た。 群馬の多胡碑 古代の刻字何を示す 鮮明な刻字は1300年もの時を経ていると感じさせない。群馬県高崎市。関東平野の最奥の河岸段丘上に立つ日本三古碑の一つ多胡碑は、711年の上野国多胡郡新設を記念した碑だ。 <三百戸郡成給羊成多胡郡>(三百戸を郡(こおり)と成し、羊に給いて多胡郡(たごのこおり)と成せ) 許可を得て6行80字の碑文を間近に見ると、「羊」の字は一際彫りが深い。碑を「羊さま」と敬ってきた地元の人々が、特に大切な字が消えぬよう彫り直したとも言わ
反捕鯨団体「シー・シェパード」のドキュメンタリー番組を撮影したオーストラリア人の映像ジャーナリストが、和歌山県太地町の捕鯨とその歴史に魅せられ、文化を世界に伝えようと活動している。母国や欧米で反捕鯨の世論が高まるなか、「江戸時代から連綿と続く太地の捕鯨の歴史を伝えれば、世界の認識は変わるはず」と訴えている。 和歌山大学の特任助教、サイモン・ワーン氏(57)=和歌山市在住。オーストラリアの民間テレビ局のカメラマンを経て、フリーランスでタスマニアの環境問題などを伝えてきた。 平成19~20年にかけて、アメリカの人気番組「ホエール・ウォーズ(鯨戦争)」の撮影に参加。南極海で、日本の調査捕鯨船を妨害するシー・シェパードを5週間取材した。
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