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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/namagusabose (4)

  • 「意識」と「あり方」

    これまで何度か「大切なのは、やり方(Do)ではなく、あり方(Be)」というお話をしてきました。 「こういう時、どうすればいいですか?」といった様な質問を受けながらも、「なにをするか、どうするかは重要ではありません」というような答えになっていたので、掴み所がなく「どういうことなのか、よくわからない」となっていた方も少なくなかったと思います。 このことを、再度「五蘊HOUSE」の例えでお話してみます。 何かを問題や成長課題などとして捉え、それを解決・達成しようとする「当事者」としての立場が<わたし>なので、「なにをするか」「どうするか」という姿勢には、どうしたって<わたし>が関わってきてしまいます。 その時の「意識(マウスポインタ)」は、<わたし>、つまり「HOUSE(身体とマインド)」を指しています。 一方、「あり方」は、存在軸が「HOUSE」から「LIVING(命)」に移動します。 どちら

    「意識」と「あり方」
  • あの世に聞いた、この世の仕組み

    昨日の更新で、「わたしがいない」ということを、象徴的に と表したわけですが、実際は少し違います。 このように、身体だけが残る、ということではないんです。 だから、そこには人形のように転がる身体があるだけじゃなく、「<わたし>はいない」と話し、動いている状況が見える。 誰かがその状況を見て、「じゃ、その『わたしはいない』と語るお前は誰なんだ? そこにいるだろ?」となる。 「あなたがいないのなら、私はいま、誰と話をしているというんだ?」と。 実際、古くから「目覚めても、なにも変わらない」と伝えられているとおり、<わたし>が消えてもなお、思考もあり、感情もあり、痛みもあり、好みもあり、五感もあります。 実は、五蘊の「色」も「受」も「想」も「行」も「識」も、全部あるんです。 この5つはあるけど、<わたし>という「幽閉された空間(命)」は、ないんです。 それはね、こういうことなんです。 一つは、先日

  • 死んでも死にきれない

    先日「霊」についてお話したところ、こんなコメントをいただきました。 2015-06-09 03:35:07のUnknownさんからいただいたご質問です。 ***** 49日過ぎても出てくる霊は、いったいなんなのでしょうか? 霊感についても教えて頂ければ、助かります(>人<;) ***** いったい、何がどう助かるのかわかりませんが(笑)、これについてちょっとお話してみます。 いわゆる「死(肉体機能の停止)」を迎えたとき、その身体と結びついていたマインドには、大抵、少なからずの「未練」が残ります。 ああすればよかった、ああしなければよかった、もっと○○でいたかった…、などなど。 「霊(身体を失ったマインド)」とはつまり、「残されたマインド(思い)」ですから、文字通り『思い残し』の塊です。 生前の「マインドに対しての執着(自己同一化)」が強ければ強いほど、死後(身体の機能停止後)も「個(パーソ

    死んでも死にきれない
    cooshin
    cooshin 2015/06/10
  • 解釈の可能性

    ※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。 ※「極楽飯店」の第一話はこちらから。 ******************************************** 現在執筆中の原稿もいよいよ〆切が今月末と迫り、公私ともに非常に忙しい毎日を送らせていただいております。 そんなこんなで、大変申し訳ないのですが、今月(3月)の「月イチ☆」、および「月イチ☆WEST」「でら☆月イチ」はお休みとさせていただきます。 <(_ _;)> すみません… 4月には再開したいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。 さて、先日比叡山で開催されたイベント「魂の夜明け」。 その夜、出演陣が堀澤祖門さんのお部屋に集まり、深夜1時過ぎまで熱く語らいました。 話の内容は、昨今の仏教界の状況がその土台にあったのですが、その中で、仏教や他の伝統宗教などと同様、現在広まって

    解釈の可能性
    cooshin
    cooshin 2015/03/18
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