神即〈いのち〉、〈いのち〉即感謝神とは〈いのち〉であり、それへの感謝が信仰だ。あらゆる違いがあっても、それは闘争の理由とはならない。我々は等しく〈いのち〉を生きているからだ。その理解こそが、新しい文明の思想軸となる。 今から40年ほど前に、比叡山から二、三人の天台僧が、臨済宗の大徳寺に修行留学に来ておられました。そのお一人が当時、十二年間の籠山行をやり上げた大阿闍梨・堀澤祖門師でした。私にはあまり記憶がないのですが、ずいぶんイジメたそうです。その堀澤師は、今や大原三千院の門跡として雲上人になっておられ、私は天台宗の最下位僧である新発心(しんぼっち)になりました。つくづく人の人生というのは面白いものだと思います。 その堀澤師と昨晩、会食をして、旧交を温めました。86歳になられた今も、「一切の形に囚われてはならない」という柔軟な考えの持ち主であり、遠からず三千院本堂で若い僧侶たちのために「あり
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