1970年代に千葉県市原市の古墳から出土し、80年代にX線鑑定で銘文が確認された鉄剣がある。王が臣下に「下賜」したことをうかがわせる銘文から「王賜銘鉄剣」と呼ばれ、「重要文化財級の価値がある」として新聞の1面も飾った貴重な出土品。ところが銘文確認から30年以上過ぎた今も、国の文化財指定の手続きを受けた形跡がない。背景を調べてみると、出土品を巡るさまざまなトラブルが浮かび上がってきた。
![発掘されたトラブル 1500年前の鉄剣 出土品消え、国の文化財指定されず30年 千葉・市原 | 毎日新聞](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/71c935349c5b62ea1221c4e327d3b77df5fabe89/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.mainichi.jp%2Fvol1%2F2020%2F07%2F25%2F20200725dde041040059000p%2F0c8.jpg%3F1)
奈良時代、鋳造したての貨幣の枚数や品質を保証する目的で、職人が自らの名前や職責を記した木簡を、帯封代わりに付していたことが、奈良文化財研究所の平城宮跡(奈良市)に関する調査で分かった。 当時の国家がいかに貨幣価値を保証していたかを知る手がかりとして注目される。 同研究所は、平城宮で役所が集中していた「東方官衙(とうほうかんが)」と呼ばれる地区のごみ穴から、2008年度に出土した木簡(長さ10センチ、幅1・1センチ)を分析、解読作業を進めていた。 その結果、上部にひもを通す穴があり、「貫鋳手雀部豊縄(かんいてささきべのとよなわ)」と墨書してあるのを確認した。「貫」は銅銭1000枚を、「鋳手」は鋳造職人をそれぞれ意味し、「雀部豊縄」は男性の名前だとみられる。 古代から近世にかけて、銅銭はひもで束ねて1貫の単位で管理するのが一般的だった。平城京では「貫」の字と人名や、天平宝字六年(762年)とい
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