1970年代に千葉県市原市の古墳から出土し、80年代にX線鑑定で銘文が確認された鉄剣がある。王が臣下に「下賜」したことをうかがわせる銘文から「王賜銘鉄剣」と呼ばれ、「重要文化財級の価値がある」として新聞の1面も飾った貴重な出土品。ところが銘文確認から30年以上過ぎた今も、国の文化財指定の手続きを受けた形跡がない。背景を調べてみると、出土品を巡るさまざまなトラブルが浮かび上がってきた。
![発掘されたトラブル 1500年前の鉄剣 出土品消え、国の文化財指定されず30年 千葉・市原 | 毎日新聞](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/71c935349c5b62ea1221c4e327d3b77df5fabe89/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.mainichi.jp%2Fvol1%2F2020%2F07%2F25%2F20200725dde041040059000p%2F0c8.jpg%3F1)
高槻・今城塚古墳近く 継体天皇の墓とされる大阪府高槻市の今城塚古墳(6世紀前半)近くの寺院跡に立っていた石材が、同古墳に納められた石棺の一部とみられることがわかり、同市立今城塚古代歴史館が10日発表した。長年にわたって集落の石橋として使われていたが、市民からの連絡で史料の「発見」につながった。 石材は長さ1・1メートル、幅66センチ、厚さ25センチで、重さ250キロ・グラム。周辺で既に出土した数百点の破片から、古墳には熊本県宇土市産の「阿蘇ピンク石」を使った約7トンの石棺があったと推定され、石材は材質からその一部とみられる。天皇やその近親者が埋葬されていた可能性が高いという。 地元の伝承によると、1596年の伏見地震後、崩れた墳丘から地元住民が石棺材を搬出し、集落の共同井戸を渡す石橋として使用。滑ってけがをする人が増えたため、たたりを恐れた住民が1960年頃から、古墳から約1キロ離れた「観
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